ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2017 共同生活

共同生活

 

 私は他人との共同生活がもともと得意な方ではありません。大学時代も学生寮で全く知らない他人とルームメイトとして部屋をシェアすることは考えられず、人生で最も信頼していた友達のおうちに居候していました。その友達、Joelは私より17歳年上の家族ぐるみの友達で、他人とのハウスシェアというより叔父さんちに居候という感じでした。叔父さんと姪の共同生活は6年続き、その前にも後にも私は他人との生活に心地よさを感じたことはありませんでした。小学校の野外学習、修学旅行もたった二泊三日ではあるものの、他人と寝食を共にすることは苦痛でした。シナリオライターの助手をしていた時は住み込みでしたので、もちろん他人との共同生活でしたが、「仕事」と割り切ることで乗り越えることはできました。よく結婚生活を送れたなあ、と思われるかもしれませんが、逆にいえばだから離婚したとも言えるかもしれません。

 婚約者のグレッグがうちに越してきました。彼は人生通して独身で生きてきた人、私はバツイチで二人の子持ち、その上息子は自閉症ですから、生活スタイルはお互いにかなりかけ離れています。私はシングルマザーですから、当然のことですが、時間もなく毎日追われるように暮らしています。生活はすべて私の肩に乗っかっています。「あー、疲れた、仕事さぼりたいな」と思っても、そんなことをしたらうちの生活はすぐに傾いてしまいます。がんばって働いて、家事をこなし、障害のある息子の世話をし、その合間に娘の宿題をみて、一日はあっという間に消えていきます。毎日自分のことまで手が回らないくらいに忙しく暮らしております。独身のグレッグは時間はすべて自分のために使えるわけですから、私とは真逆に生きてこられたようです。そんな私たちが一緒に暮らすことになりました。共同生活が始まり早一ヶ月が過ぎようとしております。

 私が独身であれば、私と彼との関係だけでいいとしても、私には子供たちがおります。一緒に暮らすことになれば子供たちも巻き込みます。生活の変化に思春期の子供たちの反応は微妙なものです。それまで「ママとなかよしのオジサン」と思ってなついていた人が、あるときからうちで一緒に住むようになり、ご飯を食べる時も一緒、週末のお出かけも一緒、友達にみられたら「あのガイジンさん、誰?」ときかれ、娘にとっては「私が望んだわけではない」生活が舞い込んでくるわけですから複雑な思いに駆られるでしょう。二ヶ月ほど前のことです。娘に「グレッグがここに越してくることになる」と話したとき、娘は「嫌だ」と泣き出しました。「ママとユウちゃんとまあちゃんだけの暮らしがいい。他には誰もいらないから。うちにダダ(ダディーのことです)がいなくてもいい。まあちゃんは三人だけでいたい。」と言って泣きました。私は娘を一人の人として向かい合うときがきたと覚悟しました。日本では片親が親権を持つため、親が離婚することは片親を失うことと同様で、親の再婚は他人がある日から自分の新しい親になることとも受け取れるでしょう。娘の学校で、夏休み明けから苗字が変わった子がいるそうです。「xxちゃん、お母さんと二人暮らしだったけど、新しいお父さんができたから名前が変わったんだって」と娘が話していました。おそらく、娘にとってグレッグが来ることはその状況に自分がおかれたと思ったのでしょう。私は、離婚は夫婦間のもの、親子関係は断ち切れないもの、と思っているので、私の再婚相手はグレッグでも、それはママのパートナーであって、子供たちの父親はあくまでも元夫だと考えております。それは私の考えとして、娘は典型的日本人の考え方を身につけています。「ママにはわからないんだよ。まあちゃんは知らない男の人と同じ家に住むのはいやだし、家族だとみんなに思われるのもいや。」と泣き、「三人のままでいたいよ。ダダいなくてもいいから、ママだけでいいから、三人だけがいい。」と訴えてきました。ここ一年ほどは娘とぶつかりあうことも増えました。意見の相違だけでなく、私の言うことが娘には威圧的に感じることもあるようです。娘には娘の社会ができてきており、いつまでも「ママのまあちゃん」ではなくなってきました。私の押さえは効かなくなってきたのです。

 「まあちゃんはまあちゃんのままでいいよ。ママはこのままのまあちゃんが大好きだから、まあちゃんは変わらなくていい。まあちゃんとユウちゃんのダダはダダのままだし、ママがそれを変えたりできるものでもない。グレッグはママのパートナーになるとしても、まあちゃんのダディになるわけじゃない。まあちゃんたちがグレッグをダディーみたいな人と思える日がくるかもしれないし、こないかもしれない。それは別にいい。ママとユウちゃんとまあちゃんが親子であることは世界がつぶれても地球がぶっとんでも変わらないことなの。三人は今もこれからもずっと親子なの。ママはどんなことがあってもユウちゃんとまあちゃんを守るし、怒ったり泣いたりけんかしたりしながらもずっと親子でいるから。それだけは忘れないでいて。グレッグとは今まで通りなかよくしてくれたらうれしいけど、無理だったら、意地悪や嫌な態度しないことだけは人として守ってね」と話しました。娘は泣きながら、「できるかわからないけど。ママとユウちゃんとは一緒だよね」とうなづいてくれました。娘にとって大きなできごとでした。

 実際、彼が越してきて、同居するようになると、生活はいろんな意味で変わりました。私たちの生活は、自閉症の息子がいることもあり、常に時間ごとのスケジュールに沿った流れをしています。グレッグは独りでの暮らしが長いせいか、自由気ままに動きます。我が家の朝は闘いです。「早く起きて!」「もう七時だよ!」「一体何時間かけてトースト一枚食べてるの!」と私の声は機関銃のように子供たちを追い立てます。それにくらべ、彼は目が覚めるとまずはベッドの上に座り込みコンピューターやらiPhoneを開いてしばらく動きません。私は基本的に前夜のうちに翌朝のしたくはしてあるのですが、彼は朝になってから電車の時間を調べています。その上で「9時半の電車に乗りたいんだけど、何時にどうやって行けばいい?」と、私と息子の出かけ間際に言うわけです。うちから駅まで彼を送らなければならず、「なんで今言うかな。ユウちゃんをデイケアに送らないといけないのに」と言えば、今度は「自分で行くからいいよ。行き道を教えて欲しい」と言い出す始末です。朝の忙しい時間にバスでの駅までの行き方を教えてる時間はありません。

 お金の使い方もお互いに異なります。私はセールが大好きだから、すぐにセール品を買ってしまいます。スーパーで10円でも安い方になびいていってしまうのに、彼は欲しいと思えば金額を見ずすぐに買ってしまいます。ひとりの人がどうしてiPhoneiPadApple Watchを持つ必要があるのでしょう。便利さを追求する余裕なのでしょうか。有料ゴミ袋には、ごみをパンパンになるほど詰め込んで捨てる私ですが、彼はゴミ袋をいくつも出してきてはゴミを少しずつ入れて捨てています。価値観の違いなのかもしれません。独りなら自分の欲しいものを最優先できるでしょうが、子持ちの私はまずは子供であり、家庭が最優先です。無駄な出費は省きたいと思うものですが、彼の優先するものは私の価値観からみると「無駄」と「もったいない」ものにあたるのです。

 もしも私が暇をもてあます人であったなら、おそらく彼の行動にいちいち腹を立て、苛立ちを感じたかもしれません。幸か不幸か、私には時間がありません。どうでもいいことに目を向ける時間もありませんので、彼の行動について「なんだか不思議、この人」と思うことこそあれど、腹を立てる余裕すらありません。最近思うのは、娘がよく笑うようになったことです。グレッグは元高校の音楽教師ですし、娘は現在学校のブラスバンド部でトランペットを吹いています。プラス、ピアノも習っています。お互いに音楽という共通の話題があるらしく、二人並んでクラシックやジャズのビデオをみています。私が息子の世話をしていると、二人でふざける姿をもみかけます。ぶつかり合うかと覚悟していた二人がなかよくしてくれているのはうれしいことです。娘はもともと自分の気持ちを上手に表現できない子でした。それが最近は自分の思いを話してくれます。以前は私に余裕がなく、娘の話を聞いてあげる姿勢をみせてなかったのかもしれません。夕飯の食卓も笑いが飛び交います。娘があんなに笑う子だったことを初めて知った気がします。

 「家族になるんだから」「一緒に暮らすんだから」と気負うとみんなが疲れてしまうかもしれません。四人それぞれがお互いをリスペクトし、自分を大事にできる生活を送れたら理想です。私たち四人はたくさんの異なる要素を持っています。子供たちはブラックと日本人のミックス、私は日本人、グレッグはホワイト。一般的な日本人家族のようにひとつの苗字にそれぞれの名前ではなく、苗字も合計すれば我が家には三つの苗字が存在します。娘はこんな集まりを嫌がりながらも実際には結構楽しんでもいるようです。「ねえ、ママ、男たちってどうしてこうなんだろうね」「ねえ、ママ、グレッグが袖にジャムがついたとかってママを呼んでいたよ」娘は父親のいる家庭生活をよく知りません。きっと今も手探りでいるのかもしれません。グレッグが入ることでどこか偏っていた私たち三人の生活が少しバランスを保てるようになったのかもしれません。先日四人で遊びに出かけて帰りが少し遅くなりました。今まで夕暮れ前にはうちに戻っていた私たち三人でしたが、よそのおうちみたいに暗くなってから帰ることもできるようになりました。「ねえ、ママ、帰ったらみんなで協力して早くご飯すませて、早く寝ようか」娘はうれしそうに言いました。異なる要素の持ち寄りだから歪な形かもしれませんが、その歪さが私たちのシンボルとなるような新しい家族となれたらいいな、と願っております。