ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2019 小箱の中の介護

小箱の中の介護

 

 父の在宅看護が始まって2ヶ月がたちました。高齢になってからの癌は治療に制限があるものの進行はゆるやかだと聞いていました。父の場合、7月に抗がん剤治療が始まり副作用の強さから一気に衰弱していきました。8月に入って、延命治療はしないと決め、自宅で最期を迎えるという意向をもとに居宅看護に切りかえました。すると一気に食欲も出て、近くの公園までヘルパーさんの付き添いで散歩に出られるようになりました。「もう少し涼しくなったらまたオマエの家に行ってやるからな」と希望を持っていました。9月の初めに息子のピアノ発表会があり、父はがんばってみにきてくれました。抗がん剤治療を始める前日にうちから帰っていく時の父のうしろ姿を思うとすっかり弱弱しくなっていたものの、ひとりで歩く姿に、私は「このままこうしてゆっくりとすごしていかれるのかな」と思っていました。回復が早いと看護師さんたちに驚かれたのもつかの間、9月半ばをすぎると、父はまた食欲が落ちてきました。

 9月半ばの週末、私たち家族が私の実家に行き、みんなでお好み焼きを焼きながら食べました。「また食べに来るね」「おお、また来いよ」と笑って実家を出ました。その翌週から、父は「だるいなあ」「体の置き場がない」と不調を訴えるようになりました。それからは坂道を転がる勢いで、父の状態は下降していきました。飲食すると喉をしめつけられるような不快さを感じ、喉元を過ぎて少しすると、今後は体内から喉にむかって何かが押し寄せてくるような感じがしてきて、水を飲むことも苦しい状態となりました。あわせて、尿毒症の初期状態が発症し、毎日点滴で投薬をするようになりました。

 父の場合、父のせっかちな性格を表わしているかのように急によくなったかと思うと急に悪化し、「高齢者の癌の進行はゆるやかだ」というのは父にはあてはまらないように感じます。こうも急に悪化すると、父の精神状態も不安定になります。苛立ちが出てきます。3ヶ月前まで毎日散歩してうちに来てくれていた父にとって、家の中だけの毎日が窮屈なのでしょう。父はおしゃべりが好きなのですが、母は一日中その相手をする生活を送ってきていません。父は壁に囲まれた中で話し相手もなく、体も思うように動かなくなり、それは想像以上にストレスを感じているのでしょう。父は思うようにならない自分の体、思うようにならない母に、そして思うように回っていかない環境に、その苛立ちを母にあたるようになりました。

 母は一生懸命に父の世話をしているつもりでも、介護慣れしているわけではないし、知識があるわけでもないため、トンチンカンなことも起こします。父が呼んでも聞こえていないこともよくあります。そうなると、父は小さな箱の中でみている小さなことが気になり、母に対して「気が利かない」「理解していない」と苛立ちを言葉にするのです。母は言われれば、腹が立ち、余計に父との会話を避けるようになります。それでも相手は病人だと思うと無視するわけもいかないから最低限のことは話すと母もうんざりした気持ちになります。その気持ちはやはり態度に出るのでしょう。父の苛立ちがとまりません。そんなところに私が行くと、父は喜び、私にはいろいろ話しますし、私は毎日ずっと顔を合わせているのではないから、早い話「おいしいとこ取り」なのです。そんな父の姿に母はおもしろくありません。「お父さんは私らにはアンタに話すような話し方をしないからね」と。

 悪循環が起きるのです。母は私に当たるようになり、私も母と話すことを避けたくなります。父は母にあたり、母は父を避けます。父は私と話すことを楽しみにするものの、私が行くと母と弟があからさまに嫌がる態度をとり、父に嫌味を言うため、私が実家に行かないほうがいいように思えてくるのです。すべては悪循環となり、その勢いは増していくばかりです。

 介護はこれからも続きます。家族の中でそれぞれの役割であったり、立ち位置であったりを認識する必要があるのかもしれません。父にとって私はストレスを軽減する相手であるのかもしれません。でも、実際に身体介護ふくめ日常の世話をするのは母です。母も今や外に出ることも儘なりません。母もストレスを抱えています。父を介護する母への配慮も必要です。同居していない私が出しゃばることは絶対にしてはなりません。同居していないからこそできることは何なのかを知る必要があります。在宅看護は医師と看護師が自宅で医療を施してくれます。でも、介護は家族にかかってきます。父の状態がいいときは「在宅にしてよかったね、お父さんもいい顔してるよ」と支える側もはりあいがあります。逆に転ぶと、双方に負担がかかってきます。共倒れになりかねません。

 先日、障害者の相談支援者研修がありました。「障害者を隔離するのでなく、地域の中で共生する社会にしていくため、問題があるときは個人で抱え込まず、地域のみんなで対応し、そしてそれは、地域から社会へと広がっていくようにするべきだ」という話を聞きました。障害者だけでなく、高齢者が増えてきている今、介護は避けて通れない路となってきています。力を借りましょう。力を出しましょう。私が父と話している時間、隣の部屋で母が居眠りしていました。心身ともに疲れているのでしょう。母だけが父を支えるのでなく、公的支援の力を借り、同居していない家族の提供できる時間も借り、父だけでなく母をも支援されるべきだと思いました。私の親は父だけでなく、母もそうなのだとあらためて心にとめています。