ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2019 思い出の曲

思い出の曲

 

 突然ですが、音楽が嫌いな人っているのでしょうか。学校の教科としての音楽で習う音楽については嫌いって人がいるのはわかります。でも、日常生活の中で聴いている、また聞こえている音楽には、音やメロディーだけでなく、そこにまつわる出来事や感情があって、その曲を聞くとそのときにあったこと、強烈な思い出がよみがえってくるってことないですか? それは必ずしもよい思い出ばかりでなく、悲しくつらかったころに聴いていた曲を聞くとまたそのころの思いがよみがえり、悲しくなってくることもあるでしょう。ただ、ずっと同じ感情を抱き続けることもあれば、時が過ぎることで感情も色あせ、パステルカラーや秋の色に覆われたようなやんわりとした気持ちに変化していることもあるでしょう。また、その季節になると曲を思い出し、かつての思い出が曲を聞くことでよみがえってくることもあるでしょう。

 今年は7月の半ばすぎても大雨が続いたり、例年よりも梅雨が長かった気がします。昨日、やっと梅雨が明けたという声を聞きました。いよいよ、夏です。梅雨明け宣言の2日ほど前から暑くなり、朝の空気の香りが夏のにおいでした。夏のにおいってどんなにおいかって言われると説明しにくいのですが、どこかからの昨夜の蚊取り線香の残り香が漂い、空気が自然のままの20度のにおいで、それは言葉で表現できないようなたくさんの歴史というスパイスを秘めたにおいなのです。

 この夏の朝のにおいをかぐと、私はある曲を思い出します。井上陽水の「少年時代」という曲です。「♪な~つがすぎ、かぜあざみ~、だれのあこがれにさまよう~ ♪」って、必ず「風あざみってなに?」って話になるあの曲です。

 車の運転をしながら口ずさんでいると、10年以上前の夏を思い出しました。それは息子が1歳、娘がお腹に入ってきたばかりの夏でした。今思えば、あの頃すでに私と前夫との結婚生活にはヒビが入っていました。それでも、私が気付かぬふりをし、きっとうまくいくと信じようとしていました。娘がお腹にいるし、息子もかわいい盛りだったので、前夫も家庭生活を見てくれると願っていました。でも、その裏では、肌で感じる現実をわかっている自分もいて、その間で苦しんでいました。当時、私たち親子は毎年夏休みと冬休み、年2回日本に戻ってきていました。あの時も私と息子は一時帰国をしていて、実家に滞在しておりました。私たち親子は2階の寝室をつかっていました。その朝もいつものように私は5時過ぎに目が覚めました。トイレに行こうと、階段を下りていきました。1階の階段近くにある父の寝室の前を通ると、ドアを開けたまま父は寝ていました。父は昔から朝、目が覚めるとラジオを聞いていました。そのときも、父の寝室からラジオが流れていました。多分、目が覚めてラジオをつけたものの、またそのまま眠ってしまったのでしょう。ラジオから流れていたのが、あの曲でした。「少年時代」。なぜだかわからないけど、私は父の寝室の前に立ったまま、流れてくる曲を聞き入っていました。

 私の視線を感じたのか、すでに目が覚めていたのか、父が目を開け、「なんだ~?」と言いました。「ううん、別に」と、私はまた階段を上がりました。あの時、私は、本当は、父に呼び止めてほしかった。「もう行くな。日本に帰って来い」と。「ここで暮らしたらいいじゃないか」と、私を実家に戻らせてほしかった。アメリカに帰りたくなかった、アメリカじゃない、あの偽装生活に戻りたくなかった。「お父さんが帰ってこいって言うから」「お父さんが反対するから」「お父さんが。。。」って、私は理由と帰る場が欲しかったのです。階段を上がりながらこんなこと思っていました、「なんで日本に帰らせてくれないの? 私はアメリカに帰りたくないのに。。。」2階の寝室に戻ると息子が眠っていました。私は息子の寝顔をみながら、下からかすかに聞こえてくるあの歌を口ずさんでいました。

 「少年時代」を聞くとあの夏の朝を思い出します。夏の朝のにおいを感じ、Youtubeであの曲を聴いてみると、あの朝の自分がよみがえってきます。でも、思い出の中で曲と父は同じ舞台で流れているのに、実際には父はあの曲が好きだったわけでもなく、もしかすると父はあの曲を知らないかもしれません。あくまでも私がみたこと、感じたことが音楽によって同じ舞台に並んでいるだけなのです。

 後期高齢者の父は、進行性の癌を患っております。手術はできません。抗がん剤で進行を遅くしているだけで、肝臓にあった癌が肺にまで転移し、前立腺癌もあります。この夏、私はまたあの夏の朝を思い出しながら「少年時代」を聴いています。父はあと何回の夏を迎えられるかわかりませんが、人間である以上、いつかは終わりを迎えます。その年の夏、私は「少年時代」をどんな舞台で聴くのでしょう。曲を聴いてかつての自分を思い出しながら、老いていく父のことを思う自分がその舞台にいるのかもしれません。