ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 ああ、子供たち

ああ、子供たち

 

 子供というものは摩訶不思議な生き物です。お腹の中で育ててきた間違いのないわが子なのですが、それでも親の思うようにはならないことが多く、思わぬことをしでかしてくれるものです。それがいいときもあれば悪いときもあり、そしてそれが予想もつかないのです。ここ2-3年で私はものすごく年をとったように思うのです。子育てとはストレスとの戦いのように思えるのですが、小さなお子さんをお持ちのみなさんはいかがでしょうか。

 先日、娘が迷子になりました。大変驚きました、とは言葉上のこと、実際には「親とはちっぽけなものだ」と思いました。あまりのことで気が動転しつつも、冷静にほかを観察する目もありました。親、というよりも私とは本当におかしな生き物だとも思いました。普段、私にべったりの娘なので買い物に行っても離れて勝手な行動をするような心配がありませんでした。それ故、油断してしまいました。子供というものは成長するもので、昨日の娘と今日の娘は全く同じではないということを学びました。

 2歳にしてすでに買い物好きの娘に誘われて、近くのお店に買い物に行きました。「ママ、ピンクのブーツが欲しいの。ルビーも履いていたの。」と、おねだり上手な娘は得意のスマイルで言ってきました。そんなに高くなければ買ってあげたい、しかし、わが娘の足にあうブーツがみつかるのだろうか、と思いながら出かけました。いったい、この子は誰に似たのか、足が太く、そのうえアヒル足なのです。アジア人特有の幅広、甲高の足はまさに「ドナルドダック」のようで、1歳半上のお兄ちゃんよりも太い足首をしているのです。息子は赤ちゃんの頃から骨格が太く、胸板厚いまさに男体型で、足もすっきりしているのですが、なぜだか娘は違いました。私の足もそんなにアヒル足ではないし、これはアジア人特有とも聞くし、一体誰の足だろう。。。といまだに謎なのですが。とにかく、この足にあう靴はアメリカではまずみつかりません。セールでかわいい靴がたくさんあり、娘も「ママ、これ、欲しい」と言ったとしても、試着すると必ずといっていいほど「ママ、これ、きついねえ。」と却下になるのです。なので、たいていは帰国した際に日本で1年分の靴を買い込んでくるのです。日本にはありますからね、幅広甲高の靴が。

 さてさて、お店につくと、娘はすばやくピンクのブーツをみつけました。「ママ、これ」と指差すので、値段をみると素晴らしい。「Buy one Get one Half price」なのです。これ、ひかれますよね。ってことは、「ママのブーツを買えば、まあちゃんのピンクのブーツは半額ってことじゃない!」一石二鳥とはこのことでしょうか。では、まずは娘のブーツのサイズをみて、それからママのブーツを探しに行こう。たいていはこの段階で「ああ、残念」となるのです。しかし、このときは違いました。娘に試着させると珍しくピッタリ。なぜならば「W」があったからです。ああ、素晴らしい、娘の足にピッタリフィット、その上ママのブーツまで買っちゃえば、このピンクブーツは半額と。私もうれしくなり、ちょっと油断したのでしょう。手をつないで女性用ブーツのコーナーまで行き、私がキョロキョロし始めると、娘は一人で歌いながら踊っていました。「この子はそばにいる」と信じていた私は娘の歌声を聞きながら、「ママのブーツを買わなきゃ」と、自分のブーツ探しに没頭し始めました。ふと気がつくと娘の歌声が聞こえない。「あれ、どうしたんだろう」と振り返ると娘がいない!そのあたりにいるだろうと、通路の先まで見に行ったら、どこにもいないのです。ぞぞーっと血の気がひきました。「娘が消えた」。。。もうブーツどころではありません。隣の通路にいた店員さんに「2歳くらいの女の子見ませんでしたか?たしか、このあたりを通ったと思うんですけど。たった今のことですけど」と聞くと、「あ、見ましたけど。。。あれ、いない。」と言い、辺りをみてくれました。しかし、娘はいない。店員さんがマネージャーに連絡すればモニターで調べてくれるというので、お願いし、私は店中を走り回りました。普段は小さなお店だと思っていたのですが、こうなるとやたらと大きなお店に感じてしまうのです。娘はどこにもいないのです。もしや一人で外に出て行ったのでは。。。と思い、出入り口の警備員に聞きに行くと、「みていない」と言われました。店員さんはマネージャーに連絡してくれたはずなのですが、迷子の店内アナウンスが流れないのです。日本のデパートとかで迷子になると「2歳くらいの女の子をみかけませんでしたか」といったアナウンスが流れるのでしょうが、それがないのです。その代わり、「ジェニー、3315」とか、「ダニエル、3310」とかいった暗号のような数字が放送で飛び交っていたのです。みるとあの店員さんがその暗号数字をマイクで流していました。ふと、「もしかしてこれって、暗号で迷子をスタッフに連絡してくれているのかも」と思い、ということは私もやたらに人に「2歳の女の子をみかけませんでしたか」と聞いてはいけないのかも、と思いました。聞くことによって、見つかる可能性もあるけど、逆に「そういう子が迷子か。」と誘拐につながるのかも、と思えてきて、お客さんにやたらに聞くことを避けました。時間にしてみればおそらく5分くらいのことだったのでしょうが、とにかく私は恐怖でいっぱいになり、娘の顔を思っては「もしや、誘拐されて、すでに殺されているのかも」「今頃、車で連れ去られているのでは」などといろんな事件が頭をよぎりました。実際、そういった事件というのは一瞬にして起きるわけですから。そうこうしていたら、向こうからマネージャーと手をつないだ娘が歩いてきました。ほっとしたのと同時に、「この子、泣いてない。知らないおじさんと手をつないで普通に歩いている」と、誘拐される危険性を感じました。私の前に来るとニコッと笑って、「ママ、まあちゃん、下に行きたかったの」と。「どこにいましたか?」とマネージャーに聞くと、洋服売り場で一人で服をみていたと。ああ、わが娘らしい。おもちゃではなく、洋服でしたか。マネージャーにお礼をいい、お店を出ました。この子はいつもママにくっついている子と信じていた娘だけに、まさかの迷子だったし、人見知りの激しい子なので知らない人にはついていかないと思っていたけど、お店のマネージャーと普通に手をつないで歩いていたのですから、油断できません。

 息子にはそういう思いはしたことなかったのですが、別の形で神経すり減らしております。以前にも書いたのですが、息子には発達障害があります。それ故、こだわりも強く、こだわりと癇癪はセットのようにして訪れてきます。発達障害の子がみんなそうだというのではなく、うちの息子の場合です。そして、それが常にあるというわけではないのです。あるときいきなり訪れて、気がつくと薄れているというような感じなのです。去年の夏、一時帰国した際、息子はエスカレーターに執着しておりました。どうやら遊園地の遊具のように思えていたところがあるのですが、「こだわりと癇癪」の息子はそれだけではすみません。気が済むまでエスカレーターを上がったり下がったり乗っていないとものすごい癇癪を起こすのです。そうです、まさに床に寝転んで愚図るのです。私の実家は成田から名古屋のセントレア空港まで乗り継がないといけないので、JFK空港で、成田で、セントレアで、と3つの空港で大変な思いをしました。息子一人ではなく娘も連れているので、1時間もエスカレーターに乗っているわけにはいきません。「もう行くよ」と言えば、ギャーと床に寝転んで癇癪を起こす息子。帰りのJFK空港のイミグレーションの手前でエスカレーターをみつけた息子は「乗る」と言い出しました。そんな時間もないし、列に並ぶように係りの人が指示していたので、「またにしよう、今は無理だから」といったら、ものすごい勢いで騒ぎ出し、セキュリティーが3人もすっとんできました。「すみません、この子、発達障害があるので」といったら、すぐにわかってくれて、列には並ばなくていいからと特別枠から通してくれました。そんな経験があるので、この冬の帰国の際は、万全なる準備をしました。使わずにしまってあったダブルストローラーに二人を乗せ、いざというときのためにチャイルドハーネス(犬の散歩のようですが、子供用のバックパックにリーシュがついているものです)をバッグにいれておきました。私は抗がん剤治療のため、右の鎖骨下あたりにPortacath(日本語ではリザーバー。皮下に大きなボタンが埋め込まれているような感じです)がはいっているのでバックパックが背負えないのです。なので、肩からかける大きなバッグにあらゆる用具一式をつめこみました。これでまたエスカレーターをみつけて騒いでもなんとかなるだろうと思いつつも、それでも大声で泣き叫ぶのは避けられないだろうなと覚悟しておりました。夏の帰国以来、私はエスカレーターが怖くて、息子を連れてエスカレーターのある場所へ行くことを避けていたのです。ところが、これまたやられました。息子はエスカレーターにはもう執着しておらず、ストローラーに二人を乗せたものの必要はなく、ハーネスも使わず、用具一式の中で使ったのは機内で読んだ本数冊だけでした。

 ああ、子供たち。「いきなり」の不意打ちばかりしてくるから母は必要以上に老けてしまうのです。たった一言、事を起こす前にお知らせ願いたい。でも、そしたら、子供が子供である魅力がなくなるのかもしれません。子供は不思議な生き物だからこそ、人は大人になると「いつまでも子供でいたい」と思えてしまうのでしょうね。