ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2015 もっともっとがんばる

もっともっとがんばる

 

 早いもので福祉の仕事に携わって1年以上が過ぎました。日本に帰国して以来「いつかは福祉の仕事に従事したい」と考えていたもののなかなか踏み切れずに5年がすぎ、大げさですが清水の舞台から飛び降りる思いで昨年9月に障害者就労移行支援の仕事に就きました。息子、10歳、自閉症です。幼児期は「もしかするとなんとかなるかも」と息子が健常児のように成長することをわずかながらも期待していましたが、10歳になると「こんなにも大変なのか」と思うことだらけで障害児の子育てに終わりないような気がしています。それでも、息子は成長しています。去年までごまかせていたことも見抜くようになり、出来事の背景にも気づくようになり、それでも発達のバランスの悪さから、感じたことやみつけたことがあってもそれを理解し、受け止めるスキルはまだまだ発展途上で、癇癪起こしたり、愚図ったり、本当に困ったものです。でも、障害がある人もない人も平等に年をとっていきます。息子もいずれは成人します。社会人になります。そのとき、息子はどんなふうに生活を築くのか。息子はどんな支援のもとでどんな仕事ができるのか。私がこの障害者就労支援の仕事に就いている理由はここにあるのです。

 私が最初に就いた仕事は障害者就労移行支援の支援員でした。過去の私のエッセイの中でも時々、障害者就労支援について説明してきましたが、今回もまた簡単に説明させてください。就労支援には3つのサービスがあります。まずは就労移行支援事業というものがあります。このサービスを受ける対象となるのは、企業などへの就労を希望する65歳未満の障害者です。わかりやすくいうと、この就労移行支援というのは、障害のある方が一般就労するための訓練学校だと想像していただければいいかと思います。訓練内容は事業所により様々です。作業による工賃が出るところも出ないところもあり、これも事業所によります。続いて、就労継続支援があります。就労継続にはA型とB型があります。就労継続支援ではA型B型どちらも工賃は発生します。サービス対象となる方は就労移行と同様です。「通常の事業所に雇用されることが困難な障害者につき、就労の機会を提供するとともに、生産活動その他の活動の機会の提供を通じて、その知識及び能力の向上のために必要な訓練その他の厚生労働省令で定める便宜を供与することをいう」(障害者自立支援法5条15項)。そして、事業所との雇用契約があるのがA型、雇用契約がないのがB型です。A型は一般就労は難しいが雇用契約を結んでの就労は可能、B型は授産的な活動を行い工賃をもらいます。私が福祉の仕事の第一歩として踏み出したのは就労移行支援です。そして、2か月後にA型就労継続支援に移り、一年間いろいろな経験をしてまいりました。

 A型就労移行支援事業所で私は施設外の職業支援員として勤務しました。施設外というのは主に清掃業務で、利用者(通所してくる方をそう呼びます)さんたちが業務をこなすのを見守り、支援することが主な仕事です。そのほかにも作業報告書を記入したり、移動車の運転、雑務はいくらでもありますが、最も大切なことは利用者さんたちのことを思うことです。思うこと、というと多少語弊があるかもしれませんが、ただただ「今日、xxxさんは何しているんだろう」と思っていることではなく、その方の今日の状態を察し、どうサポートできるのかを考え、そして現状と目標を結ぶ線をイメージして線をたどるような意識で彼らの成長を支援できるように考えます。これはむしろ「仕事」という思いよりも、うちの息子が大人になったとき、どういう支援を受けたいか、どんな支援員がいてほしいか、という親としての思いが強く出てしまっているのかもしれません。一言に障害といっても、本当に人それぞれです。精神障害のなかにもいろいろな異なる障害があり、そして同じ診断名であっても個人個人でその症状も異なります。精神障害だけでなく、ほかの障害もそうです。100人いれば100通りというくらいに個人差があります。全員に対して完璧に対応することは難しいです。人を相手にしている以上、算数の答えのような回答はありません。人の生活においてバランスが大事だと思います。遊びと仕事、家庭(うち)と社会(外)、平日と休日。。。そのバランスが崩れた時、人は精神のバランスをも崩し、そして体調にも影響が出てきます。体調が優れないゆえ、毎日の出勤が困難となることもあります。そうした場合、まずは毎日出勤するという目標をたて、その上で就職のための訓練をして一般就労を目指す方は多くいます。私はそういう方たちと過ごす中で、自分という人間をあらためて見つめなおしてきたように思います。私にとってのよいバランスとはなにか?私にとって働くことの意味はなにか?私にとって毎日の生活の意味はなにか?私は幸せなのか?私にとって社会で生きる意味とはなにか?朝決まった時間に起きて、支度をして子供たちを送り出し、職場に来て仕事して、お昼休みにはお弁当を食べて、定時きっかりに退社し、帰りにスーパーで買い物をし、娘を学童保育へ迎えに行き、帰宅すると洗濯物をたたみ、夕飯の支度をして、息子が帰ってきて、夕飯食べて、お風呂に入って、洗濯して、就寝。私の毎日の生活はこの数行でおさまってしまうほどに変化も刺激もない繰り返しの生活です。でも、毎日数行でおさまってしまうような生活の中にもバランスというものは存在するのです。毎日、利用者さんたちとおしゃべりをすることが私の心を肥やしていたのも事実です。息子にどう向かい合ったらいいのか悩んだときも、利用者さんたちと話していると息子の心の内をそっとのぞいたような気分がしたり、いつも先の目標に向かって歩いている利用者さんたちから学ぶことはたくさんありました。

 一年間、A型就労継続支援の仕事に従事してきましたが、縁あって9月からまた就労移行支援の仕事に戻ることになりました。今回は事業所立ち上げから参加でき、忙しさもやりがいもいっぱいです。訓練カリキュラムを組むことから始めました。スタッフとして、仕事として与えられたことをこなすのは当たり前。立ち上げから参加できることのよさは、私がカリキュラムを組む中で私の思いを込められるということです。障害児の母としての目で頭で、どんなことを入れたらいい訓練になるだろうか、どういうふうに進めたら利用者さんたちが楽しめるだろうか、利用者さんの立場、そしてその家族の立場からみたよい訓練というものはどんなものだろう、考えられる限りを組み込んでみるのです。他人事ではなく、うちの息子が大人になった時にどんな訓練を受けたいか、どんな事業所に通わせたいか、と思うと「とにかくいい訓練カリキュラムを組もう」と意欲は増します。

 9月と10月は新しい事業所が改築中のため、今までのA型就労継続支援の事業所内で席を借りてカリキュラム作成作業をしていました。朝礼後、施設外のみんなが清掃に出かけていくのを手を振って見送るのは不思議な思いでした。1年間毎日一緒に施設外に出かけていたため彼らを見送るというのは感覚的になんだか不思議でした。彼らが作業から戻ってくる時間が近づいてくるとそわそわしてしまい、階下でみんなの声が聞こえるとうれしくなりました。「ねえ、明日は私も一緒に清掃行きたい!」というと、「だーめ。もう施設外じゃないんでしょう。」と利用者さんからたしなめられたり。常にスタッフと利用者という一線は越さない接し方を心がけてきましたが、一旦事業所を出発すると運命共同体のように一丸となって清掃に取り組み、なんだか「われわれ清掃班」というような仲間意識はありました。施設外の移動車に乗ることはもうなくなりましたが、それでもまだみんなに囲まれている気持ちは感じていました。

 11月になり、新しい事業所の改築工事もほぼ完成に近づき、通いなれたA型就労継続事業所から新しい事業所へ移ることになりました。いよいよ私たちの事業所がオープンすると思うとドキドキワクワクなのですが、私はやはりずっと一緒にがんばってきた施設外の利用者さんたちに会えなくなるのが本当は泣きたいくらいに寂しく辛かったのです。私たちは一緒に成長してきました。支援員として経験もなく失敗の繰り返しだった私をみんなはあたたかく受け入れてくれました。利用者さんのなかには精神的にしんどかったり、体調くずす人もいました。それでもみんな一生懸命で、なんとか乗り越えようとがんばっていました。私はみんなに支えられていました。新しい事業所はまだ電気回線が出ていたり、壁がなかったり、ドアがなかったりという状態で、工事は完成されていません。そんな中で仕事をしていると、たまに、すてきなプレゼントが届きます。施設外のみんなが工事で出たものなどを片付けにきてくれるのです。みんなが元気そうだと私がうれしくなります。「お迎えに来てくれたの?ありがとう」とふざけて言うと、「だーめ。もう施設外じゃないんでしょう。」と言われ、なつかしくうれしく昔居た場所を想います。まもなく、工事が完成します。そうするともう施設外のみんなは来なくなります。寂しくなります。

 私はこの仕事が好きです。理由は毎日いろんなことが起きるし、いろいろな人と出会えるからです。障害があることはかわいそうなことでも、異常なことでもありません。健常な人よりちょっと助けが必要なだけです。完璧な人間などいません。みんなどこかが欠けていて、どこかが長けています。その基準は誰も決められません。A型就労継続支援事業所で出会えた施設外の利用者のみんなに支えられました。彼らと会えなくなるのは本当に寂しいけれど、私は新しい事業所でこれから出会う利用者さんたちをしっかり支援していきたいと思います。施設外のみんなとの出会いのように、これからも人との出会いを大事にし、助け助けられ一緒に成長していきたいと願っています。