ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2016 母娘

母娘 

 子供たちの夏休みが始まりました。今年の夏休みは今までとは異なり、親子三人がそれぞれの場で生きるようなちょっとだけ子離れを感じるすごし方をしています。特別支援学校に通っている息子の宿題はもっぱら日常生活に沿ったものが多く、お手伝いとか買い物、運動などがメインで、国語と算数の宿題は一日で終わってしまうくらいのものです。それに反して娘の宿題は年々増えているような錯覚を起こすほどの量で、夏休み初日に計画を立てておかなければ夏休み最終日に痛い目にあうのが目に見えています。小学四年生となった娘はいよいよ部活動で過ごす夏休みを迎えています。宿題だけでなく、毎日学校の部活動に行っています。「夏休み、ゆっくりと休んで九月から元気に登校してきてください」とは、日本の小学生には当てはまりませんね。私は仕事、息子はデイケア、娘は部活動、「ゆうちゃん、バイバイ!」「ママ、いってらっしゃい」「まあちゃんも気をつけてね」こんなふうにして私たち三人の毎日が始まります。

 

 息子に障害があることもあり、娘には小さな頃から十分に甘えさせてきたのだろうかと思うことがあります。一歳半上の息子は発達ものんびりなので、娘が1歳を越えた頃にはすでに精神的発達や行動は同じくらいになり、娘が二歳のときにはすでに娘が越えていました。娘はその頃からしっかりとしていました。オムツが取れていない時期でしたが、取り替える時間になると自分とお兄ちゃんのオムツを持って、自分でオムツをはき替えたり、「ママ、ぬうちゃんの(まだゆうちゃんと発音できなくて、お兄ちゃんのことをぬうちゃんと呼んでいました)」と私に息子のオムツを持ってきてくれました。まだ二歳でありながらしっかりしている娘に私は手抜きをしてばかりでした。息子が多動もあり、本当に手がかかったため、それを言い訳に娘には「まあちゃん、これ、自分でできるね~」といいながら、ついつい娘のことは後回しになってしまっていました。幼いながらもどこかでこういううちの事情を感じていたのか、小さなわがままこそあれど思い出に残るようなすごいわがままも言わず、我慢もさせてきたことだと思います。

 

 娘は親の私がいうのもおかしいのですが、本当にかわいい子です。わがままはそれほど言わない子でしたが、いつもどんなときも「ママ、ママ」と私を追っていました。「ママ、みて」「ママ、やって」それが口癖のようにいつも私のそばにいたがりました。それは四年生になった今も変わりなく、「ねえ、ママ」「ママ、みてみて」とうちにいる間はほとんど言っています。そろそろ恥ずかしいという気持ちも出てくる頃でしょうが、娘は自分の体の成長や心の変化などを話してくれます。年齢的に不安定な部分も出てくる頃で登校前に泣き出すこともありました。そんなときも私のところに来て「ママ、抱っこして」と言いながらしがみつき、それから自分の気持ちの中にあることを話してくれました。「ママがそばにいることがわかるように」と私のボディースプレーをプシューッと服の下にかけてあげると魔法にかかったように笑顔を見せ、「いってくるね」とランドセルを背負って行きました。日本に戻った頃はよくいじめられて泣いていました。「ガイジン」と言われ、仲間はずれにもあいました。ガイジンだからと手をつないでくれないこともありました。そんなときも今も娘は決して友達の悪口を言いません。「嫌だなあとか苦手だなあと思う子はいるよ。でも、それだけだよ。別にそばにいかなければいいじゃん」と言います。感情と行動を切り離しているような、私よりもずいぶん大人の部分も持ち合わせています。ただ、いじめられたという感情は娘の中には残っているのでしょう、テレビ番組でいじめをテーマにした討論やドラマがあると、「テレビ、やめて。チャンネル変えてくれない?」と嫌がります。

 

 三年生になったくらいから、「四年生になったら部活が始まるんだけど、何に入ろうかなあ」と友達と話すようになったらしく、頻繁に「ママは何部がいいと思う?」「ママは何部だった?」と訊いてくるようになりました。娘とそんな話をしていたら、自分が小学生の頃のことを思い出し、時々娘に私の思い出話をするようになりました。私はチビでした。いつも背の順に並ぶと小さいほうから二番目でした。娘はその逆で背の高い方から2-3番目です。同じ三月生まれなのになんでかね、と二人で笑いました。私は靴のサイズも小さく、3年生の頃は早く21cmの靴を履きたいと願っていました。 なのでおそらく20cmくらいの靴を履いていたのでしょう。 それに比べ、娘は3年生ですでに23cmの靴を履いていました。「ママね、チビだったけど、やたらと肺活量があったの。だから、水泳で25mくらいなら息継ぎなしで泳いでいたの」とちょっとしたチビの自慢話をしてみたら、娘は興味津々となり、「ええー!25mを息継ぎなしで泳げる子なんていないよ」と目をまん丸にして言いました。「ママ、小さかったんでしょう。それで25m息継ぎなし?それじゃあ、金魚みたいじゃん」と娘の表現もすっとんでいます。学校では、25m泳げると水泳帽子が白色をかぶるようになります。25m泳げない子は赤い水泳帽子です。なので、3-4年生が大きな切り替わりのときで、25m泳げる子が続々と出てくるのです。プールは好きだけど水泳がそんなに得意ではない娘は息継ぎができません。なので25m泳ぐというのは絶望的な話で、かといって高学年になっても一年生と同じ赤い水泳帽子というのはプライドが許せないそうで、夏のたった1ヶ月しかない水泳の授業ながら本人は悩んでいたようです。そこにきて、チビが息継ぎなしで25m泳いだと聞いたわけですから娘はその魔法を知りたくてたまりません。「ママね、部活でトランペット吹いていたの。トランペットは肺活量が要るんだよ。すごい勢いで肺から息を出すからね。だから、トランペット吹くようになってから25mは息継ぎなしで泳げるようになって、五年生になってすぐの水泳のときに白帽子になったの」と話しました。「ママはブラスバンド部だったの?トランペット吹いていたら25m泳げたの?」娘は楽器よりも25m泳げる可能性のほうが魅力的だったのかもしれません。それから毎日のように翌年から始まる部活動のことを二人で話すようになりました。娘は「25m息継ぎなしで泳げるようになりたいからやっぱりブラスバンドがいいかな~」「でも、ゆなちゃん(大親友)はバレー部に入るって言っていたから一緒がいいけど。。。でも、まあはボールに当たるのが怖いし走るの遅いからバレーは無理だしなあ~」と、いろいろな思いに揺れていました。ひとつだけはっきりしていたのは「陸上部は絶対無理」ということです。娘は走るのが大の苦手、マラソン大会が苦痛、運動会の徒競走ではドベ2(最後から2番目)を目指すくらいなのです。部活動は楽しまなくてはいけません。私が子供の頃は運動系の部活動は「しごき」が当たり前でした。私は何事も楽しんでこそ身になるというのが基本的な考えなので、娘には好きなことや興味のあることで部活動を楽しんでもらいたいと思っています。わざわざ苦手で苦痛となることをやる「忍耐」にそこまでの価値は感じないのです。克服は大事ですが、我慢とか忍耐は私の価値観から外れるのです。

 

 そうこうしているうちに娘は四年生となり、部活動を決める時期になりました。 ある日、娘が「ママ、ママはトランペット吹いていたんだよね?トランペット持っていたの?」と訊いてきました。たしか、実家にまだ私のトランペットがあったはず。もう何年もいやいや、何十年もみたこともなかったトランペットをうちにもってくるとなんだか感慨深いもので、子供の頃の自分を連れてきたかのような気がしました。ケースを開けるとトランペットがあの頃の私のようにこじんまりとおさまっていました。「ママ、まあはトランペットがやりたいからブラスバンド部に入るよ」と言いました。理由はいくつかありました。「トランペット吹いてプールで25m息継ぎなしで泳げるようになりたいから」「運動部は向いてないから」「バトン部はバトンをまわしているときに隣にいる子をバトンで叩いてしまいそうだから」「落語部にはすごく惹かれたけど、落語部に入る人は他にもう一つ別の部にも入らないといけないっていうから、二つは無理だから」などなどいろいろな理由がありました。最後に言った理由は「まあは、ママと同じ部活をやりたいから」でした。「ママはマウスピースの練習を半年近くやらされて、それからやっとトランペットを吹かせてもらえたんだから」と話すと、「じゃあ、まあはマウスピースをたくさん練習して半年もかからないでトランペット吹くようになるからね!」とはりきっていました。

 

 娘が学級写真を持ってきました。背の高い娘は最後列です。みんな真面目な顔している中、娘はひとりとびっきりのスマイルで写っていました。その笑顔が私の子供の頃にそっくりでした。同じ顔で笑うんですよね、母娘って。かつて息子の世話をする私を遠くからみていた娘が、いつの間にか私と同じ顔して、「お兄ちゃん、早くはみがきして。はみがきしたらベッドメーキングしなさいよ」と同じ口調でお兄ちゃんを助けてくれるようになりました。部活動が始まって一ヶ月がたち、夏休み中毎日マウスピースを持って部活に通っています。先日、娘が飛び跳ねて喜んでいました。「ママに勝った!まあ、今日からトランペット吹いてるよ。マウスピースの試験に合格したから楽器を吹いていいって!まあ、マウスピースの練習に半年もかからなかったよ!」 そして昨日、「ママ、プールで24m息継ぎなしで泳げた!みんな、びっくりしていたよ。あと1mで白い帽子だよ!」とプールから走って帰ってきました。こうしてひとつひとつ追い越されていくんですね。ガイジンと言われ、外見が違うからと言われてきましたが、結局はママと同じ顔になるんですよ。それが母娘なんですね。これからどんどん成長し私を追い越していくんでしょう。でも、いつまでも私の娘でいてください。いつまでも「ママ、みてみて」とたくさんのことをみせてください。そして、いつまでも私と同じ顔で笑っていてください。