ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2009 癌告知1

癌告知  =検査は大事=

 

うちの家系はとにかく癌が多いです。ふたりの祖父は肺癌で亡くなりました。叔父は食道癌で52歳の若さで亡くなりました。8年ほど前に母は子宮癌を患い、5年前に父が大腸癌、そして、去年叔母が胃癌と、それは問診表の「家族の病歴」の記入欄が足りないくらいにそろっているのです。というわけでドクターから「癌検査要」と言われ、乳癌と大腸癌の検査を受けることになりました。

「ま、安心のために受けておいて損はない」という思いで、検査の予約を入れました。まずは乳癌の検査です。マンモグラムという検査を受けました。2人の子供に母乳を吸われ、残るものは何もないはず、と思いきや、再検査の通知を受けました。「あのレントゲン技師、撮影失敗したんだわ」と思いながら再検査に行くと、「腫瘍らしきものがみつかったので右側だけ再度撮影します」と言われビックリ。ビックリしながらもまだまだ「まさか」の状態で待合室で結果を待っていたら、「やはり腫瘍があります。Biopsyを受けることをおすすめします。産婦人科医は誰ですか」と言われ、これはまさかかもしれないと思い始めました。すぐさま産婦人科医に電話すると「まずはスペシャリストに会うように」と言われ、そのスペシャリストの名前と電話番号を受け取りました。翌週、スペシャリストに会うまで私は生きた心地ではありませんでした。まず考えたことは手術のとき、子供たちをどうしようということでした。日帰りですむのか、もし入院となったら子供たちを誰に頼もう。「乳癌かもしれない」ということよりも、とにかく子供たちをどうしようということで頭がいっぱいになりました。それから、もしも乳癌だとして、再発の可能性はあるのか、あと一体どのくらい私は生きられるのか、子供たちが成人するまで生きられるのか。。。とにかく近い将来も遠い将来も子供のことが心配でたまりませんでした。母親ってこんなものですよね、自分のことよりも子供のことばかり考えてしまう生き物なんです。

スペシャリストに会うときは「乳癌だとして」という前提でいくつか質問を用意していきました。ところが、ドクターは写真をみるやいなや、「ああ、これは癌じゃないですね。いや、断言できませんが、90%は違いますね」と一言。「でも、ま、念のためにもBiopsy受けましょう」と。というわけで私はBiopsyを受けることになりました。Biopsyとは、細胞の一部を取っての検査です。歯の治療くらいの痛みです、と言われ、すーっと肩から力がぬけました。確率としては90%癌ではない、その検査も歯の治療程度とのこと、「入院しなくていいじゃん!」と、まだ検査も受けてないのにこのうえなくうれしく思いました。

Biopsy検査の予約はまたもその翌週。アメリカって、本当に早いですよね。みつけたらさっさと検査して悪いものは取り除く、という早さ、普段「ったく、アメリカ人はさあ」と思うことが多い中、こういう姿勢は感心します。いつものごとく、息子が学校に行っている間に、娘は病院の託児施設に預け、検査を受けに行きました。わが娘、この託児施設の人ととても仲がよく、預けるときも笑顔で手を振ってくれるので安心して検査を受けられます。さあ、この検査をパスしたら自由の身だ、と思いながら挑んだ検査、歯の治療なんてとんでもない、痛いのなんのって。ドクターが、痛みに歪む声なき私の顔をみて、「もしかしてすごく痛い?麻酔足りないかもしれないわ。」と麻酔を追加してくれたもののすでに痛みがまわっていて麻酔なんて効かないのです。やっとの思いで検査を終え、穴のあいた胸にガーゼをはり、女柔道選手のように胸にぐるぐるに包帯を巻かれ、「今日は5ポンド以上のものを持たないこと」と言われました。無理です、無理です、今から娘をカーシートに乗せるとき抱き上げないといけません、もしも寝てしまったら抱いて家の中に運ばないといけません、絶対に無理です、と言ってはみてもどうしようもありません。娘に「カーシートに座って、ママ抱っこして乗せれないから自分で上って」と言い聞かせ車にはなんとか乗せたものの、やはり車内で寝ました。さて、家につきましたがこの子をどうしましょう。母親にはドクターのお言いつけを破らなければならないこともあるのです。娘を抱き上げ、家の中へ。いつもは何気に抱き上げていたのに、なぜかこのときは「ああ、この子も大きくなったなあ」としみじみ思いました。ほっとしてる間もなく、息子のスクールバス到着。ああ、なんてことでしょう。息子がバスの中で寝ています。またも大きく成長した息子を抱き上げ、通りを渡って家の中へ。ふたりが寝ている間に愛犬を裏庭に連れて行き、ふとシャツをみると、「おお、血、血、血が。。。」そうです、血が噴出していたのです。家に入ってよくみたら、胸板厚く巻いてあった包帯をもにじませるほどの出血。といってどうしたらいいものか。二人の子供を連れて病院に戻るのは大変なので、それは嫌。というわけで、子供たちの助けを借りることに。3歳の息子と2歳の娘を座らせると、「みて、ママ、怪我したの。痛いの、ここ」と血まみれの包帯を見せました。いつもは怪獣のようにとびかかってくるふたりですが、これはいつもと違うぞと感じたようで、「ママ、いたた?」と心配してくれました。以来、今でも娘は私の胸みると「ママ、ケガしたのね、いたたね」といいます。いくら小さな子でも母親が真剣に語れば通じるものなのですね。血まみれになりながらも大変協力的なわが子に感心してしまいました。「ああ、検査受けてよかった」と別の意味で思いました。

結局、検査結果は「がん細胞ではない」ということでした。しかし、私の右胸、今でもチタンの破片が入っています。別にドクターのミスで落としたわけではなく、検査を受けましたと後々わかるように入れてあるそうです。血まみれになっている私の手伝いもせず、胸にチタンが入っていると言えば「ロボットみたいだな」と笑う夫、2歳3歳の子供たちよりももっともっと子供だとあらためてわかりました。検査受けて本当によかったです、いろんなことがみえてくるものです。

さて、乳癌ではないとわかったので、次の指令は大腸癌の検査です。自慢ではありませんが、私、腸は丈夫です。20代の頃、タイに住んでいたとき、パラチフスにかかり、隔離病棟で入院したことがあります。退院するときにドクターから「もう赤痢くらいはなんともないですね」と肩をポンと叩かれました。以来、本当に腸には誇りを持ってきました。便秘はしない、下痢してもひどくはならない、「快食快便快眠」と豪語してまいりました。なので、大腸の検査なんてどっちでもいいやと思いつつも、異常のないことを証明するためにも検査を受けました。全身麻酔内視鏡での検査でした。検査のあと痛みもなく、ただただ素晴らしき目覚めでした。ドクターが「ポリープがふたつありました。小さいほうはすでに切除しました。大きいほうは2センチ以上あり、切除はできなかったので、細胞を取り、Biopsyにまわしました。そのポリープには後でわかるように青いインクでタトゥーをつけました」と言われました。ショックでした。私はタトゥーがとても苦手で、主人と結婚した一番の理由はタトゥーがなかったからというくらいなのに、私の体内にタトゥーが。。。ドクターから渡されたポリープの写真をみると、青いタトゥーがしっかりと刻み込まれていました。私の親戚家族には一人としてタトゥーをした人がいないというのに、ああ、私は別世界の人になりました。

タトゥーを嘆き悲しんでいる私に届いた検査結果は、「癌です」でした。予約を早めてすぐに来るように言われたので、「もしかして」とは思っていたのですが、ドラマでみるような感動的な告知シーンはなく、ドクターは中耳炎でもみつけたかのように普通に「癌ですね。さてと、それでは手術医とアポをとらなければならないですね」と淡々と話を進めていくのです。私もつられて「あ、そうですか、はあ」といったものです。嘆くのはタトゥーのときだけで、癌の告知を受けてから情緒的なものはありません。手術に向けての検査に追われる日々です。あまりの忙しさで落ち込む暇もないくらいです。みなさん、検査は症状のないうちに受けておきましょう。別の意味でも「ああ、受けてよかった」と思うこともありますから。来月号では手術について書きたいと思います。