ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2018 陶芸との再会

陶芸との再会

 

 思い起こせば10年前、私は大学留学のためにニュージャージーに渡りました。右も左もわからない私を受け入れてくれたのは友達のJoelでした。私は彼の家に居候しながら、大学に通いました。危なっかしい私を受け入れてくれたのはJoelだけでなく、彼の家族もホームパーティーに招待してくれたり、家族のように接してくれました。Joelの家族は本当に「いい人たち」で、その中のQueen of いい人が、Joelのお母さん、Gladysでした。Gladysの家はうちと大学のちょうど中間くらいのところにあり、私は時々大学の帰りに寄っていました。Gladysは陶芸教室を経営しており、私は学校帰りに粘土をこねては陶芸をやっていました。粘土をこねることも楽しいながら、それが焼きあがり陶器になることは本当に感動でした。

 結婚し、子供たちが生まれると陶芸に費やす時間も体力もなく、最後に粘土をこねたのがいつのことだったのか思い出せないくらいに昔のことになりました。運命の流れに溺れるかのように流されてしまい、自分に何がおきて、どこをどうさまよってきたのかもわからないまま日々を過ごしてきました。日本にもどってしばらくは抗がん剤投与だけでなく、日本での生活の基盤がなかったため、生きることで精一杯、心身共に大変でした。

 気持ちと生活に少しの余裕が出てきた時、かつてGladysの陶芸教室で粘土をこねていたことを思い出しました。またいつか私が粘土からこねたものを焼き上げてみたいと思いながら、陶芸教室に通う時間がない現実を歯がゆく思ってきました。しかし、人生の中には必然と思われる出会いと再会があるもので、念願の陶芸との再会が私に起こったのです。

 現在、障害者就労支援の仕事をしているのですが、この度、私たちの事業所で電気窯を入れ、陶芸プロジェクトが始まりました。これについて誰よりも感動したのは私です。利用者(事業所に通所している障害者のことをそう呼びます)さんの就労のための作業の一環として導入されたものの、下手なくせに誰よりも喜んで粘土をこねているのが私です。粘土をこねていると、あの頃、そうです、ニュージャージーにいたころ、Gladysの陶芸教室で一心に粘土をこねていたこと、焼きあがったカップに感動したことなど、たくさんの思い出が次々によみがえってくるのです。

 事業所では多肉植物を育てて、それを植えつけるポットを焼くのです。ポットと多肉植物のセットで販売し、その売り上げが利用者の工賃として支払われます。作業としてはポットですが、私は個人的に花瓶やマグカップ、コースターなどを作りました。それは釉薬の色試作のためであったり、粘土の伸縮度を試すためであったり、試作が目的ながらも、私が何年も願ってきた陶芸との再会には違いありません。

 まさか、障害者就労支援の事業所で陶芸をするなんて想像もしていませんでした。私は不運なことはすぐに舞い込んで来るが、いいことは滅多に起きないと思っていました。だから、陶芸をまたできるなんて夢にも思っていませんでした。

 今、粘土をこねています。ここはニュージャージーではありません。そして、JoelもGladysもいません。窓の外はコンクリートの駐車場しかなく、大きなぶなの木もメープルもありません。でも、手に感じる粘土の感触はちょっとひんやりとしたあの頃によく似ています。もしも、一瞬でもあの頃に戻れるとしたら、私はまた粘土をこねて、Gladysの窯で焼いてみたいです。そして、もしも、もう少し長くあの頃に戻れるとしたら、私はまたニュージャージーに戻りたいです。

もしも、もう一度チャンスがあったら、私は主人と子供たちと4人でまたアメリカで暮らしたいです。そして、子供たちと一緒に粘土をこねて陶芸をやりたい、それは私が癌を患いながらベッドの中で願ったことでした。