ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 Chatham

Chatham

 

 私がニュージャージーを想うとき、常にその根底にはChathamという小さな街があります。1997年8月10日に渡米してから約6年半住んでいた街です。知る人ぞ知る、知らない人は知らないという小さな街ですが、私はこの街が大好きです。結婚を機に街から出ましたが、それでもここは私にとってアメリカでの故郷のようで、特に用事がなくても戻りたいと想ってしまう場所なのです。

 Chathamは日本語で言うならばチャタム、しかし、TH音があるため、チャタムと言ってもアメリカ人には聞き取ってもらえません。渡米してきた当初は読み書きはなんとでもなったのですが、とにかく会話に困りました。私が言うことは聞き取ってもらえず、相手のいうことは聞き取れず。County Collegeはカニカレッジ(蟹の大学を想像していました)と聞こえるから、何を言われているかわからないし、隣町からバスに乗って運転手に「どこで降りるんだ?」と聞かれ、「チャタム」と言えば、何度も聞き返され、挙句の果て「自分の降りるところはわかるか?そこで降りるんだぞ」と言われてしまうし。あの頃はまだ車もなく、毎日バスの運転手とそんな会話をしておりました。たまたま出会った人が隣町に住んでいて、「君はどこに住んでいるの?」と聞かれ、「チャタム」と答えれば、「どこだろう、そんな町は聞いたことがないなあ」と言われました。だから、Chathamという名前が嫌で嫌でたまりませんでした。ふざけた友達は「君はChat(おしゃべり)Ham(ハム)に住んでいるんだな」と街の名前を笑いました。半年くらいして、やっとChathamと発音できるコツをつかみました。そのときこそ、自分の英語力の上達を誇ったことはありません。ルームメイトに毎日のように、「I live in Chatham.」と言って自慢し、「知ってる、僕もだから」と笑われていました。

 一口にChathamといっても、私が住んでいたのはChatham Boroughで、ChathamにはBoroughとTownshipがあります。ニュージャージーにはBoroughとTownshipがある町がたくさんあります。なにが違うのかを簡単にお話したいと思うのですが、あくまでも私の説明はニュージャージーにおけることでして、他の州ではまた少し違うかもしれません。Boroughは自治区で、Townshipは郊外といえばわかりやすいでしょうか。公的な場所(郵便局、図書館、鉄道駅など)やダウンタウンはBoroughにあります。Boroughでは住民がBorough Council(議会議員)とMayor(市長)を選びます。Townshipは住民がTownship Committee(Township委員会)を選び、その中のひとりがMayor(市長)になります。なので、Chathamと一口に言っても、BoroughにもTownshipにもそれぞれにMayorが存在するのです。

 Chathamという地名は、もともとはGreat Britainからきたもので、Chatham伯爵から由来しているそうです。Chatham Townshipは1806年に誕生したのですが、Boroughに住んでいた人々のほうが税金を多く払うけれど受けるサービスが少ないということで、Chatham Boroughが1897年に誕生しました。Chatham Boroughは2.4平方マイルで人口約8000人。Chatham Townshipは9.4平方マイルで約10,000人が住んでいます。私が住んでいたのはBoroughで、Townshipは通り抜けるくらいであまり出向いたことがありませんので、私のいうChathamとはBoroughだと思ってください。

 Chathamは閑静な住宅街です。ダウンタウンはメインストリート沿いにあるのですが、歩いて数分で通り抜けてしまうくらいこじんまりとした街です。メインストリートを歩くと、ほかの街では味わえない懐かしさを感じます。私が住んでいたところからメインストリートまで徒歩3分。その途中にChatham Playersというコミュニティシアターがあります。私はその劇場が大好きでした。毎年12月になるとルームメイトに誘われてお芝居を観に行きました。ちょうど大学の期末試験が終わり、クリスマス前という、気持ちが開放された時にお芝居を観るのは本当に楽しみでした。春や夏の終わりにも観に行きました。お芝居を観た後、歩いて家まで帰るのですが、夜風で季節を感じたものです。

 Chathamのメインストリートでは必要なものはすべてそろってしまうくらいに凝縮されています。図書館あり、郵便局あり、レストランあり、銀行あり、バス停あり、道一本入れば鉄道駅も市役所にも行けます。私が気に入っていたのはここにはスターバックスマクドナルド、チェーンのレストランもないというところです。隣町、Madisonまで行けばダンキンドーナツスターバックスバーガーキングもあります。でも、Chathamのダウンタウンにはありません。スターバックスでコーヒーを飲むこともありますし、ダンキンドーナツは結構食べます。でも、そういうお店が並ぶとどの街も同じように見えてくるのです。Chathamのダウンタウンには古くからの個人のお店がいくつもあり、なんだか味わい深いのです。その中のひとつ、Arminio’sはNorth Passaic Avenueとメインストリートの角にあるピザレストラン。ピザだけでなくパスタなど他のイタリア料理もあります。私はここのピザを愛しておりました。どのくらい愛していたかというと、Lサイズのピザを3-4切れはペロリと平らげていたといえばおわかりいただけるでしょう。私とルームメイトがLサイズピザをオーダーすると、いつも最後の一切れを前に目が合い、「食べたい、でも譲るべきか」と無言の話し合いとなり、たいていは私が譲っていました。なにせ敵は身長190cmの男なのですから。当時大学のカフェテリアで毎日ランチにピザを食べていた私ですが、それでも夜またArminio’sのピザを食べても平気でした。日本から友達や家族がくると、必ず一度はここのピザをごちそうしました。

 私は日本の喫茶店が大好きでした。雰囲気がよかったのでしょう。スターバックスでコーヒーを時々飲みますが、喫茶店で飲むのとはやはり違います。アメリカにきて驚いたのは喫茶店がないことでした。レストランはあります。ダイナーもあります。ベーカリーもあります。コーヒーショップもあります。でも、日本の喫茶店のような雰囲気を持つところがないのです。もちろん日系のお店まで行けばあるわけですが、近所の喫茶店というものがないのです。ある日、街をブラブラ散歩していたら、ベーカリーが開いていました。毎日オープンしているのですが、当時車がなかったため大学までバスで通っていたので、そのベーカリーの前を通るときは朝早くか、帰りは薄暗かったので寄る暇もなく通り過ぎていました。常々一度は入ってみたいと思っていました。なので、ちょっとのぞいてみたくなりました。ケーキ屋さんだろうと思いながら、中に入るとやはりケーキ屋さんでした。ただ、私の友達で、小学校の頃Chathamに住んでいたという人がいて、彼が「Café Beethovenって今でもあるのかなあ。ぼくはあそこのケーキが大好きだったんだ。」というくらいなので、昨日今日できたベーカリーではありません。彼が「ぼくが小学校の頃、すでにあったから、あそこはもうどのくらい続いているんだろうなあ」というくらいです。一見ケーキ屋さんなのですが、奥ではコーヒーとデザートを頂けるようになっているのです。私は大好きなチョコレートケーキとコーヒーをオーダーし、奥の席に着きました。私以外に近所の奥さんらしき人が2人お茶を飲んでいました。静かな雰囲気で、それはまるで私の大好きな喫茶店のようでした。以来、友達のバースデーケーキはここでオーダーし、疲れたときは奥でコーヒーとケーキでくつろぐようにしていました。

 ルームメイトが私の叔父と同い年の男性だったせいか(ルームメイトというよりも、実際は家族ぐるみの知り合いだったため、私が彼の家に転がり込んできた居候だったわけですが)、最初の頃はショッピングに出かけたことがありませんでした。それ故、アメリカには日本のような「街」はなく、人々はショッピングに興味がないとすら思っていました。冬の初めのころ、日本からきた私は薄手のジャケットしか持っておらず、あまりの寒さにジャケットを2枚重ねて着ておりました。そんな私を見かねた彼は「君のジャケットでは冬は越せない。ここの冬はもっともっと寒くなるんだから。今度の日曜日に厚手のコートを買いに行こう」と言いました。そして、週末、うちから車で10分弱、モールに到着しました。びっくりしました。いつも、この道をずっと向こうにいくと何があるんだろうと思っていた道の果て10分足らずのところにモールがあったのですから。Livingston Mall。とても小さなモールですが、私がひとりで制覇するには格好の大きさです。うちからLivingstonと反対方向に向かってこれまた5分のところにはShort Hills Mallがありました。実際歩いていかれる距離だと思うのですが、モールの前にはRt.24が走っていて、その出口がぐるぐる回っていて、それこそ東名高速道路のインター付近を歩くようなもので、見えていてもShort Hills Mallまで歩く人はいません。ただ、私のルームメイトは歩いたそうで、車の人たちにみられ、草むらを横断して帰ってきたと言っておりました。今ではもっと大きく新しいモールがいっぱいありますが、私はいつまでたっても、このふたつのモールが大好きです。買い物するならLivingston Mall、見て歩くならShort Hills Mallと使い分けて、ふたつのモールを楽しんでいます。

 Ray Charlesが歌った「Georgia on my mind」という曲のごとく、私にとってはわが心のChatham。言葉も満足に話せず、文化も街もわからなかった子供のような私を暖かく見守ってくれた街だったから、私はこんなにもこの街が好きなのでしょう。あれから13年たっても、ルームメイトも住んでいた家も隣近所の人々も変わっていません。たまに行くと、里帰りしたような気分になります。Chathamが私の故郷だからなのかもしれません。