ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 Jersey Shore

Jersey Shore

 

 夏といえばビーチ。早いもので私が波に飛び込まなくなって早6年。友達の間では私の海好きはかなり有名でした。ビーチで日焼けするのではなく、男友達にまざって、向かってくる波めがけていき、波に乗るかのように泳ぐのです。アメリカとは素晴らしい国で、30過ぎて少しづつ変形してきた体でもビキニ着用を許してくれるのです。日本だったら、若者たちに「いい年してやめてくれよ」と思われていたでしょうが、ここでは全然平気。といいますか、かなりお年をめした方でもビキニで日焼けしている姿をよくお見受けするので、30過ぎくらいは許してもらわねば。ビキニ着て、波に飛び込む楽しさは今でも忘れられません。

 私が通ったビーチはジャージーショアと呼ばれるニュージャージー中南部の海岸です。モンマウスカウンティーにあるSea Girtにほとんど行っていました。そのあたりはPt. PleasantやSpring Lake、Manasquanといった街が海沿いにずっとつながっているのです。なので、ビーチ沿いに歩いていればSea GirtからManasquanまで行けるのです。Pt. Pleasantにはおいしいレストランもあり、楽しみ方はいろいろです。そのままずっと南下していけば、うちの大人子供の夫の好きなアトランティックシティまでつながっています。

 

 私がSea Girtを知ったのは約10年前。もともと海が大好きだったのですが、まわりには夏の暑い日に渋滞覚悟でビーチに連れて行ってくれるような人もいなくて、うわさに聞く「ジャージーショアとはどんなとこじゃろな」と思い続けておりました。それが当時喜んで通っていたダンスにたまたま来ていて人に「海が好きで夏はビーチに行くんだ。よかったら今度一緒にどう?」と誘われ、その年の夏の初めにそそくさと着いて行きました。ダンスでナンパされたわけではなく、どちらかというと「真夏ビーチ部」への勧誘を受けたという感じです。以来、彼は私にとってTubeのような存在となり(夏の始まりに連絡があり、夏が終わると連絡が途切れる。年中存在するんだけど、夏しか会わないという存在)、夏限定のベストフレンドとなりました。

 6月になるとビーチの仲間は動き出します。彼は仲間10人くらいで海沿いのサマーハウスを借りていました。6月から9月いっぱいまでの4ヶ月だけ、大きなおうちでみんなで借りてシェアするのです。彼が借りていたおうちは3階建てでムーミンのおうちのような円柱状のおうちでした。週末のみ来る人、1-2週間滞在する人、4ヶ月間住んでいる人、さまざまでしたが、みんなが集まるときはBBQしたり、みんなでビーチに繰り出したり。私は借りていませんでしたが、彼が行くときは連れて行ってもらい、そこでシャワーを借りたり、BBQをごちそうになったりしていました。B&Bのような、気軽に泊まれるところもあり、時々はレストランでパーティーもあり、イベントはいつものようにありました。アメリカにきて3年目にして、初めてアメリカのお楽しみを知ったような気分でした。

 楽しみはつきない日々でした。朝一番でサイクリングして、軽く朝食をとり、それから水着を下に着て上からTシャツとショートパンツ姿で近くの公園でテニスをし、汗をかいたところで海に飛び込む。疲れたらビーチに寝転んで読書し、ランチはみんなでサンドウィッチをほおばり、それはまるで夏休みの小学生のようでした。

ビーチの仲間は様々な職種の人たちで、マンハッタンでラジオのDJしてる人、消防士、電車の運転手、公務員、銀行員、ウォール街の証券マン、などなどいろいろで、集まったときにお話するととても興味深かったです。

結婚を機に私はビーチ部を引退し、夏限定のベストフレンドはフロリダに越していき、ほかの仲間たちとも会うこともなくなりました。

 

 ニュージャージーの海は汚い、という人もいますが、私は決してそうとは思いません。たしかに南の島のように、ブルーのバスクリンをいれたような海に比べてしまうと「あ。。。」となるでしょうが、でも、水がにごっているような海ではないし、私はきれいだと思っています。嵐のあとは水がにごるのは当然のことなので汚れていますが、工場などの人工的な汚れではなく自然の汚れなので、数日待てば水はまた澄んできます。私は夏になるとあせもがすぐにできる体質でした。それがビーチに通うようになってから、海水がよかったせいか、あせもができなくなりました。それはビーチ部から退いた今でも続いており、かなりの恩恵を受けております。

 

 子供が生まれてからもひと夏に1度はビーチへ行っています。ただ、波に飛び込むことはなくなりました。ビキニもさすがに引退しました。それでも海が好きです。私の腕に抱かれ、水が足に触れるとキャッキャッと喜んでいた息子も私の遺伝子を受け、海が大好き。水の中でなら1時間でも平気というくらいに大好きなのです。娘はどうも主人の遺伝子を受けたらしく、水を怖がるのです。ただ、負けず嫌いという私の遺伝子は受け継いだらしく、お兄ちゃんが泳げるということがとても悔しく、決して好きではないのに「夏には海で泳ぎたいねえ」と言います。息子がまだ小さい頃は時々、波に乗って泳ぐ夢をみたこともありました。「あの海に戻りたい」と、ビーチ部を思い出しては懐かしんでいました。でも、今は以前とは違うビーチの楽しみがあります。

 独身のころとはなにもかもが違います。まず持ち物。ビーチ部在籍中は、自分の着替えを車に乗せたらそれでOKでした。パラソルもチェアもビーチ仲間が持っていましたし、彼らがゲスト用にシーズンチケットを持っていたので、ビーチへ入るチケットは買わなくてすみました。至れり尽くせりの部活動でした。でも、今は自分だけでなく、子供たちの着替えを2組づつ、おやつにジュース、浮き輪、パラソルにビーチチェア。かつては当たり前のように仲間がたててくれていたパラソルも、今では私が立てます。大人子供の主人はビーチとは縁遠い人生を送ってきた人なので一緒にきたとしてもあくまでも「付き添い」であり、パラソルを立てれば風に吹かれてすっ飛ばすし、すぐに潮風に吹かれて寝てしまうし、やはり大人子供なのです。パラソルを立てるのは力がいるわけではありません。あれは棒の立て方にコツがあり、それさえ知っていれば私のような小柄な年増でも安定したパラソルができちゃうのです。ちょっとうれしいのは、娘が「あーあ、ダダがやるとアンブレラがひゅーって飛んじゃうねえ。ママ、上手ねえ」と、誇らしげに私をみてくれることです。そうだよ、ママはすごいんだよ、と微笑み返しておきます。私が立てたパラソルの下、大人子供は寝てしまいます。娘が「ダダ、カーカー寝てるねえ」というくらいに熟睡してしまうのです。たしかにビーチパラソルの下って、気持ちいいんですけど。なので、子供二人の手を引いて海に入っていくのは私の役目。砂のお城を作ったり、二人をそれぞれの浮き輪に乗せて浅いところを引いて歩いたり、好みが相反する二人ですが、私が入って3人となると結構いいチームワークになるのです。波に飛び込むほうが体力使うように見えますが、実際、子供たち2人連れて水遊びするほうがはるかに疲れます。波に飲まれないよう、行方不明にならぬよう、常にふたりとつながっていなければならないわけですから、体力よりも気疲れしてしまうのです。

 

 そんな大変な思いするなら海に行かなければいいのに、と思われるでしょうが、私たちは懲りずに行くのです。そして、私と子供たちにいたっては、夏だけでなく春も秋も冬までも海を見に行ってしまうのです。今の私の夢は「あの海に戻りたい」ではないのです。いつか親子3人で波に飛び込むことです。私が楽しんだ海で、私たちは3人そろって波乗りしたいです。波頭に3人がしっかと頭を並べて乗っかっていたら最高じゃないですか。過去を振り返るのは寂しいものです。人は進化しなければなりません。この夢を達成するために、まずは娘の水嫌いを克服すること。あの頃楽しんだビーチで、今度は子供たちと一緒に「新ビーチ部」をつくれたらうれしいです。遠くの南の島で泳ぐのも楽しそう。でも、私はしばらくはこのSea Girtが一番好きな海かなあ。