ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2015 家族愛

家族愛

 

 Happy Valentine’s Day 

 至るところにハートが飾られる二月になりました。テレビでもお店でもチョコレートの宣伝がいっぱいです。いつも大好きでいることが当たり前となってしまっている相手にも愛を届けてみたい気分に駆られます。考えてみると日本に戻って早5年がたちました。5年前はまだ抗がん剤を受けており、愛情だの大好きだの言っている余裕すらありませんでした。その前もそれからもずっとずっと私に愛情を注いでくれてきたのは子供たちです。なのに、毎朝「早くしなさい」とまくしたて、「明日の支度したの」「宿題はやったの」「片付けなさい」「歯磨きして、お風呂はいってよ」と毎日同じことばかり言って、夜になると「なんでもっと優しくできないんだろう。」「なんでこうも追われてばかりなんだろう」と自己嫌悪に陥る日々の連続です。寝顔をみながら何百回もホッペチュウ(ホッペにキスです)していると「よくぞここまで育ってくれた」と思います。子供たちのことを怒りながらも母は毎日あなたたちのことを想っているのです。そして、子供たちがいつも私の心の中を愛情でいっぱいにしてくれています。家族っていいものです。

 うちは母子家庭なので、両親がいて子供がいてというバランスよき家庭から見るとちょっと歪なのかもしれません。子供たちが寂しい思いをするとか、父親と暮らしていないことでひけ目を感じるようなことはないようにと願っています。プラス、息子に障害があるため、娘には他の小学2年生が感じたり、負ったりしないような負担もかかってしまい、精神的に健康に育ってくれているだろうかと心配もあります。ティーンエージャーになったとき、グレてしまったらどうしよう、愛情は足りているんだろうか、気にしたら果てしなく気になります。そんな不安を吹き飛ばしてくれる大きな機会となるのは、学校での行事や授業参観などで家でみない子供の姿をみたときです。子供の社会となるのは学校生活で、その社会の中で生きているわが子をみると大きな成長を感じます。

 息子は特別支援学校に通っています。特別支援学校小学部では地元小学校との地域交流があり、希望児童は1年に1~2回地元小学校に交流に行きます。学校間での話し合いで時期も回数も決まります。息子は1年生は地元小学校の特別支援クラスに通っていたので、交流といっても古巣にもどるような懐かしさもあり、特別支援クラスで一緒だった子達も大喜びで迎えてくれます。今回の交流で私が心配したのは娘のことでした。娘は小学2年生です。1年生のときに学校中で人気者だった息子なので、娘が入学したときすぐに「妹」だと知られました。顔もそっくりだから隠しようもないのですが、目立った息子の妹というのは存在もすぐに目立ってしまいます。お兄ちゃん大好きな娘は「妹」と言われるとうれしかったと言いました。「お兄ちゃんはいいなあ。みんなに知られていて、有名人だったんだね」と誇らしげに言っていました。まだ息子の障害のことがよくわからない頃でした。それから1年たつと、娘は他の子とは異なる行動をする息子について「病気があるからしかたないね」というようになりました。息子といることを嫌がったり、恥ずかしがったりもせず、いつも一緒にお出かけを楽しんでくれています。ただ、自分の在校している学校にお兄ちゃんが来て、もしも誰かが「まあちゃんのお兄ちゃん、変だね。おかしいね」とからかったりしてきたら、娘はもうお兄ちゃんといることを楽しめなくなるのではないか、恥ずかしがってお兄ちゃんの存在を隠すようになるのではないか。息子のことを思うと交流には行かせたい、でもそれによって娘が嫌な思いをしないだろうか。私の心の中は葛藤でいっぱいになりました。娘に息子が交流に行く日について話しました。すると娘は「えー、お兄ちゃんが来るのォ!まあちゃん、お兄ちゃんに会いに行ってもいい?長放課(20分間の放課です)にいたら絶対に会いに行くからね。お友達にも紹介したいなあ。楽しみぃ!」と興奮し、カレンダーに印をつけていました。当日朝、家を出る時に「ママ、今日、まあちゃんがお兄ちゃんのとこに行くからね。ママも来てるよね?先生にお兄ちゃんとこに行くと話してから行くからね。」と大きく手をふり走って行きました。娘の後姿を複雑な思いで見送りました。5年前、まだ子供にもなりきれていないような3歳だった娘も、他に2つとないエメラルドグリーンのランドセルを背負ってしっかりと自分の足で大地を蹴って走っています。「大きくなったなあ」とあらためて思いました。

 交流当日、特別支援クラスで息子は元のクラスメイトのみんなと交流を楽しんでいました。芋ほりをしたり、お菓子釣りをしたり、在校中なかなかじっとしていられず走り回っていた息子もすっかりおちついてみんなと一緒に活動にとりくんでいました。ふとドアをみると、少しだけドアが開いており、そこには娘がいました。私と目が合うと娘はうれしそうに「ママ! ゆうちゃん!」と手をふりました。私がドアまで行くと、娘の横には女の子と男の子がいました。「おい、まあのお兄ちゃんどこだよ?」「あそこだよ」「あ、まあにそっくりだな」「ほんとだ、まあちゃんに似てるね」と話していました。娘は私に「先生がお兄ちゃんとこに行ってきていいよ、って言ってくれたから来たよ。友達も一緒に連れてきちゃったよ。」とうれしそうに友達を紹介してくれました。私は涙が出そうでした。娘はお兄ちゃんを恥ずかしく思うのではないか、そんなふうに考えた私はなんてちっぽけだったんでしょう。娘はお兄ちゃんが大好きなのです。本当なら兄妹が一緒の学校に通学したかったのでしょう。それはほかの兄弟には至極当たり前のことでしょうが、うちの二人には1年に1度の貴重な機会なのです。それを娘は誇りに思ってくれていました。「ママ、授業に遅れるといけないからもう教室に戻るね。お兄ちゃん!バイバイ!」娘はうれしそうに手をふり、友達とはしゃぎながら去っていきました。

 息子は健常な子供に比べると成長・発達に倍の時間がかかります。9歳の今でも時々は愚図ったり、泣いたりします。息子の世話は決して楽ではありません。子育てはみんな大変だとしてもその度合いははるかに異なります。昨年秋から暮れまで、私たちは本当に大変な時期を過ごしました。息子の行動がどうしても私には理解できなくなりました。そうなると息子はドンドン私の注目を求め、嫌がらせをしてきました。嫌がらせをされると息子を避けたくなります。避けられるともっと嫌がらせをしてきます。うちは毎日私と息子のわめき声が響いていました。どうしてこんなふうになってしまったんだろう、と私は頭を抱えました。この子は一生こんなふうに生きていくのだろうか、こんなで幸せなのだろうか。そう考えると将来が不安でたまらなくなり、苛立ちとあせりでいっぱいになってきました。息子は相変わらず帰宅するや否や私に嫌がらせをしてきました。「ママ。ツバかける」と言いながら追いかけてきたり、私も人間ですから嫌なことは嫌なのです。私にみていてもらいたい、それを上手に表現できない息子は私を怒らせることで自分の方に目を向けさせていたのです。気持ちを上手に表現できないため誤った方法をとってしまうのです。私が嫌だからでも、私に嫌がらせをしていたのでもなく、これが彼の愛情表現だったのです。だったら、避けてはいけません。息子の愛情を受け、息子に愛情を伝えなければなりません。なんでこんなふうになってしまったのか、と考えましたが、実際には息子が変わったわけではなく、息子は息子のままで、私が忙しさに追われ、息子を見てあげていなかっただけなのです。息子が変わったのではなく、変わったのは私でした。私が安定すれば息子も落ち着くのです。息子が私に発してくれている愛情と同じだけの愛情を発信しよう。息子は一生懸命訴えていました、「ママ、ぼくをみていて。ママ、大好きだよ」と。それを私が受信できたとき、息子はおちつきました。「大好きだよ」と。

 私が思うより子供たちは大きく成長していました。今でも私は毎朝ふたりの小学生を抱っこします。本当は父親に抱っこして欲しかったかな、そう思うとすっかり大きく重たくなった子供たちを抱きしめずにはいられません。「ママ、次はまあちゃん」「ママ、ゆうもやって」と二人が朝から飛びついて来ます。本当は重いです。ぎっくり腰になりそう、と毎回思います。それでも、「うちはママしかいないから抱っこしてもらえない」という思いだけはさせたくないのです。息子が1年生くらいまでは私は子供たちを肩車していました。そんな私たちをみた友人は「ステージ3の癌患者だった人のすることかしら」とあきれていました。家族旅行も一年に数回は行きます。遠くに長旅はさせてあげられないけど、それでも家族で旅行に行くという思い出は作ってあげたいのです。うちにはママしかいないけど、愛情は二人分与えたいと思います。そのためなら私は父親役も務めます。ぎっくり腰になるまではまだしばらくは朝の抱っこを続けます。ママの大好きなゆうちゃんとまあちゃんがいてくれてよかった。ママはママでよかった。バレンタインデーの前も後も、私はゆうとまあが大好きです。だって私たちは家族だから。