ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2019 町内奉仕活動

町内奉仕活動

 

 私は町内会とか子供会とかPTAとか、もっというならばママ友付き合いとか、そういう集まりが大嫌いです。どうして嫌いかという理由をあげるならあふれるほどの理由がありますが、簡単にいってしまうと「面倒くさい」のです。もともと社交的ではないのですが、事の発端は日本にもどって四ヵ月後、親子三人でアパートで暮らし始めてすぐのことでした。2010年4月でした。

 引っ越したばかりでまだ洗濯機もなく、毎日3人分の洗濯物を手洗いしておりました。厚手のものを洗えば、水がピタピタとしたたりおちる、そんな洗濯物をベランダに干しておりました。アパートの前は駐車場、そしてその前には細い道が通っていました。子供たちもまだ保育園に通っており、毎日保育園のスモックを手洗いしては干していました。

 そんなある日、我が家のドアベルが鳴りました。誰だろう、と思いながらドアの覗き穴から外をみると、女性が二人立っていました。新聞の勧誘かな?と、ドアを開けると、「こんにちは」と見ず知らずの女性たちが親しげにあいさつしてきました。私はこういう女性が苦手です。知り合いでもないのに、親しげに話しかけてこないでほしいと思ってしまうのです。さて、女性たち何ゆえ我が家を訪ねてきたのかといえば、歩いていたらうちのベランダに子供の服が干してあるのがみえたと言うのです。いやいや、あの細い道を何の用があって歩いていたのかも不思議ですが、あなたたちはアパートの2階を見上げて歩くのですか、と問いたいのです。「子供さん、いるんですよね?だったら交通当番をやってもらわないといけないんですよ。」といきなり詰め寄ってくる二人に、私は唖然としながら話を聞いておりました。先方の話が途切れたところで、「あの、うちの子供たちは保育園に通っているので、私が送り迎えをしていますが、交通当番って?」ときいてみました。「え、保育園?小学生じゃないの?やだ、子供服が干してあるからてっきり小学生がいるのかと思ったから交通当番をやってもらわなきゃってね」「あら、まあ、保育園なのね。小学生みたいな大きさの服にみえたから、ごめんなさいね」おばさんたちは早々に帰っていきました。私はため息をつき、恐ろしく子供会に「絶対に近寄らない」と決意しました。あの人たちは毎日人んちの洗濯物をみて歩いているのかしら、と私は他人の家を監視しているような近所の人たちに距離をおきたいと強く思いました。

 それから二年後、息子が地元の小学校に入学することになり、学校から自宅までなるべく通りを横断しないで通学できる位置にアパートを探すことにしました。幸運にも学校から通りを渡らずに徒歩2分の位置にアパートをみつけ、入学する二ヶ月前に引っ越しました。いよいよ小学生です。このあたりの小学生は通学班というグループで近所の子供たちが集まって登校することになっております。息子は多動真っ盛りでもあり、障害の絶頂期でもあり、安全面を考慮して通学班で登校するにしても私が同行するように学校から言われておりました。入学する少し前、町内のPTA役員から電話がかかってきました。「交通当番をやってもらうんですが、お宅から学校までの間に横断する箇所がないため、学校とは反対方向に来ていただいて当番をやっていただきます」と一方的に告げられました。いやいや、ちょっと待ってください、うちは息子に障害があるので、登下校には私が付き添っております、交通当番をやるときは息子も連れていくので小学生が横断し終わるまで息子を待たせることになり、遅刻させてしまいます、そういったことがないよう私たちは通りを渡らないこのアパートに越してきたんです、と説明しました。すると、「毎日ではないんですよ、二・三ヶ月に一回くらいの頻度なんで、そのときは息子さんにがんばって一人で登校してもらうとかしてなんとかならないですか」と言い出してきました。申し訳ない、私は内心「おまえはバカか」と叫びながらも、息子は障害があるから学校から付き添い登校を言われているんです、よそのお子さんの安全のためうちの息子を危険にさらし、もしも事故があったら私は息子の通学班の子供たちに責任を問うべきなのでしょうか?と少々語調を強めて言いました。結局、学校側から役員に連絡がはいり、交通当番を免除されました。それでも毎年、電話がかかってきては「交通当番を今年はやってもらう。やれないなら、理由をはっきりと知りたい」と、私はあかの他人に息子の障害について説明することを強いられてきました。以来、私は「このあかの他人は助けてくれない人たち」という思いで、一線ひいてきました。

 地域との交流をさけてきた私が家長であったため、我が家はずっと「どうせガイジン家庭だから仲間はずれで結構です」という姿勢を貫いてきました。ところが主人が越してきてから少しずつ変わってきたのです。主人はおしゃべり好き。私の知らない近所の人たちとおしゃべりしたりして「ご近所づきあい」なるものを楽しんでいるらしいのです。そして、先週の日曜の早朝、娘が町内の奉仕活動に行くと言い出したのです。早朝草刈りです。そんなものは市役所の緑地課が手入れすればいいことで、集まることが好きな町内会の人に巻き込まれるのはかなわない、と思ってきました。「ママ、行かないよ。そんなのはやりたい人が集まって草刈りしたらいいんだよ」と言いました。頑固な娘はそれでも行くと譲りません。まさか中学一年の娘を我が家の代表として町内会の草刈りに参加させるわけいきません。眠い目をこすりこすり、娘に連れられ草刈りに出かけました。娘と並んで川沿いの道の草を刈っていると、「あれ、お姉ちゃん、何年生?草刈り手伝ってくれるんだねえ」などと娘に声をかけてくれるのです。

 私はずっと、地域に仲間入りするを拒み、地域の人とは混ざり合わないように生きてきました。それがこのところ、我が家は形を変えつつあるのです。それは同化するのではなく、共存することで、地域と我が家の距離を狭めてきているのです。「ガイジン」と呼ばれて傷ついてきた主人と娘が、日本人でありながら日本人を拒む私に日本人社会との付き合い方を教えてくれている気がします