ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2015 里帰り

里帰り

 

 五年ぶりにニュージャージーに里帰りしました。かつて住んでいた場所なのに、そこに旅行者として訪れるという不思議な感覚でした。普通に買い物していたスーパーで見るもの全てが驚きだったり、お金の使い方に戸惑ってしまったり、まさか自分がこんなに外国人観光客になっていたことに驚きました。ニュージャージー里帰りの一番の目的は大事な友達ジョエルのお見舞いでした。「いつもジョエルがいるから」、そんな思いがあったから安心していたのに、ジョエルはすい臓癌ステージ4です。すい臓癌は沈黙の臓器です。癌がみつかったときはたいていは余命を告げられる状態だと言います。ジョエルに会いたい、そんな思いでニュージャージーに里帰りしました。

 日本にいても私は毎日のようにアメリカ人の友達と話しています。SkypeやFacetimeで顔を見ながらおしゃべりしています。なのに、ニュージャージーに着くや否や「ワタシワ、ニホンゴ、ワカリマセン」の逆バージョンのように固まってしまいました。ニューアーク空港には真夜中に到着しました。空港からホテルまでシャトルカーで移動しました。空港はたくさんのライトできれいでした。たしか、何年か前にこんな光景をみたなあ、と懐かしさでいっぱいになりました。空港近くのホテルで一泊しました。疲れてないと思っていたのですが、翌日迎えに来てくれたジョエルがドアをノックした音で目が覚め、時計をみたら午前11時40分になっていました。慌てふためいてスーツケースを押しながらロビーへ行くと、ジョエルがいました。すっかり痩せたジョエル。五年半前、JFK空港まで私たち親子を送ってくれたときのジョエルよりうんと痩せていました。私はジョエルを叔父のように、家族のように思っていたので、ジョエルの家に住んでいた頃は飛びついたりじゃれたりしていました。「Joel!」ハグをするとジョエルはやっぱり痩せていました。ホテルからジョエルの家までの20分間、他愛もないことを話しました。私はまだジョエルがすい臓癌を患っているという現実に向かい合えず、つまらない冗談ばかりを並べていました。空港であんなに英語に戸惑っていたのに、ジョエルと会ってからはまた以前のように英語で会話を楽しめました。以前より英語力は格段に落ちているので、「なんていうかなあ、ほら、こういうときにこんなことになるって、英語でなんて言うんだっけ」を連発。その都度、ジョエルが言い直してくれました。たしか、1997年夏、私が渡米したての頃もこんなふうでした。ジョエルがいつも私の英語を直してくれました。

 実際、私の心の中ではジョエルにしがみついて泣きたいというのが正直な気持ちでした。でも、私よりジョエルもジョエルの奥さんのリサももっと泣きたい思いで毎日過ごしているんだから、私が泣いてどうするんだ、と泣かないことを決めていました。私のそんな思いを酌んでくれたのが友達のアンソニーでした。「ジュンコ、週末はマンハッタンに行こうか」と誘ってくれました。マンハッタンかあ。。。考えてみると私はマンハッタンを観光したことがあったのだろうか。あまりに近くて特に観光することもないままでした。用事があれば行くくらいでした。「今の私ならマンハッタンを観光旅行者としてピッタリ」と自覚していました。みる物すべてが興味深く、私の視線は常に動きっぱなし。あたりを見回し、なにか見つければすかさずカメラでカシャッ。ジョエルは疲れやすく、少し動くと休憩が必要となっていました。だから、いくらかつて居候していた私とはいえ、家族ではない人が家にいるとジョエルもリサも疲れます。週末はマンハッタンに行くことにしました。アンソニーと私の関係も不思議なもので、ジョエルもリサもそして私の家族もアンソニーのことは大好きで、同い年なのになんだか兄妹みたいな不思議な関係です。

 マンハッタンでアンソニーと私は典型的な観光客でした。アンソニーが持ってきた観光ガイド本を持ち歩き、私たちの四つの目は常に高い建物を見上げていました。エンパイアーステイトビルディングに初めてのぼりました。高所恐怖症の私ですが、「せっかくのマンハッタン」と思うと怖さもすっ飛び、東西南北各方向の景色を写真におさめました。やはり、こんな高いところに来ても私はニュージャージーをじっと見ていました。遠くに見えるニュージャージーに私の過去が一瞬重なる気がしました。アンソニーはおいしいものを食べることとビールが大好き。私もおいしいものを食べることは大好きですが、あまり高価なものは食べなれておらず、私が口にするのはB級グルメ程度です。エンパイアーステイトビルディングから降りると、夜の予定を立てました。普段は子供がいるため暗くなってから外に出ない私なので、夜はどこ行こうかと言われても困ってしまうのです。「よし、今夜はグランドセントラル駅のオイスターバーに行こう。あと、タイムズスクエアも見たいな。」アンソニーはガイド本を見ながら言いました。すっかり観光客、ウキウキです。先日日本のテレビ番組でグランドセントラル駅のオイスターバーを見たところです。「えー、生牡蠣食べれるのお!」生牡蠣なんて、二十歳のとき初めての海外一人旅・ニューカレドニアに行ったときに食べた以来かもしれません。

 暗くなり、まずはタイムズスクエアに行きました。とてもにぎやかで、明るく煌びやかな世界でした。普段、暗くなると家の窓から外をみている私なので、なんだか場違いな世界にいるようでした。そういえば、2009年12月31日、ミレニアムを迎える前の大晦日、私はジョエルとこの場にいました。毎年大晦日の夜は近くの教会で行われるダンスに行き、みんなでカウントダウンしていたのですが、「せっかくのミレニアムを迎えるんだからちょっと違うことしようと思う」と言うジョエルにくっついてきたのです。人がいっぱいでタイムズスクエアまでたどり着くのも儘ならず、歩いている途中でミレニアムを迎えてしまいました。大きなカップヌードルが高く見えていたなあ、と思い出しました。たった一瞬なのに、こんなに深い思いがよみがえり、そしてまた心の中に戻りました。初めてのオイスターバーでは、牡蠣大好きなのになにをどう注文したらいいのかもわからずにいると、アンソニーがすべてオーダーしてくれました。生牡蠣に舌鼓を打ち、おしゃべりをしていると、次に出てきたのがロブスターロール。ロブスターぎっしりのサンドウィッチとでもいいましょうか、食べ終わると「ロブスターはもういいわ」と思うくらいにたっぷりのロブスターをお腹におさめました。

 翌日、私たちは自由の女神&エリスアイランドツアーに出かけました。サウスパークまで地下鉄で降りてくるとなつかしさでいっぱいになりました。ずっと昔付き合っていた人がバッテリーパーク近くに住んでいました。当時私はどこにいくにも愛犬MOMOをつれていました。デートもそうです。ニュージャージーから電車でペンステーション、ペンステーションから地下鉄に乗り継いでバッテリーパークまで、MOMOを犬用抱っこバッグに入れて連れてきていました。サウスパークでもMOMOを散歩していました。アンソニーと歩きながら「あ、ここでMOMOちゃん、おしっこしたなあ」と、誰も気にもしない小さなフェンスの角をみていました。観光は今までみたことのなかった場所をみてこそ観光で、思い出のある場を歩くのは思い出が強すぎて新しい感情を残すことは容易ではありません。私のニュージャージーでの生活でジョエルとMOMOは欠かせない存在でした。

 ニュージャージーに戻ると、どうしても行きたい場所がありました。イーグル・ロック・リザベーション(Eagle Rock Reservation)です。丘の上にあり、丘からはマンハッタンがみえます。私たち親子はここによく来ました。最初の娘を亡くしたときも私はここから遠くを見ていました。辛い時、悲しい時もここに来ました。週末、子供たちとお弁当やおやつを持ってここで時間をつぶしたこともありました。楽しい思い出というよりむしろ悲しくつらい思い出がつまったこの場所でしたが、それでも私はここが好きでした。だから、どうしても悲しい思い出を過去にしたく、新しい思いでここを子供たちに見せたかったのです。イーグルロックに着くと、私は娘にSkypeしました。子供たちに画面を通して景色を見せました。大きく成長した子供たちと話しながら夕暮れの景色を見ていました。どうしてもこの景色を新しい思い出に塗り替えたかったのです。私が大好きな場所だから、そして一番つらかったときに私たち親子がきていた場所だから。

 ニュージャージーを発つ前日、リサとジョエルと一緒に散歩しました。ジョエルはゆっくりと歩き、途中何回か休憩をしました。空はきれいに晴れ渡り、遠く高くに見えました。こんな平和な時間をまたジョエルと一緒に過ごせるだろうか。きれいごとではなく、現実としてそれが難しいことを私はやっと受け止めることができました。それはジョエルと会えたからです。夜、ジョエルとふたりで話しました。ずっと泣かないことを決めていたのに、涙がこぼれました。ジョエルは強く前を向いて歩いています。だから、私もそうします。翌朝、私は4時に起きました。早朝のフライトなので、そっとひとりでおうちを出るつもりでいました。ジョエルが起きてきました。かつてのように、出かけ支度をする私をみながら、「忘れ物ない?」と声をかけてくれました。まだ薄暗い中、レンタカーに乗り込む私にハグしてくれました。バックミラー越しにジョエルが見えました。玄関外においてある椅子に腰掛けたジョエルは背が丸くなり以前より小さく見えました。「また会おうね!強く生きようね!」