ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2015 ボーイスカウト

ボーイスカウト

 

 皆さんはボーイスカウトという団体をご存知でしょうか。ボーイスカウト出身の方もいらっしゃるのではないでしょうか。ボーイスカウトは世界規模の団体で1907年イギリスで始まりました。ボーイスカウトは仲間たちと自然の中で遊びながらいろいろはことを身につけ、よりよい社会人となれるような活動です。うちの子供たちは二人ともボーイスカウトのメンバーです。この活動を通して二人ともいろいろな経験をしてきました。とくに障害のある息子にとっては健常児にまざって活動できる貴重な場です。二人とも活動のある日曜日を楽しみにしています。日曜の朝、私は一週間の疲れを癒すため寝坊していたい。活動に出かけるため寝坊できないのは実は私はつらいです。でも、「カブ隊行く」とはりきる子供たちをみると私もがんばりたくなります。「日曜の朝はきついからもう辞めよう」と思いながらもボーイスカウトに入隊して2年たちました。

 うちの子供たちがボーイスカウトに入隊するきっかけとなったのは保育園の先生からのお誘いでした。娘が年長のとき、私は保育園の父母会の会長でした。会長という役柄、職員室には度々出入りさせていただいておりました。ある日、先生のひとりから「ボーイスカウトをボランティアでやっているの」という話をうかがいました。「よかったら、ゆうくんもどう?」と息子を誘ってくれました。「でも、障害あるから大丈夫かなあ」と躊躇する私に、「心無いことを言う子もいるかもしれない。でも、それも現実。私たちスタッフはもちろんそういうことを言う子を注意します。そういうなかでもゆう君が楽しめるようなら入ってください。」と言われました。息子がボーイスカウトに入れるなんて夢のような話でした。見学にうかがうことになり、「見学に行って走り回ったら、この子は無理って言われるんじゃないかなあ」と不安を抱えていました。息子と娘をつれて見学に行きました。年齢で「ビーバースカウト」(小学校入学前の9月から小学2年生)、「カブ隊スカウト」(小学2年9月から)、「ボーイスカウト」(小学5年9月から)、「ベンチャースカウト」(中学3年9月から)、「ローバースカウト」(18歳以上から25歳)というふうに分けられています。当時小学1年生だった息子はビーバー隊です。見学では、みんながお餅つきをしていました。火をおこしてもち米をふかし、石臼でお餅をついていました。つきたてのお餅は柔らかくていいにおい。偏食の王様だった息子がまわりのみんながお餅を喜んで食べているのを真似して食べていました。息子が「ぼくもひとりの子供だよ」と言っているかのように思えました。すると一緒に同行していた娘までが「まあもボーイスカウトに入りたい」と言い出しました。ボーイスカウトは男の子だけでなく、女の子の入隊も受け入れています。子供たちのうれしそうな顔にひかれて、兄妹そろってボーイスカウトに入隊することになりました。

 うちの子供たちが所属している隊ではいろいろな野外活動が行われます。お餅つき、流しそうめん、バームクーヘン作り、ハイキング、キャンプ、スキー、みかん狩り、どれもこれも自然に近いやり方で行われています。私がレイジーなせいか、我が家は文明の利器に頼り切った生活です。どこかへ行くといえば車に乗り込み、調理には電化製品が欠かせません。ボーイスカウトでは調理といえば、まずは火をおこすところから始まります。みかん狩りに行くと言えば片道6キロのハイキングの果てにみかん狩り。いやあ、普段から運動しない、楽をしたがる私から思うに「めんどうくさい」ことだらけです。それでも子供たちが楽しんでいるのです。

 昨年11月、ボーイスカウトでみかん狩りに行きました。カブスカウトになった息子ですが、みんなとのコミュニケーションをうまく取れないのではないかと思うと私が付き添うことが求められています。なので、活動には私も参加します。みかん狩りに行くため、最寄の駅で集合し、そこから電車で目的地近くの駅まで移動しました。さて、目的地近くの駅まで行くわけですから、駅から目的地のみかん園までのハイキングくらい大丈夫だろうと軽く考えていました。私が甘かった。歩けど歩けどまだ遠く、休憩こそは取るものの「ほら、もうそこよ」という声を聞かないままお昼ご飯になりました。息子は私のおにぎりは喜んで握ってくれるものの自分はおにぎりは嫌い。でも、ボーイスカウトでのお昼は「おにぎり持参」なのです。息子は例外としてパンを持ってきたところ、みんなと同じおにぎりがいいと言い出し、私のおにぎりを食べ始めました。息子の別の一面でした。「ぼくもひとりの子供だよ」という顔をして決して好きではないおにぎりを食べていました。私はしかたなくメロンパンを食べるはめになりましたが。普段重たいものを持ちたがらない息子ですが、一生懸命自分のバックパックを背負いみんなに遅れないように歩くのです。片道6キロの道のり、息子は歩きました。みかん狩りをする前に親の私はヘトヘトになったのですが、息子はみんなと同じように元気にみかん園に入りました。「ゆうちゃん、ママをひっぱって」と言えば、息子は坂道で私の手をひいてくれました。いよいよみかん狩りですが、息子は普段みかんを食べません。みんなは「がんばって歩いたからおいしいみかんをお腹いっぱい食べよう」ということですが、みかんを食べない息子にはがんばって歩いたことへのごほうびがないのです。ところが、息子はここでも「ぼくもひとりの子供だよ」という顔でみかんを食べるのです。ひとつ食べたらもう十分だったようですが、それでも普段食べないみかんをみんなと一緒なら食べていたのです。帰りがけに「みかん狩りしたね。みかん、おいしかったね。みかん食べたね。」と言いました。帰り道、お土産用のみかんを一袋持って、駅までの6キロを歩きました。誰も息子に話しかけてくれるわけでもありません。娘は女の子の輪の中に入って先を歩いていきます。私と息子はふたりで並んで歩きました。同い年の男の子たちもいるのに声をかけてくれるわけでもなく、一緒に歩いてくれるわけでもない。私は寂しさや悔しさを感じました。ボーイスカウトってよりよい社会の一員になることじゃないの?なのに、どうして人数数えればゆうのことを含んでくれないし、ゆうが歩いていても抜かしていくし、そんなでいいの?と思いながら息子と並んで歩きました。息子は黙々と歩きます。息子、みんなに遅れることなく駅に到着。「ママ、ゆう歩いたね。みかん狩り行ったね。」と息子が言いました。「ゆうちゃん、がんばったね」と言ったら、息子は「はーい」と手をあげました。息子は自分がみんなと同じような行動をとれたことに満足していました。私はこれがボーイスカウトなんだと思いました。活動の中で自分がどれだけ成長するか、いかに達成感を感じられるか、仲間の一員でいられるか、ということでしょう。息子はみんなと一緒に話したりふざけたりすることはありませんが、遅れることなく同じみちのりを歩いたことで「ぼくもひとりの子供だよ」とうれしかったのでしょう。

 先日、野外調理がありました。やはり息子はあてにされていませんし、頭数からも落とされてしまいます。息子のグループはカレーを作ることになりました。もちろん息子にまかされた役割はありません。いじける私とは逆に息子は「ママ、ゆうもやりたい」と言って玉ねぎの皮をむいたり、鍋のカレーを混ぜていたり、途中抜け出して、飯ごう炊飯を見に行ったり、なんだかうれしそうにしていました。どうしてゆうを仲間にいれてくれないんだろう、と苛立つ私に反して息子はお餅つきが始まると興味深そうに寄っていき、「ゆうもお餅つきやりたい」と言っていました。自分がやりたいという気持ちを伝える、積極的に活動に参加する、それこそがボーイスカウトの活動意義ではないでしょうか。私は息子が他のみんなと同じように入れてもらえないと苛立ちもありましたが、ボーイスカウトの活動とはよりよい社会の一員となることを目指していることであり、息子はその精神を受けているように思えました。

 お餅つきのあと、みんなでお餅を食べました。息子も娘もお餅をつきました。自分がついたお餅は格別です。息子はみんながあんこ餅を食べているのをみると普段絶対に食べようとしないあんこ餅を食べ、おかわりまでしていました。みんなでカレーを食べていると同じテーブルに行きおいしそうにカレーを食べる息子。ボーイスカウトではたくさんのことを経験します。普段、障害のある子供としか接していない息子にとっていわゆる普通の社会というのはこのボーイスカウトの活動だけです。みんながみんな息子に優しいわけではありません。よく不思議そうに見られます。でも、それが現実の社会です。この現実の社会の中で、息子が自分を楽しむこと、自分が満足すること、自分を誇りに思うこと、それがボーイスカウトに所属している意味だと思います。「ああ、寝坊したいなあ」と思う日曜の朝も、私はがんばって起きます。社会の一員として母もがんばらないといけないです。