ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2016 歌

 

 私は人前で泣きません。娘の保育園での卒園式、当時父母会の会長だった私は涙もこぼれず堂々とあいさつを読み上げました。感動はします。でも、だからといって人前で泣くことはしません。あまりにもいろいろな経験をひとりで乗り越えてきたせいか、心は鉄のようになっているのかもしれません。泣いたらきっと膝をついてしまいます。膝をついたら立ち上がれない。誰が私を支えてくれますか?誰も支えてくれないのなら私は膝をつかないように立ち尽くします。それでいい、と思って生きてきました。ただ、テレビで「涙を流すことは心の浄化にいい。心の汚れを流してくれる」と聞いたことがあり、以来、すごく悲しいことやつらいことがあったときは、シャワーを浴びながら泣くようにしています。でも、シャワーから出たらもう泣かない。きれいさっぱり洗い流したらおしまい。悔しくても悲しくても感動しても私は絶対に人前では泣かない。息子の障害、私自身の大腸がん、夫の浮気、離婚、こんな経験を経て、私の心はちょっとやそっとでは他人に涙を見せない鉄のように固くなっていました。

 そんな私の心を大きく揺さぶる出来事が六年前、日本に戻って間もない頃にありました。ある人の歌を聴いて、涙があふれ出し、その涙を隠そうと必死になりました。その人は地元でシンガーソングライターとして活躍する弓立(ゆだて)まりさん。あまりの衝撃に心を打たれ、以来私は弓立まりさんの活躍を新聞や広報誌でひそかに気にするようになっていました。

 

 六年前、私はやっとの思いで日本に戻ってきました。ステージ3の大腸がんの手術を受け、抗がん剤治療、自閉症の息子は癇癪の真っ盛り、元夫の浮気が原因で別居、心身ともにギリギリの状態で日本にたどり着くように戻ってきました。3歳と4歳の子供たち抱えて抗がん剤を受け、私の心は他人を受け入れない氷のように冷たい状態でした。人前では感情を出さない人になっていました。

 ある日、娘の通う保育園で地元のシンガーソングライターの歌をきくという親子行事がありました。会場となる部屋も狭く、子供たちは母親の膝に座っていました。抗がん剤の副作用からか体力はなく、座っているのがやっとという状態の私の膝には三歳にしては少々大柄な娘が座っていました。娘を膝にのせていると温かくほっとしました。会場にギターをもった女性シンガーが現われました。その人こそが弓立まりさんでした。なにをみても心は動じない私なのに、彼女の声が私の心に響きました。混乱です。私は人前で泣かないんですから。そのとたん、「やばいなあ、ここで泣けないでしょう」とあせりました。人前で泣いたらその後どうしたらいいのかわからないのです。膝に座っている娘を盾のようにし、あふれ出す涙を隠そうとしました。よそ事を考えて気持ちを逸らせ、とにかく涙がこぼれないようにしました。すると、彼女が「息子は自閉症という障害があります」と言いました。私の心は釘付けです。え、日本にもわが子の障害を公表する人がいる。そしてその息子さんが四歳のときにつくったというオリジナル曲「君がいてくれてよかった」を聞いたとき、私は涙があふれ止まりませんでした。

「君がいてよかった」(詩・曲/弓立まり)

君は草の上に寝転んで

両手を思いきりのばして

見えない誰かを見つけて

うれしそうに目を細めてる

たぶん君は風と友達で

誰にも聞こえない声が

くすぐるようにささやいて

声をたてて笑ってる

今のままの君でいて

小さな天使のままで

大人になったら

失くしてしまうものも

君なら持っていられる

君がいて本当によかった

いつまでも君のそばにいさせて

 

この曲をきいていたら息子が一歳半の頃を思い出しました。お腹の中には娘がいて、毎日お昼過ぎになると私は息子をストローラーに乗せて散歩に出かけました。春でした。草花が咲き、風でそよそよ揺れていました。息子はまだ言葉が話せず、周りから心無いことも言われていました。私は息子と話したかった。でも、どうしたらいいのかわからなくて寂しくて悲しくて、でも、息子の小さな成長に期待をふくらませていました。いつか、息子の心がみえるようになる、と願っていました。家の前の庭に小さな黄色い草花が咲いていました。散歩から戻り、ストローラーを止め、家の鍵を探していました。ふと息子をみると、息子がストローラーから身を乗り出してうれしそうに笑っているのです。風に揺れる黄色の草花をみてうれしそうに体を揺らせて笑うのです。「ゆうちゃん、おもしろい?」息子はひたすら笑い続けました。なにがおもしろいのかはわからなかったけれど、この黄色の花が風に揺れると息子が喜ぶとわかったことが本当にうれしくて、以来黄色の花が枯れるまで来る日も来る日も黄色の花を見ていました。私にはみえない、私にはわからないなにかがおかしかったのでしょう。それでも、うれしそうに笑う息子がうれしかった。まりさんの曲を聴いて、こんなおだやかな春の日を思い出し、涙があふれ、あの頃まだ生まれていなかった娘を膝の上で抱きしめ、ずっとずっと大変な日々をすごしてきたけど、子供たちがいてよかったと心から思いました。

 

 まりさんとの出会いはそれだけで直接話したわけでもないのに、私は一方的に彼女の活躍に興味を持ち、新聞や広報誌でみていました。私は芸能人でも身近な人でも自らが他人の活躍を追うことはありません。他人にはそこまで興味を持たないのです。自分と子供たちのことで精一杯なのですから。まりさんは「まりいず」というバンドで活躍していて、聴覚障害のある自閉症の子供の母親。自閉症の子供の子育ては決して楽ではありません。私自身も「大きくなれば手がかからなくなる」という健常児の子育てに反するような息子にため息をつくことは度々あります。まりさんもきっと楽しいばかりの子育てではなかったでしょうが、彼女の声は天使のように澄んでいて、とびっきりの笑顔をみせてくれるのです。私は「なんでこの人はこんなに笑顔でいられるんだろう。」と不思議に思っていました。

 

 今年になり、私はまりさんが活躍するもうひとつのグループ「自閉症啓発キャラバンSwing」に参加させて頂くことになりました。初めて定例会に参加すると、そこにはまりさんがいました。「おお、弓立まりさんだ」と滅多に緊張しない私が緊張しました。六年前と同じ笑顔でした。「なんでこの人はこんな笑顔でいられるんだろう。」疑問が再びよみがえってきました。定例会の帰り際に「まりいず」のコンサートの案内をいただきました。あれから六年がたち、私の生活もずいぶん安定してきました。良くも悪くも動じない心は健在です。

日曜日の昼下がり、子供たちと一緒にまりさんのコンサートに出かけました。相変わらずの天使の声に心が揺さぶられました。そして、六年ぶりの「君がいてよかった」です。六年前に初めて聴いて今回が二回目だというのに、なんだか懐かしい昔いた場所に引き戻されるような気持ちになり、一歳半の息子が黄色の草花をみて笑っていたことを思い出しました。また涙を隠しました。なんで、まりさんの歌をきくとあの時の息子との時間がよみがえってくるんだろう。

 

 まりさんは自分が歌っていられるのは自閉症の息子さんのおかげだといいます。知らなかった世界を知ることができ、自分を見つめなおす機会をもらった、と。私がずっと苦しんできたのは自分を他人と比べてしまうことでした。私はみんなが持っている「普通」というものにあこがれていました。普通の生活、普通の子育て、普通の家庭、私にはそういう普通がありませんでした。だから毎日を生きることが苦しかった。まりさんが歌にこめたメッセージは、命の大切さ。「障害があってもなくてもみんな大切な命。みんな必要とされて生まれてきたんだよ。だから、自分を大切にしてほしい。そして、まわりの人のことも大切にしてほしい。他人とくらべるのではなく、自分にできることを頑張ってほしい。辛いことやいやなことはあるけど、それと同じくらい満足できること、好きなことを見つければがんばれるよ。ひとりでがんばりすぎないで。」

まりさんの歌で私が涙したのは、息子の笑った顔にこめられた命の大切さを思い出したからかもしれません。毎日を生きることで精一杯だったあの頃、人に心を見せずに大きな鎧で身を固めていた私。鎧をはがされることを恐れていました。子育てや生活の大変さからたくさんのことを見失っていたのかもしれません。子供たちが私のもとにきてくれた意味、今を生きている意味、まりさんの歌にこめたメッセージはこちょこちょと私の心をくすぐり、鎧を取り除いてくれた気がします。どんな中にいても、どんな状態であっても、どんな命も平等な価値を持っていること。まりさんの歌はこれからも人々の心に優しさを吹き込んでくれるでしょう。