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ENJOY 2016 障害者支援の意味と疑問

障害者支援の意味と疑問

 

 障害者支援の現場に就いて今までたくさんのことを感じ、考えてきました。私の立場は支援員でありながら、障害のある息子の母親として、つまり利用者の家族としての見方もあります。昨年秋から障害者就労移行支援事業所の立ち上げ業務に携わり、現在もその事業所に勤めております。すでに起動している事業所に入社した支援員には見えない部分までみえていい勉強になりました。同時にいくつかの疑問、矛盾、課題をも私の中に抱えました。「これが障害者を支援するということ?」「こういう人たちが障害者を支援するのはどうして?」「どうしてこういう事業所が成り立っているの?」どうしても納得いかないこともいくつかあります。では、それを見て見ぬふりをするべきなのでしょうか?息子がいつかこういった支援を必要となったとき、事業所の利用者となります。そのとき、私は息子を安心して通所させられるでしょうか。時給、月給で働く支援員としては楽にすませたいというのも本心かもしれません。でも、それで支援となるのかな、との疑問も出てきます。本当の意味での障害者支援について疑問とそれについての私の思いを書いてみたいと思います。

サービス管理責任者

 福祉事業所における人員基準というものがあります。事業所に配置すべき人員の基準です。事業所を開所するために絶対的に必要となる職種と人員が決められています。サービス管理責任者という職務があります。事業所におけるサービスを統括するような業務です。サービス管理責任者は、個々の利用者についての心身の状況の把握(アセスメント)、個別支援計画の作成、定期的な評価(モニタリング等)を行い、一連のサービス提供におけるプロセス全般に関する責任を担うとともに、個々の利用者の障がい特性や生活実態に関する専門的な知識や、個別支援計画の作成・評価などの技術を持ち、サービス提供の質の向上という重要かつ大きな役割を担っている。また、他のサービス提供職員に対して技術的な助言や指導を行うスーパーバイザー的な役割が期待されているところである。サービス管理責任者の人材育成のあり方に関する調査研究)。サービス管理責任者となるためには資格があります。業務内容によって経験年数も異なるのですが、実際に勤める支援事業所とは異なる分野における業務と年数を経たことでサービス管理責任者となれることもあるのです。先日、私の知り合いが障害児(小学1年生から高校3年生まで)対象の放課後等デイサービスを開所し、サービス管理責任者となりました。「え、なんで?福祉経験ないのにどうやってサービス管理責任者になれたの?」と疑問がわきました。「だって、私、若い頃10年くらい看護師だったもん」と言われたとき、びっくりしました。えええ、看護師10年で福祉事業でサービス管理責任者になれるわけ? 看護師10年の後、出産を機に家庭に入り10年、それでいきなり障害児支援の管理業務?障害についてどれだけの知識があるのでしょうか?看護師は医療であって、福祉と全く同じではないと思います。別の事業所でも同様で、看護師を10年勤め、その後老人介護の仕事を5年勤めていた人が障害者就労移行事業所でサービス管理責任者となっていることがあります。看護師の資格は国家資格、老人介護は福祉です。でも、障害者についてどれだけ理解していますか?保育士という資格も同様に一定の期間保育士としての経歴があればサービス管理責任者となれるわけです。子供の保育をする保育士という仕事はとても尊敬する職業です。でも、だからといって大人の障害者の就労支援における個別支援計画作成に十分値するとは私は納得しがたいです。国家資格という括り、福祉という括りで、異なる業種の事業所でのサービス管理責任者となる資格ありとすることがいいことなのか、私には疑問です。障害を十分に理解していない人が作成した個別支援計画に基づいてすべての支援が稼動していくのです。それでいいのでしょうか?とくに理解しがたい発達障害精神障害の利用者さんの支援計画を十分な知識も理解もなく作成したところで、真の支援ができるのでしょうか?支援員の行っている支援や利用者の成長の評価を適切にできるのでしょうか?「知らなかったから」「そんなこと想定してなかったから」といった理由は通用しません。私はこのサービス管理責任者になるための資格については大いに疑問を感じます。もっと資格や基準を真の支援に近いところに持っていくことを望みます。

支援員

 支援員と一言に言ってもいくつかの種類があります。私が勤めている就労移行支援事業所であれば、職業支援員、就労支援員、生活支援員があります。それは利用者人数に応じてそれぞれの支援員の最低必要人数が決められています。利用者さんに直接接し、支援するのが支援員です。では、そんな重要な業務をする支援員になるためにどのような資格が義務付けられているのでしょうか。資格は不要、というのが現状です。昨日まで夜の接客業をしていた人でも今日から支援員になれます。先週までトラックの運転手をしていた人でも今週から障害者支援施設の支援員になれます。ということは障害や福祉について何も知らない、経験なし、という人が支援員として障害者の支援に直接携わるということです。これは、障害児の母としては本当に不安です。息子の障害を理解されずに接するということは息子がつらい思いをします。適切な接し方は保証されていないわけです。人対人の仕事なので、どんなに知識と経験があっても相手を傷つけてしまうことはあります。でも、知識と経験のないことで理解が欠けていたとしたら、それは「まあ、障害者をみてあげているんだから」という横柄さを感じます。実際のところ、「年齢が上がってくると就職も厳しくなってくる。福祉なら仕事があるからそれでいいか」という人も少なくありません。みんなそうだと思いませんが、そういう考えで支援員になっている人がいることも現実です。私は支援員という立場で仕事をし、利用者側家族として自分の足元をみています。私は「ユウちゃんがどんな支援を受けたいか?」「ユウちゃんはどんなふうに接してもらいたいか?」そんなことを念頭において支援をしています。利用者は発達障害ではないとしても、その障害に応じて対応することが大事だと思っています。「普通の人は」という言葉を使う人がいますが、それは障害児の母親として心に痛みを覚えます。「ユウちゃんは普通の人間ではないのか?」と。普通とは何をどこを基準にいうのでしょうか?健常者でも恵まれない環境にいることで精神病を患うこともあります。普通の人だったのに精神病によって異常な人になるということでしょうか?知識や理解がないということは言葉ひとつにおいても無意識のうちに支援に反することをしてしまうのです。「この程度のレベルなら」「そんなレベルなの?」という言葉も度々聞かれます。支援員は利用者をレベル付けする資格はありません。みるべき点は利用者自身なのです。同じ障害であっても、障害の度合い、性格、家庭環境、さまざまな要素によって症状は異なります。それはやはりその人自身をみて対応するべきことだと思います。そうするにはある程度の知識と経験、理解というのは支援員には不可欠かと思います。支援員は誰でもなれるのではなく、ある程度の規定や基準を設けるべきではないかと考えます。「障害者なのにそんなことできるの?」といった言葉を発しない支援員でいてほしい、と利用者側家族としては思ってしまいます。

目指すところ

 障害には先天的な障害に加えて精神疾患を含めた後天的な障害もあります。身体障害、精神障害、知的障害とあります。同じ障害でも軽度から重度まであります。障害とは何かと考えてみました。たとえば、職人技と呼ばれるとても細かなこだわりを持つ作品を作る職人と、小さなズレや違いも受け入れられない自閉症の人、どちらも「こだわり」があるのに、前者は評価され、後者は困った人と言われるのはどこが違うのでしょう。優しい気持ちで相手を思いやれる人と、相手のことを考えすぎて自分がふさぎこんでしまう精神疾患の人、どちらも「優しい」人なのに、どこが違うのでしょう。息子をみていると、細かいことにこだわりがあり「几帳面」であれば、「規則正しく」もあり、「正確性」にも長けています。でも、このこだわりがあるゆえに息子も苦しく、私たちの生活すらも大変になります。たとえば、駐車場からうちへの道中で息子が必ず側溝の金属ふたを三回踏んで音をたてます。この音が彼が思う音で三回ならないと彼はパニックを起こします。何回も何回もガチャガチャと踏み続け、それでも思う音が鳴らないと騒ぎ出します。強引に家に連れて入ったところで彼の金属ふたへのこだわりは満足できておらず、夜中に思い出して「ふた踏んでくる」と言い出すのです。では、竹細工の職人が竹の厚みを思うようになるまで何回も削ったりヤスリでこすったりという作業を何時間もしているのをみたとき、「いつまでもやらないの!」と止めますか?それによって家族の生活が崩れますか? 違いがあるとしたら前者は日常生活、社会生活に「困った」感があり、後者は社会生活の中で迷惑をかけることもなく、社会で評価されるようなものを創り出していることではないでしょうか。

 障害のある人が社会で人らしい意味のある生活を送れるように支えていくことこそが本当の支援ではないでしょうか。障害者支援事業所での支援は事業所に通所している間だけで終わってはいけないと思うのです。就労移行事業所であれば、利用者が就職したあとも仕事に定着することを確認しながら支援していく必要があります。では、就職後の支援をいつまで続けるのかが問題となります。就職後すぐに辞めてしまうことがないよう、通所している期間に「仕事をする人」となる訓練、その人に向いた職業を見出し、社会で生きていける術を身に付けることを支援していくべきだと思います。そして、いよいよ就職というときには仕事に適した社会人として送り出したいです。大事なことは通所している間だけではなく、地域で生活できる支援だと思います。人らしく意味のある生活を送ることは人が人として生まれてきた本来の意味・目的であり、障害のある人、精神疾患のある人がその意味や目的を達成するために支援することこそが福祉の役目だと思います。その役目を達成するために日本の福祉はもっともっと改善されていくことを望みます。