ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2009 癌告知2

癌告知 =大腸癌の手術=

 

先月号では「大腸癌の告知を受けたこと」について書きました。それに引き続き、今回はその「手術」について書きたいと思います。

癌の告知を受けてからは検査三昧の日々でした。というのも、ドクターからいきなり電話があり、「手術は来週の火曜日にと思うのですが予定はどうでしょう」と言われました。カレンダーをみてびっくり。来週の火曜日といったら五日後、ドクターと初めて会ったのが二日前。心も体も準備できていません。とにかく、日本から母が来るのを待たねば小さな子供たちを残して切腹などできませぬ。「もし可能であればあと1-2週間待って欲しいんですけど」と言ってみたら、「いつでもいいですよ。希望の日にちは?」とホテルの予約でも取るかのように受け入れていただき、結局諸々の都合で20日後に予約をいれてもらいました。「十分な時間があるから、できるだけの検査をしましょう。」ということで、CTスキャンMRI, 血液検査、レントゲン とまあ、あらゆる検査メニューを頂きました。最悪なのはそれらの検査のほとんどが「朝食抜き」。私にとって「食べてはいけない」ということが何よりの苦痛なのです。

そんな過酷な検査の日々を終えたある日、またもドクターから電話がありました。「怖がらせるつもりはないが、真実を伝えるべきだと思う」という切り出しで、すでに怖がらせてくれました。「肝臓にポリープが2つありました。これが癌なのかどうか検査する必要があります。それによって手術も多少異なります。肝臓に転移ということが明らかであれば、大腸の癌と肝臓の癌を一緒に取り除くことがベストでしょう。ただ、大腸のすぐそばのポリープは切除に問題はありませんが、奥の方にあるものはとても小さくお腹を開けてみたところで発見できるかどうかもわかりません。なので、PET スキャンの検査を受けてください。この検査でみるとそのポリープががん細胞であるかどうかがわかるのです。」ということでした。PETスキャンとは聞きなれない検査ゆえ、それが何物であるかを調べてみたところ、「ポジトロン断層法という陽電子検出を利用した断層撮影」ということだそうです。バリウム飲まされ、点滴打たれ、検査だけで疲れ果ててきました。

 

検査三昧な日々をなんとかこなし、無事手術の日を迎えました。早朝6時、病院に着きました。まずは手術着に着替えました。頭にパン屋さんの帽子みたいなをかぶると「ああ、私は手術を受けるんだわ」と実感がわいてきました。そして、腕に点滴。手術患者らしくなっていく自分にちょっと感激。次にきたのがナゾのシート。「お腹の手術を受ける人は手術前に血行よくするためにお腹を温めておくので、これを入れますね」と、うすっぺらいシートを手術着の下に入れられました。こんなでお腹あったかになるのかなあと思っていたら、いきなり足元に掃除機みたいなのを置かれ、そこにシートの端を接続し、温風を挿入。これじゃあ、布団乾燥機みたいじゃん、手術患者はこんなに空気でふくれあがっていないもん、と人に見せられぬ姿に不満を抱きました。しかし、この温風風船、入れていると気持ちのいいもので気持ちはポカポカ小春日和のようでした。ぬくぬくと風船に暖かく包まれていると、「手術っていいもんだな」と思えてきました。

待機する部屋に移動すると、麻酔医がきました。「では、もうひとつ点滴用のを腕につけるから。そこから麻酔を流すからね」と言われました。ひとつをすでに肘の内側に固定されており、点滴がつながっています。では、もうひとつをどこにつけるんだろうと思っていると、なぜだか麻酔医、私の手をみていたかと思うと、いきなり手の甲を消毒し始めました。「うそ、手の甲に点滴つけるつもりかい?」と思う間もなくブスッときました。痛いのなんのって。そしてゴリゴリと動かすから痛みも増すのです。挙句の果て、「だめだ」と言って絆創膏をはりつけました。今の痛みは無意味な痛み?そして次は手首から少し上にあがった辺りに狙いがつけられました。「がんばっておくれよ。もういやだよ、意味のない痛みは」と願っているとどうやら成功らしい。そしたら、いきなり、「動かないこと、いいかい、絶対に動くんじゃないよ」と言い残し、麻酔医が立ち去りました。腕をみれば、突き刺さった点滴用のチューブが固定されないままになっている。ちょいと、あんた、どうにかしておくれよ、と心の中で叫ぶ私。しばらくすると麻酔医が戻ってきて、テープの先を見つけようと必死で指でひっかいているのです。うっそぉ、針だけ刺しておいてテープ探しに行っていたわけ?ああ、アメリカン、すごすぎる。そして、そんなことにも文句ひとつ言わずにいる私、ジャパニーズはもっとすごい。私は布団乾燥機にぬくぬくしてもらっていたからいいものの、もしもそれがなく冷えてくしゃみでもしたら突き刺さったままの針はどうなっていたんでしょう。

「それでは行きますよ」と、私を乗せたベッドは手術室に向かいました。手術室に入ると執刀医がいました。私はこのドクターが好きです。おじいちゃんドクターなのですが、まじめできめ細かい。私をおびえさせることを言うんだけど、気がついていない。今日は何を言ってくれるかなとドキドキしていると、「PETスキャンの結果、肝臓のは癌ではなかった。だから予定通りの手術でいきます」と言われ、ほっとしました。初めての手術。手術室はドラマでみるような冷たい感じではなく、普通の診察室みたいな大きさの部屋にたくさんの機械や道具類。ただ、天井をみると大きな手術用のライトがあるから、「ああ、手術室だわ」と思えましたが、まさかここでお腹を切ったり縫ったりが行われるっていうのが信じられないくらいに和やか。看護婦さんに「手術台に移ってちょうだい」と言われ、運ばれてきたベッドから手術台に自分で転がり移動しました。時計をみると午前9時を少しまわっていました。病院に入ったのが6時、すでに3時間が過ぎていました。そしてそれからまもなく麻酔で私は意識をなくしました。

気がつくと、お腹が痛い。私は痛みに決して強いほうではないけれど、大声を出すのが大嫌いなのです。出産のときでもそうでした。隣の分娩室ではアメリカ人母親が怪獣だか猛獣だかのようなうめき声をあげていたのを、「あれだけは嫌だ」と思い、ひそかに痛みにたえていました。そして今回も同じこと。朦朧とした意識の中、それだけははっきりしていました。「大きなうめき声をあげない」と強く思っていました。しかし、痛い。そんな私はひたすらブザーを押しては看護婦さんを呼びつけ、「痛いんです」と訴えました。看護婦さんにしてみれば迷惑な話です。痛いながらにもまだまだ眠気も強く、痛み止めをもらうとまた寝てしまい、しばらくするとまた起きてブザーを鳴らす。その繰り返しをしているうち、ドクターが次から次へと来ては手術の説明をしてくれたのですが、授業中居眠りをしていて指された生徒のようなもので、返事をしながらも何を言われているのかさっぱり耳に入いりません。そうこうしていたら、看護婦さんが来て「やっとお部屋の準備できましたので移動します」と言われました。それで初めて自分がまだ回復室にいたことを知りました。

病室は個室。テレビも電話も自由。素晴らしい。腕の点滴2本もそれほど邪魔でなく、入院生活に希望の光を感じました。でも、考えてみたら、息子が生まれて以来、一人だけの夜というのは初めてのことです。よくも悪くも私はどんなときも子供と一緒に生きていることにあらためて気がつきました。「この子たちにはママがいなきゃ」と思っていたのが、実は「この子たちがいてこそのママ」だったのです。普段うるさいと思っていた子供の声の聞こえない夜はなんだか寂しいと感じました。

 

入院生活は途中までは快適でした。個室で自由、好きな時間まで起きていても文句も言われないし、早朝からテレビつけても誰にも迷惑かけない。そして、この部屋のベッドは高機能。とてもセンシティブなベッドで、私の微妙な動きにも反応するのです。寝返りを打つくらいの動きでもすぐに反応し、ギギーッと音を立てて足元や頭のほうが上がったり下がったり。すばらしい。さすが高機能ベッドは違う。たまに、起き上がろうとすると頭の方と足元の両方が上がってしまって、すぽっとはまってしまうこともあるけれど、文句は言えない、だって、高機能だもの。入院3日目、友達がお見舞いに来てくれました。ギギーと音を立てる私の高機能ベッドを怪訝そうに見ている彼女。「これね、すごい高機能だからね、動きにセンシティブなのね」と自慢を始めたら、彼女は一言、「このベッド壊れているんだよ」。そんなわけない!と反論を始めたものの、彼女の言うことのほうが理にかなっている。「これじゃあ、うるさくて眠れないでしょう。ベッドはこんなに動くわけないもの。」と。確かに、寝返り打つだけで音を立てて上がったり下がったりして熟睡できない。

このときを境に私の自慢の快適入院生活が変わってしまったのです。高機能だと思っていたベッドは実は壊れていたなんて。そういえば、よく血圧を測りに来た看護婦さんたちがギギーッという音と私の足先があがるのを不思議そうにみていました。壊れたベッド。そう思った瞬間からこのベッドは別物になってしまいました。

その日の夜、もともと調子の悪かったテレビのリモコンが動かなくなりました。夜8時、することもないのでテレビをつけました。そして、チャンネルを変えていたらいきなり動かなくなりました。仕方ないからテレビを消そうと思ったら、消すこともできないし、音量を変えることもできない。検温にきた看護婦さんに「リモコンが動かない」と告げると、「明日、テクニシャンに連絡するわ」と言われました。私はテレビをつけっぱなしで寝ることが嫌いなのです。というか、眠れないのです。しかたないので、目が疲れるまでテレビを見てそのまま眠りに落ちていくことを願いました。ところが、テレビではいきなりホラーが始まりました。画面いっぱいに写るおぞましい血まみれの顔。目を閉じても聞こえてくる「キャー」という悲鳴。これでは眠れない、と布団にもぐればベッドがギギーッと音をたてて動き出す。高機能でなくなった以上、この音は騒音なのです。入院中、痛みで苦しむよりもこのベッドによる不眠で苦しみました。

 

 大腸癌手術ということで私自身より周りの人のほうが心配してくださいました。当の私はといえば、入院中もこんなつまらないことで一喜一憂し、経過も順調で四泊五日で退院しました。手術三日後にはターキーサンドウィッチをほおばり、コーヒーを飲んでいた私、回復も順調です。しかし、残念ながらリンパに癌の転移が発見されました。抗がん剤治療を受けることになりました。症状もなく検査によって発見された私の大腸癌は初期だったそうです。それでもリンパへの転移がありました。みなさん、検査は早めに受けましょう。そして、もしも癌の告知を受けたとしても落ち込まないで。手術も入院も治療も、決して悪いことばかりじゃないですよ。いろんな発見があり、人生を見つめなおすいい機会にもなります。