ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2018 日本語発表会

日本語発表会

 

 主人との生活が始まって一年になります。今思うと、本当にたくさんのことを乗り越えてきたなあというのが実感です。やはり、最初の結婚のときのように私と相手だけの生活が始まるのとは異なり、私には子供たちがおり、主人は半世紀もの間独り身で生きてきた人です。私は息子が生まれて以来、私という人間であるよりも母親という職業人というような生き方をしてきています。自分のことよりもまずは子供たちを考えてしまうのです。それとは逆で主人は自分のみの生活を送ってきたため、まずは自分が出てきます。こんな私たちが一緒に暮らすようになり、いろんなことにぶつかり、つまずき、それでもあきらめず、暮らしてきました。

 先日、主人の日本語発表会がありました。彼に感謝することのひとつとして、彼は子供たちと話すために日本語を勉強してくれていることです。なんちゃってアメリカ人の娘は日本語しかわかりません。五歳までアメリカで英語を使っていた息子も今では表出する言葉は日本語です。主人と私の会話は英語と簡単な日本語です。そこで主人は自分が日本語を勉強して、子供たちとより深い会話をするといって一生懸命に勉強してくれています。ときどき、おかしな日本語を話します。「東京には人がおっぱいいます」といった間違いは日常茶飯事です。それでもいつも日本語を話そうとがんばってくれています。一ヶ月ほど前に、私たちは多文化交流のイベントに行き、そこで日本語教室をやっている方と知り合いました。以来、主人は土曜日になると図書館に行き、日本語のレッスンを受けています。そして、先週その教室の発表会がありました。

 普段、主人と出かけることを嫌がる娘ですが、日本語発表会には「見に行こうかな」と一緒にみに来ました。教室に新入りの主人ですので、発表の順番も最後のほうです。待てど暮らせどなかなか順番がきません。「ねえ、まだぁ?いつ?」とぶつぶつ言う娘ですが、帰ろうとは言いません。途中休憩になり、主人の先生がきて「次に始まったら、3番目ですからね」と言われました。おかしなもので、一番どきどきしていたのは娘でした。休憩がおわり、しばらくすると主人の番になりました。すっと席をたち、前に歩いていく主人をみて、娘は「失敗しませんように」と小声でつぶやきました。この子、本当は主人のこと好きなんだな、と思いました。先生の名前を間違えて「ミライ先生」と呼んでしまい、私と娘は目をあわせ、先生はびっくり顔。大丈夫かなと思っていましたが、一分間のスピーチ、なんとか無事に終えることができました。

 主人の発表会の帰り、娘が「この市にアメリカ人は何人いるの?」と訊きました。「72人。私たちの学区にはアメリカ人は1人だけ。」「だれ?」「グレッグだよ。あなたたちは二重国籍といって国籍をふたつ持っているから、日本にいるときは日本人なの。グレッグが唯一のアメリカ人よ」「ひとりっきりのアメリカ人かあ」こんな会話をしていると、娘はふとこんなことを言いました。「私もグレッグと一緒に日本語教室に通おうかな」。娘は外国人だということでいじめられましたし、ミドルネームがあることでからかわれました。日本人の中にいるとめだってしまうため、自分を隠そうとしてきました。主人の日本語発表会で、片言の日本語で一生懸命話しているたくさんの外国人と出会いました。娘は今までになかった心地よさを感じたようです。

 娘はずっと自分をかくそうとしてきました。みんなと違う外見を嫌がり、かくれてそっと過ごそうとしていました。でも、主人と暮らすようになると今まで以上に目立つようになり、我が家は隠れることもできない目立つ一家となりました。娘は人と異なることを嫌がってきました。だから、主人と出かけることを嫌がるようになりました。そんな娘の心のドアを開けたのが主人でした。主人が日本語を勉強する姿、そして発表会で自分のようにみんなと異なる容姿をした人たちと出会い、自分が自分として生きていこうという姿勢を見出したのです。主人との生活はいつもいろいろなことがあります。それはよくもそうでなくてもです。私ができなかった娘のアイデンティティを奮い立たせてくれたのは、主人です。こうして私たちの不思議な生活は二年目を迎えます。不思議ではありますが、悪くはないかなと思います。