ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2017 私たちの文化

私たちの文化

 

 朝晩の風が日に日に秋を感じさせ、この時期になると私は1997年渡米した秋を思います。その年の夏に渡米し、秋から夢にみたアメリカでの大学生活を始めました。あの頃はなにもかもが新しく、いい意味で新鮮であり、逆の意味では「なんか変」「ありえない」「なに、これ」を感じていました。「住めば都」というように、数年も住んでいるとアメリカでの生活が当たり前となり、日本の生活に違和感を感じるようになりました。七年前、私たち親子がアメリカから日本に戻って以来、私は日本の生活に「なんか変」「ありえない」という思いを抱き続けてきました。先日、主人(カリフォルニア出身)がアメリカに一時帰国しました。主人は、五月に父親を亡くし、八月に兄を亡くしました。短期間に二人も身内を亡くしました。残ったきょうだい三人で、亡くなったふたりのお弔いをすることになり、四年ぶりの帰国となりました。主人は四年前に来日して以来一度もアメリカに帰国しておりませんでした。たったひとりで日本に来て、今は家族持ちの「ダディー」となった主人、今回の帰国は彼にとって不思議な想いに駆られた時間だったといいます。

 主人は双子の弟です。双子のお兄さんは主人を訪ねて、毎年日本に来ているそうですが、お姉さんとはもう何年も会っていなかったといいます。主人にとって家族というのは「両親、お兄さん、お姉さん、双子のお兄さん」という関係が五十年以上続いていました。その間に、お母さんが亡くなり、そして今年はお父さん、お兄さんが亡くなり、残った家族は三人となっていました。でも、主人は今年の春、私と結婚し、子供たちと私と彼の四人生活を送るようになりました。結婚、特に子連れの再婚は決して楽しいだけではありません。それまでにお互いに自分たちの生活を築いていた者同士なので、一緒に暮らすことでぶつかること、譲れないこと、我慢することもあります。というより、そういった感情がほぼ毎日のように続く時期もありました。「なんで、この人と一緒になってしまったんだろう」、そう思うこともありました。主人とぶつかる娘をみると、なんでこんな争いをみていなきゃならないんだろうとも思いました。お互いに話さなくなったこともありました。それでも、私たちが別れなかったのは、私たち四人がお互いに努力しているからです。私たちは元からの家族ではないので、家族を作る努力が必要なのです。自然に家族になった、という再婚者もいるでしょうが、私たちは努力をします。それぞれが「家族」という形を築こうと努力するから、我慢もしますし、ぶつかりもします。でも、そこには「家族」という形があるから、乗り越えられるのです。自然にできあがった加家族ではないから、私たちはそれぞれの構成要素を心得ています。だから、ぶつかったときでも、その要因を理解しやすく、我慢するときでもその度合いをもわかっています。それは自然にできあがった山ではなく、ブロックを積み上げたピラミッドみたいな家族です。主人は赤ちゃんの頃からずっと一緒に育ってきたお姉さんと双子のお兄さんを家族と思っていたものの、実際帰国してみると、彼の生活はすでに私たち親子とのピラミッドの一部に組み込まれており、お姉さんやお兄さんはあくまでもきょうだいでありながらも「家族」という形があてはまらない不思議さを感じたといいます。血のつながらない妻の子供たちではあるけれど、主人は自分が「弟」という存在よりも「父親」という方がピッタリすることをあらためて感じたそうです。

 テレビでは毎日アメリカのニュースを見ているし、彼は毎日のように双子のお兄さんとフェイスタイムで話しています。だから、浦島太郎のようにいきなり別世界に飛び込むことはないはずでしたが、実際に四年ぶりにアメリカの地に立つと不思議な戸惑いを感じたそうです。車で通る道はよく知っている道、子供の頃から住んでいた街は歩きなれたはずの道であり風景であり、それでも自分がどこかから来た人になったような違和感を感じたそうです。かつては当たり前に買い物をしていたスーパーに入ると、あまりにもたくさんの種類のワインが並んでいることに驚き、あふれるばかりに並んでいる果物の多さに目を見張ったそうです。かつてはそれが当たり前だったことは意識の中にあるものの、今その光景に驚いている自分がとても不思議で正直に驚く気持ちと、その裏でなぜ驚いているのかと客観視する気持ちもあり、その間にいることにカルチャーショックを感じたそうです。当たり前のように読んでいた地方紙が、日本の新聞にみなれたせいか、妙に薄っぺらく小さく感じられ、周りで英語とスペイン語ばかりが聞こえてくる環境がなぜか異国に感じられたといいます。

 アメリカで何年も暮らしていらっしゃるみなさんも日々の生活の中、または一時帰国した際にカルチャーショックを感じた経験がおありかと思います。一時帰国から戻ってきた主人と話す中で、私たちは文化の中で生きることを知りました。家族のあり方も文化の中にあるのかもしれません。文化とは、国ごとの単位ではなく、人が人間として暮らしていく様式だと思います。私たち家族は独自の文化を築いています。それは、アメリカ人の主人がアメリカでの生活に戸惑い、日本人の私が日本の生活に戸惑い、それでも「家族」という中で生きる私たちが努力している日々が私たちの文化だと思います。