ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 こぐま教室

こぐま教室

 

 4月になると日本では新しい年度が始まりますね。日本人としてアメリカにいると、子供をどの幼稚園・学校に通わせることがいいのか悩みますよね。日系がいいのか、それとも現地校がいいのか。そして学校を選ぶときも自由なところがいいのか、規律正しいところがいいのか。遊びを重視するところか、勉強を重視するところか。うちの場合、まずは日系の保育園から始めて、日系プラス現地の保育園、それから小学校は現地校、と考えております。日系の保育園といってもやはりいくつかあり、どこがいいのか悩みます。うちは息子が2歳のときからこぐま教室にお世話になっております。娘にいたっては1歳3ヶ月から通い始めました。私にとってこぐま教室は子育てをするうえで大きな存在なのです。私もママ友ができましたし、なによりも子供たちが喜んで通っていることが一番です。

 息子が2歳のとき、発達の遅れに気がつき、セラピーを始めました。その時点では「広汎性発達障害」という診断名はありませんでしたが、2歳になっても言葉が出ず、ほかの2歳児と比べると遅れていることは顕著でした。その頃、知人に「宣伝とか出してないので聞いたことないかもしれないけど」と、こぐま教室のことを聞きました。その後、何人かに同じように「口コミで広まっているけど宣伝出してないから知らないかもしれないけど」という前置きでこぐま教室のことを聞きました。宣伝出してないから、といわれても実際には多くの日本人が知っていたわけです。見学にうかがった際に、「言葉も遅れているし、ほかのこともやはり遅れていると思うのです」と息子の事を説明しました。この時点で入園を拒否されるのではと覚悟していたのですが、普通に「子供の発達は個人差ありますからね」と言われ、肩の力がすっとぬけたのを覚えています。以来、こぐま教室を経営なさっている大熊先生はじめ、先生方みなさんが息子を普通に受け入れてくださり、現地校のセラピストとも連絡を取り合ってくださいました。私は息子が発達障害と診断されてから自分なりにその障害について勉強してきましたが、それをセラピストやスペシャリスト以外の人には語ろうとは思いませんでした。親でさえ理解しがたい受け入れがたいことを、他人がわかってくれるとは思っていませんでした。ところが、大熊先生に「障害児についてどうお考えですか」とうかがったところ、「障害という言葉は好きではありません。発達に幅があると考えます」と仰いました。この言葉には脱帽しました。発達に幅がある、実際その通りなのです。うちの息子をみていても、秀でていることに関しては同じ年齢の子よりもはるかにできるのですが、別の面ではかなりの遅れがあります。数字で表現するならば、健常児が0から100の範囲のなかの40-70で収まるとすれば、うちの息子の場合、得意なことは100を越すし、苦手なことは10とか20とかで、大熊先生の仰るとおり、幅が大きいのです。これは息子のセラピストにも同じ事を言われました。「いろいろな子供たちがいることでそれぞれが相手の立場になって考えることができるようになったり、相手のよいところを認めることができるようになるのです。どの子も一緒に大きく育って欲しいと願っています」とのこと。健常児だけの日系保育園、幼稚園はたくさんあると思います。でも、障害児と健常児という枠をとりはらって保育してくださるところはそんなにたくさんあるとは思いません。

 息子がとても楽しそうに通っているし、娘も1歳半になったらお願いしようと思っていたのですが、わが娘、誰に似たのかものすごく手のかかる子でして、1歳を過ぎた頃から私は育児ノイローゼになりそうな状態に陥りました。このままだと私も娘も共倒れになる、と思い、大熊先生に「娘が1歳3ヶ月なんですけど、お願いできますか」とうかがったところ、快く受け入れてくださいました。娘もすぐにこぐま教室が大好きになりました。家では食べないものでも、給食だとみんなと一緒に食べていたり、家ではわがままし放題なのに、教室だと先生やお友達のすることをみては真似していたり、娘は娘なりに「社会」というものを学んだようです。

 こぐま教室のよさはたくさんあるのですが、そのなかでも私は行事の多さに感心しました。アメリカで生まれ育ったわが子たちに日本の行事を教えるのは容易ではありません。たとえば、お雛様。うちでは小さなお雛様を飾っても親戚の家ではどこにもありません。鯉のぼりもそうです。鯉のぼりを上げている家なんて近所にはどこにはありません。2歳や3歳の子供に「お雛様とは」「鯉のぼりとは」「夏祭りとは」などと語ったところで理解しがたいもので、この年齢はやはりビジュアルで教えていくほうがいいのです。言葉も文化のひとつを考えますが、こういった季節の行事をみんなで見て、体験することは伝統文化を知るためには大切なことです。季節の行事以外にも遠足があったり、たくさんの社会学習があります。その中のひとつで「お店屋さんごっこ」は私のもっとも印象に残ったものです。紙や牛乳パックなどの廃品で作ったお寿司やハンバーガー、お花などが並べられ、子供たちがお店の店員になっているのです。そして、ママやパパたちが紙のお金でそれらの商品を買い物するのです。私は感動しました。いつまでも赤ちゃんだと思っていたわが娘が前掛けをして、頭には三角巾をつけ、お寿司屋さんの店先に座っていました。「まあちゃんが仕事してる」、保育園の行事なんてことはすっとび、娘が社会で働いているようで、ただただわが娘の成長ぶりに涙が出そうでした。私の姿をみると娘は恥ずかしげにニヤリと笑い、目の前にあったお寿司のパックを開けてしまいそうになりました。私の一番の買い物はその、お寿司パックでした。娘が大きくなってアルバイトするようになったら、私はきっとそのお店に行って買い物しまくるんだろうなあ、と自分と娘の将来を垣間見たような気がしました。

 このように、こぐま教室は一人ひとりの子供が輝いていられるように、先生方が見てくださっているように思います。発達障害の息子、内弁慶の娘、二人ともがこぐま教室が大好きで、そこで家族以外の人たちと触れ合う社会への一歩を学んだようです。大熊先生は「子供が主役」と考えていらっしゃるそうで、それは私が教師をしていたときに心がけていたことと同じです。大熊先生曰く、「乳幼児が生涯にわたる人間形成を培う時期に保育に携わるわけなので、一人ひとりに対して愛情を持って接し、保護者との連携を大切にします。心と体のバランスのとれた発達をはかると共に、自分を大切にする心、人を思いやる心を育て、未来を作り出す力の基礎を培うということを大事に考えます。限りない可能性を秘めた子供たちの能力を最大限に発揮できるよう、全力で保育に当たります。子供のよりよい成長には子供を中心に、保護者と園がいつも話し合い、協力しあう関係であるべきだと思います。」これも私は同感で、私は息子が現在通っているプリスクールにかなり頻繁に顔を出します。セラピーも受けているので、懇談会、クラス訪問、セラピー訪問と月に3回くらいは学校に行っては先生たちと話し合っています。家庭と学校は常に連携しているべきだと、私も思うのです。だから、いくらいい学校だ、いい幼稚園だといわれていたとしてもその園や学校の方針と家庭の方針が食い違っていたり、担任の先生といいコミュニケーションがとれなければ子供が混乱してしまうと思うのです。

 親はみんな子供のためにベストなことをしてあげたいと願うものです。それゆえ、学校や幼稚園、保育園を選ぶ際、情報を元にそこがわが子にあっているのかどうか大変悩むのです。私は結果的に、わが子ふたりをこぐま教室に通わせてよかったと思います。社会への第一歩として、他人との接し方を学び、そこから社会における基本的なルール(してもいいこと、いけないこと)も覚えたように思います。私は幼稚園時代、幼稚園が大嫌いでした。いつも「しなければならない」ことばかりで、元々左利きだったのも右利きに矯正され、3歳にしてすでに学校教育に入っていたようで窮屈でした。幸い、うちの二人は大の学校好き。これもきっと、こぐま教室で「楽しい場」を体験したからでしょう。こぐま教室に興味のある方はまずは体験入園をしてみてはいかがでしょうか。給食もおいしいし、楽しいですよ。

連絡先:こぐま教室 (大熊先生) (201)