ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2019 あしあと

あしあと

 

 なにかを始めれば必ず終わりがきます。思い起こせば私がこのEnjoyにエッセイの連載を始めて11年がたちました。初めてEnjoyに私のエッセイが掲載されたのは2008年9月号でした。もともと書くことに興味があり、小遣い稼ぎに日本で英語のテキスト本を出したりしていたので、Enjoyに毎月連載させてもらえることが決まったときは本当にうれしかったことを今も覚えております。毎月書かせてもらえるということがとても魅力的な場でした。当時の私は子育ての真っ只中で、教師の仕事も一旦退職して、うちにいるか子供たちの保育園送迎だけで一日が終わっていました。このまま何年も過ぎてしまっていいのか、と悩んでいた頃でした。子供が大きくなったとき、「私たちが小さかったとき、ママは何をしていたの?」と聞かれたら、私は子供たちに見せられる足跡がないことに不安や寂しさを感じていました。子供たちにママの歩いてきた足跡を残したい、それがきっかけでした。私がいつどこで何をどんなふうに見ていたのか、それを伝えたいと思いました。

 あれから11年が過ぎ、たくさんのことがありました。人は生きていれば多かれ少なかれ、規模こそ、感じ方こそ違えど、何もない一年、何もない三年というのはありえません。私の場合、物理的にも環境的にも出来事がありすぎたかもしれません。自閉症の息子、前夫の浮気・別居、大腸癌、国際離婚、国際再婚。。。人と比較することはできませんが、ひとりの人間に起きることとしてはわりと多めかなとは思います。私は子供の頃から、アメリカで暮すことを夢見ていました。理由ははっきりと覚えていませんが、なんとなく前世でつながっていたような、昔いた場所のような感じがしていました。アメリカを離れるとき、「日本人のだんなさんの海外赴任で渡米し、アメリカで暮らしている人もいる。私はアメリカに住みたくて、アメリカの大学を卒業し、教員資格を取得し、仕事にも就いた。アメリカ人とも結婚し、子供もできた。それなのにどうして私はアメリカで暮らせないんだろう」と悔しさでいっぱいでした。アメリカでの生活を終えることは、渡米のため日本を離れたとき以上に辛い思いでいっぱいでした。

 日本に戻ると、浦島太郎状態だった私にはたくさんの試練が待ち受けていました。いよいよ日本での生活が始まりました。障害のある息子に対して、ハーフである子供たちに対して、日本社会は決して優しくありませんでした。なぜならば、「みんな」とは異なる異物だからです。みんなと違うのだから、そこは自分で負担してください、という社会の姿勢は私たち親子の前に立ちはだかる冷たくそびえたつ壁のようでした。私は常に「この人たちには頼らない」「私たちはガイジン家族だから」と、日本社会に同化することを拒んできました。日本社会において、ガイジンであること、障害者であることは、「普通」ではないということをずっと感じてきました。その中で、たまに、自分がずっと昔、日本で「普通」と呼ばれる家族に育てられ、暮らしていたことを思い出すと不思議と懐かしくもあり、苦しくもあり、前世の思い出を覗き見るような気持ちになりました。

 日本に戻ってから、別居していた前夫と9年間の婚姻関係を解消しました。9年というのは、前夫の計算上での期間でした。国際離婚を経験しました。その頃には私たち親子三人の生活も安定して、私はこれからもずっと三人で生きていけたらいいなと願っていました。子供たちも大きく成長し、大病を患うこともなく、私も癌を克服し、毎日仕事に通えて、平凡だけど幸せだと思えるようになりました。人生の大きな変化はもういらない、と思っていたのですが、今度は国際再婚をすることとなり、私たち親子はシングルファミリーではなくなりました。主人は在日アメリカ人です。父親が常にいない家庭でしたので、最初は子供たちもぎこちない様子でしたが、今ではこの四人での生活が当たり前となってきました。相変わらず「普通」の域に入らない私たちですが、いびつな形の家族が私たちには似合っているのかもしれません。離婚によって終わりを告げた夫婦と子供の家庭生活が、再婚によってまた新たな生活として始まりました。

 11月のおだやかに晴れた日が続く中、父が永眠いたしました。父はいつも居てくれると思っていたら、あっという間に逝ってしまいました。末期癌でした。病院は嫌だ、という父が決めた「在宅での看取り」の道を父は最期まで貫きました。人はいつか必ず死を迎えます。そこには例外というものはなく、早かれ遅かれ必ず最期の時がきます。どうして死ぬのか?それは生まれたからです。生まれ得なかったものに死はきません。始まりがあれば必ず終わりがあります。終わりがいつなのか、どんな形でやってくるのか、それは誰にもわかりません。

 私は1966年に人生という道を走り始めました。終わりがいつ来るのかわかりませんが、まだしばらく走っていられそうです。長い間、私のつぶやきのようなエッセイにお付き合いくださいましてありがとうございました。日本にいても、まだアメリカとつながっているように感じていられたのは、Enjoyを通してみなさんに私の声を届けることができたからだと思います。だから、今回で終わりをむかえることが本当はとても寂しいです。でも、始まりがあったから終わりをむかえます。多分、いつか来る人生の終わりを迎えるため、私は一日、一時間、一秒、自分の足跡を残しているのだと思います。特別なことはなくても普通のことに感謝できるよう、せっかく始まった自分の人生を最期のときまで自分らしく生きていこうと思います。その途中、アメリカで暮らせたこと、そしてこのEnjoyでみなさまと出会えたことに私は小さな足跡を残せたでしょうか。大きな感謝の心をこめて、So long。