ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2018 別れのとき

別れのとき

 

 三月、桜咲く中、お別れの時が来ました。息子、ユウちゃん、12歳、自閉症、特別支援学校小学部を卒業いたしました。かたつむりのように大きなランドセルを背負っていた小さな男の子があっという間に中学の制服の似合う少年になっていたのです。

 卒業式を前に、私は娘の入学式以来クローゼットの肥やしとなっていた黒いスーツが着られるかどうか不安になり、何年かぶりに袖を通してみました。「おおお。。。これはなんてことでしょう」スーツの中に体が入るには入ったものの、くしゃみをしたらボタンは飛びそう、「ユウちゃん!」と手を振ろうものなら袖はべりっと剥がれそうな勢いなのです。スーツを着ている限り、呼吸すら思うようにできません。思い起こせば、このスーツを買ったとき、私はまだ大腸癌再発の経過観察の時期で、たしかに痩せていました。このスーツでさえ、ぶかぶかしていたのです。あれから六年が経ち、私は健康であることに感謝しながらも、身に付いたぶよぶよの脂肪のすごさにも驚いてしまいました。これはまずいぞ!と短期集中ダイエットに取り組むことにしました。とはいえ、私は根気のない人間ですから「長期にわたってゆっくりと」というダイエットは絶対に無理なので、卒業式までの3週間、目標は「スーツを着れるようになること」としぼりました。

 毎日、食事の中心は野菜サラダ。朝はフルーツグラノラとコーヒー、お昼は山のようなサラダ、夕飯はわりとなんでも食べるのですが、炭水化物だけは避けるようにしました。ま、わりと楽なダイエットなのですが、食べることが大好きな私にとってはある種の挑戦とがんばりでした。私がダイエットに取り組むその頃、息子たちは卒業式の練習を毎日やっていました。息子は障害というより彼の個人としての性格として、超恥ずかしがりやで、人前で発表するとか舞台に立つとかいうことが本当に嫌でたまりません。小さな頃はどういうわけか目立つ存在で代表として人前に立つことが多かったのですが、それが彼にとってストレスとなることを先生方が考慮してくださり、しばらくは裏方に徹することが続いていました。しかし、卒業式では小学校生活最後の締めくくりとして「別れの言葉」を読み上げる代表に選ばれました。担任の先生から「おそらくストレスとはなるでしょうが、ここはひとつがんばってもらいましょう」と言われ、私たち家族も応援することになりました。比べ物にならないでしょうが、私のダイエットと並行して息子の卒業式の練習が行われていました。毎日、連絡帳に「今日もがんばってできました。別れの言葉の台詞は覚えたようです」「立つタイミングを自分ではかることができています」などと日々の経過報告を受け、それが私のダイエットの励みとなっておりました。

 「ママ、ユウちゃんの卒業式で泣くでしょう?」と娘がニヤニヤと笑いながらきいてきました。「え、なんで?ママ、うれしいから泣かないよ」というと、娘は「うれしくて感動して泣くんだよ。お母さんたちはみんな泣くんだよ」とビックリ顔で言いました。私は卒業式で泣いたことがありません。といいますか、私は基本的に人前では涙を流したことがないのかもしれません。自分の卒業式でも「やったぁ!卒業だ!」とうれしくてガッツポーズをしたものの泣くことはありませんでした。留年したらそれこそ悲しくて泣けてしまいますが、無事卒業できてうれしいわけですから、涙や鼻水でぐちょぐちょになることはありえません。子供たちの保育園の卒園式でももちろん泣きませんでした。娘が卒園するとき、私は父母会の会長として挨拶をしましたが、もちろん堂々と胸を張ってマイクの前に立ちました。わが子の卒園は晴れ晴れとした気持ちでしたから、泣くことはありませんでした。とびっきりの笑顔でした。私が泣く時は、悔しさや悲しさで打ちのめされたときにシャワーを浴びながら涙を洗い流すときだけです。だから、息子の晴れの卒業式、代表として「別れの言葉」を読み上げる息子には、ガッツポーズと笑顔しかないでしょう。

 卒業式の朝、息子は凛とした顔つきで「ママ、中学の制服着ていく」と言い、白いシャツ、ズボン、上着を身につけました。「おおお、ユウちゃん。」目の前に立つ制服姿の息子は少年というより青年への階段の一歩を踏み出した感じがしました。そして、私もスーツをなんとか着ることができました。卒業式での息子は立派でした。多動がある息子ですが、みごとに落ち着いていました。入退場では、列の最後部をひとり堂々と歩きました。別れの言葉では、恥ずかしそうにはにかみながらもマイクを持ってしっかりとした口調で言うことができました。花粉症の私もくしゃみでスーツのボタンを飛ばすことなく、笑顔で息子の卒業式に参加できました。

 別れとは、悲しいばかりでなく、うれしい晴れ晴れしい別れもあります。卒業し、今までの小学部のフロアにお別れをし、四月から中学部のフロアに移ります。四月からは学年の人数も今までの倍になります。新しいお友達もたくさんできるでしょう。この誇らしい息子の卒業式に私はやはり涙を流しませんでした。卒業式で私がみせたのは、笑顔とガッツポーズでした。