ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2019 家族の決断ーうちの場合ー2

家族の決断―うちの場合―2

 

 いつまでも暑いと思っていた夏が、いつの間にか空高く秋の香りが漂う季節となりました。1997年にニュージャージーに渡った9月、Tシャツで大学の新学期を迎えたのが、9月の終わりには長袖シャツを着ていたことを覚えています。ビーチに明け暮れた夏を過ごした年は、いつまでいつまでも暑く10月に海に飛び込んだこともありました。ひとことで暑い夏といっても、やはり毎年同じではありません。今年の夏は私たち家族にとって大きな山を越えたような不思議な時間でした。

 先月号、先々月号でもお話しましたように、私の父は癌患者です。前立腺、肝臓、肺に癌があります。高齢の父は摘出手術は体力的に無理だと判断され、放射線治療ホルモン剤治療、抗がん剤治療を受けてきましたが、薬の強さから副作用に体が衰弱し、見る見る間に痩せ細ってしまいました。その結果、私たち家族は父の意向を尊重し、抗がん剤治療を含めた延命治療を受けず、自宅で自然のままで最期の日を迎えることに決めました。幸いにも、私の従兄は地元で開業医をしており、在宅医療も専門ということで、従兄、つまり父にとっては甥が担当医となり、居宅介護に切り替えて医療を受けることになりました。

 抗がん剤をやめて早2ヶ月がたちました。父は食欲も出てきて、たくさんは食べられないものの、以前のようなゼリーを口にいれるのが精一杯という状態から日に日に遠ざかってきました。顔色もよくなり、庭を歩くこともできるようになりました。「おじいちゃん、治ってきたね」と錯覚をおこしそうになるくらいです。でも、この2ヶ月の間、順調な回復をたどってきたわけではありません。おしっこがでなくなってしまったり、足が風船のようにむくんでしまったり、皮膚が紫色に黒ずんでしまったり、と様々な症状に悩まされてきました。でも、抗がん剤を服薬していたころのような心身の落ち込みはなく、父は「少しずつよくなっていくんだ」と希望を持って過ごしています。「お父さん、いつも威張ってばかりでいやになっちゃうわ。わがまま言うし、すぐ怒るし。まあ、それがお父さんらしいっていえばそうなんだけどさ」最近は母が愚痴るくらいになりました。それは、父の病気がもたらしてくれた親子関係の変化です。私は父とはずっと近い関係ではありましたが、母と弟とはいつも距離をもっていました。近くに住んでいながら遊びにいくこともなかったし、弟とは過去数年話したこともありませんでした。母が私におしゃべりしたり愚痴ったりしてくるのは何年ぶりのことでしょう。父の今後をどうするか、ということを話すことで、父の意向のもとに家族が一致団結し、父を最期まで支えていくという家族の目標を持てたことで、私たち家族は近い関係になれたのです。

 私はきれいごとをいうのは嫌いです。父が癌になったおかげで私たち家族が団結できたから、父が癌になってよかった、などとはこれっぽっちも思いません。私は世間でよく言う「癌サバイバー」です。11年前にステージ3の大腸癌を患い、リンパに転移していたため抗がん剤治療を受けました。抗がん剤の強さに体が弱り、腸が爆発し人工肛門を創設され、まさに癌と闘う人でした。再発もなく、完治しました。知り合いは今でも、「ジュンちゃんは強い人だわ。癌に負けなかった。打ち勝ったんだもんね」と言います。私が強かったから完治したのでしょうか。確かに私は精神面では強いほうだとは思います。でも、だから、癌に勝ったわけではありません。世の中にはよく「癌に打ち勝った」「癌に負けない強さ」などと、癌を克服した人が旗を振るような姿をみかけます。でも、私はそれはどうかなといつも思っています。治る癌もあれば、治らない癌もあるのです。同じ部位の癌で、同じ進行度であっても、治る人もあれば、転移し続け人生を終える人もいます。年齢によっては父のように摘出手術は難しく、進行を遅らせることしかできない場合もあります。癌に打ち勝ったと旗を振る人は、それはそれでいいのでしょうが、私はそれが勝者の証だとは思えません。末期がんの末、亡くなった人は病気に負けた人でしょうか?弱いから癌を克服できなかったのでしょうか?私は「癌を克服したサバイバー」と呼ばれる一人でしょうが、私はそういうことを「 」で括られることの抵抗を感じます。私の癌は「治る癌」でしたが、父の癌は「治らない癌」で、それだけのことです。私はがんばったけど、父はがんばれないから、ということではありません。

 父は「お父さんの病気はもう治りません」と前の担当医に言われたにも関わらず、今でも「少しずつよくなってきた。すぐには無理でも、またおまえんちに行けるようになるからな。」と前を向いています。父の癌は完治しません。それでも、前を向いて残りの人生を歩んでいる父は強いと思います。「病気は治らないとは思う。いかにこの病気と付き合っていくかだな。まあ、オレも80年も生かせてもらえたから、ここから先はおまけだと思って楽しんでみる」と笑う父の最期は「癌に負けた人」と括られますか?病気は勝ちとか負けとかで分けるものではありません。 

 私たち家族は強くなりました。頑固でわがままな父を「憎たらしいこというけど、それでもずっと長く聞いていたいな」と受け入れています。家族は強く結びつき、それぞれの人生を豊かにするために選ばれたグループなのだと思います。些細なことで怒ったり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり、そんな人として当たり前の感情をもてるのが家族。父は残されたおまけの時間を私たち家族のつながりを強くするために費やしてくれているように思えます。おまけの時間は長ければ長い方がいいと願います。