ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 芝刈り

芝刈り

 

 若葉の季節、お出かけが楽しい時期ですね。しかし、私はこの時期、花粉症で大変苦しみます。この時期だけでなく秋もそうなので、花粉なのか木の芽なのかそれとも草のせいなのか一体なにが原因なのかはよくわからないのですが、とにかくクシャミ、鼻水、発疹と最悪な状態になります。時々は熱まで出ることもあります。子供の頃はなかったのですが、二十歳を過ぎた頃から徐々に出始め、アメリカに来たらなくなると思っていたところ、期待はみごとに敗れました。聞いた話では、長くその地にいると、そこにあるアレルギーを起こす物質(花粉など)が体内に蓄積され、それでアレルギー反応を起こすようになるらしいのですが、それが本当なら、私の花粉症を起こすものは日本とアメリカに共通するものに違いありません。杉や稲ではないことは確かなので、草か花に関係するように思えます。私の花粉症は雨にも打たれ強いので、お天気に関係なく春と秋は毎日グジュグジュの顔をしております。

 しかしながら、私はこの時期から初夏にかけて大変好きなものがあるのです。それは、芝刈りをした翌朝の香りです。青くさい草のいい香りがするのです。朝、窓を開けると少し冷たい空気にのって漂う香りに私はかつて住んでいたタイの農村での生活を思い出すのです。20代半ば、私はタイの北部の小さな村に住んでいました。観光地で有名なチェンライやチェンマイよりももっと北の、タイ、ラオスミャンマーが隣接するゴールデントライアングルから車で約1時間半南におりた小さな小さな農村です。そこに日本人が経営する農場があり、私はその農場内に住んでおりました。キングコブラの宝庫と呼ばれたその地には見渡す限りなにもなく、夕方あぜ道を歩けば三角の頭をつきたてたキングコブラと出会ってしまうというとんでもなく田舎でした。そこで私は農業をしていたわけではなく、農場でのプロジェクトのひとつで村の女性に縫製技術を教えるという仕事を管理していたのです。そうです、「管理」です。私は縫製は大の苦手なので教える技術はありません。テレビもなく、娯楽らしいものは何もなく、楽しみといえば夕方、タイ人の友達と雑談することくらいでした。着いた当初はあまりの原始的な生活に根をあげ、「週末には日本に帰ろう」と毎日のように思っていました。ところがそんな私を田舎生活のとりこにしてしまうあることが訪れたのです。朝、部屋の窓を開けたら清々しい草の香りが立ち込めてきました。それはまるで、アルプスの少女ハイジが山頂で深呼吸するように、今までに吸い込んだことのないくらい新鮮な空気が私の体内に流れこんできました。田舎に行くと空気がおいしいとかよく聞きますが、私はそれがどういうものなのかよくわかりませんでした。子供の頃は「おいしいといえば炊きたてご飯」と思っていたので、いくら空気のきれいなところで深呼吸したところで「おいしい空気」つまり、炊きたてご飯の味の空気などは味わえませんでした。でも、このとき生まれてはじめて「空気がおいしい」という意味を体で感じました。外を見ると、いつもと同じどこまでも続く草原。昨日刈られた草が所々に落ちていました。青くさい草の香り、私は大嫌いだった原始的生活に魅力を感じるようになりました。

 翌年、タイの首都バンコクに越し、それからカンボジアに渡り、日本に戻り、そしてアメリカ、ニュージャージー州へと移り住んで参りました。農村を出て以来、あの草の香りはすっかり忘れたものとなっておりました。あれから5年が過ぎていました。渡米した翌年のこの時期、当時住んでいた家の友達が「あーあ、また芝刈りの季節がきたなあ」とぼやきながら庭の芝刈りをしていました。翌朝、部屋の窓をあけたら、タイの農村で嗅いだあの青くさい草の香りがしてきました。私がクシャミをしながら、ティッシュで鼻を拭きながら、窓から外をみていると、友達が「窓閉めたら?風が入るからクシャミが出るんでしょう」と不思議そうに言いました。彼は芝刈りを面倒くさそうにやっていましたが、私にとっては芝刈り機の音は翌朝のお楽しみを告げる音で、その翌朝は必ず早起きをしておりました。そこで私が興味を持ったのは芝刈り機。「あれを使いこなしたい」という願いは日に日に強くなりました。夏の終わりに、「ねえ、私が芝刈りしてあげるよ。その芝刈り機の使い方教えて」と言ったところ、すぐに願いは却下されました。「いいんだ、君には大変すぎるから」と丁寧に。でも、落ち葉かきも雪かきもかなりの重労働だけどちゃんとできるのになぜに芝刈り機はだめなんだろう、と考えました。いまだにその理由はなぞのままなのですが、思いつくことはひとつ、ふたつ。その夏、彼が1週間バケーションに出たとき、私はひとりで留守番をしておりました。観葉植物の多い家で、それらの植物がなぜだかみんなひょろひょろと背が高く、ムーミンに出てくるニョロニョロがいっぱいいるように思えていました。決してがっしりと栄養いっぱいに育っているようには見受けられませんでした。そこで私は植物には日光が必要なんだと思い、お天気のいい日に家中の植物を外に並べてあげました。お水をたっぷりとかけてあげました。朝日を浴び、植物が喜んでいるように思えました。そして、夕方になり、「さあ、みんな、おうちに帰る時間よ」とお迎えにでたところ、大半はヘニョッとしおれておりました。そして、彼が帰ってきたときには、3分の2の観葉植物はお亡くなりになっておりました。彼は怒らない人なので叱られませんでしたが、大変落胆している様子がはっきりみえました。以来、なぜだか彼は私に庭の手入れも植物の手入れも「しなくていいよ」と優しく断ってくれるようになりました。それが理由でしょうか。それとも、ある日、私が庭の片隅でみつけた薬味に使うワケギのような草を「うわあ、うちには自然のネギがいっぱいあるじゃん。今夜の味噌汁に入れちゃおう」と束にして取りました。喜んでキッチンに持ち帰ったところ、彼はそれをみて「ぎゃ!それはオニオングラスだ。雑草だよ。ぼくは食べたくない。いや、絶対食べない。君は。。。食べても死なないとは思うけど、とにかく早く外に捨ててきてくれないかなあ」と、とても怪訝な目で見られました。以来、彼は私に庭の草取りでさえやらせてくれません。それでしょうか。

 それから6年後。結婚してから初めの1年半くらいはアパート住まいでしたので、芝刈りは知らない間に業者がきてやってくれておりました。芝刈り機を操縦するチャンスは訪れることはなかったものの、タイの農村を思い起こさせてくれる香りだけは変わらず楽しんでまいりました。5年前、今の家に越してきました。裏庭があるのですが、猫の額ほどの狭い庭なので私が芝刈りをやっても大丈夫かなと思いました。ところが、この付近にはすごい男がいるのです。この人、恐ろしく嘘つきなのです。いきなり、うちの裏庭で芝刈りをしていたのです。仕事から帰ってきたら知らない男がうちの裏庭で芝刈りしてるからびっくりして、「なにしてるんですか?」と聞きました。そしたら、すました顔で、「芝刈りさ」と。急いで主人に電話をすると、主人も心当たりがないというのです。しばらくして主人が帰ってきました。それをどこかでみていたかのように、あの男が玄関のベルを鳴らしました。主人に「君の家の裏庭の芝刈りをしておいたから」とお金を請求したのです。「頼んでないだろ」といったら、「いや、この間道で会ったときに頼んだじゃないか」と言い張るらしいのです。どうやら、この男が道で声をかけてきて「いつでも裏庭の芝刈りしてあげるから」と言ってきたから主人はどこの誰ともわからぬ相手なので、「ああ、そのときは頼むよ」とだけ答えたらしいのです。それが契約?だったらしいのです。主人が「必要なときは頼むから勝手に芝刈りして請求しないでくれ」と言ったら、そのときは「わかった」と言いました。ところが、それから2週間後、家に帰るとまた裏庭がきれいに芝刈りされているのです。そうです、あの男が勝手にきて芝刈りしていったのです。懲りない男でして、いくら私が「あなた、うちの主人に頼まれてやってるの?」と聞いても、すました顔で「彼が頼んできたから刈ってるのさ」というのですが、主人は一度も頼んだことがないらしいのです。そして、毎回請求してきて、主人は払ってしまう。。。その繰り返しです。最近はもっとすごくなり、私が家にいるのにやってきて芝刈りを始め、私には「今朝、君のだんなから頼まれた」といい、主人には「君の奥さんが芝刈りをしてもいいと許可をくれたからやったわけだから払ってくれ」というのです。この男はうちだけでなく近所の人のところへも同じことをしているらしいので、この時期になると、男が芝刈り機をひいて道を歩く姿がこのあたりの風物詩のようになっているのです。そして、私たちも勝手に芝刈りされることになれてきつつあるのです。自分の家なのに芝刈りができない、という悔しさは残りますが、やはり芝刈りをした翌朝の香りはいいものです。こればかりは人が作り出せるものでもなく、猫の額ほどの裏庭に潜む小さな自然を感じるのです。

私は基本的に過去はあまり思い出さないようにしてるのですが、こうして季節の香りと共によみがえってくる思い出は格別な思いがします。頭では思い出そうとしなくても、五感によって体が思い出すのです。きっと、私はこれからもずっとこの芝刈りをした翌朝の香りが好きだと思います。いつかどこか別の場所で住むようになったら、私はまたこの時期のこの香りで何を思うのでしょう。タイの農村を思い出すのでしょうか。それとも、ここでの風物詩となった芝刈り男を思うのでしょうか。そして、私にはいつになったら芝刈りに挑戦できるチャンスは訪れるのでしょうか。