ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 ニュージャージー 大事なこと

ニュージャージー =大事なこと=

 

 1997年8月10日、私のニュージャージー暮らしは始まりました。そして、今、私はニュージャージーから離れています。子供たちと共に日本で暮らしております。「お、子供連れて日本逃亡か」と思われましたか。でも、去年はそう思われてもしかたない大変なことが続きました。発達障害のある息子、まだ赤ちゃんから抜け出したばかりの小さな娘を抱えて、私は余裕のない子育てに追われていました。その上、私自身は癌になり、その癌もかなり進行していたため抗がん剤治療となりました。抗がん剤治療は人の話にきく以上にきつく、腹膜炎を起こし人工肛門までできてしまい、これ以上何を?というくらいにたくさんのことが起きました。 

 ちょっとだけ休みたくなりました。逃げると思われてもかまいません。でも、私は私と子供を大事に生きていきたいです。だから、今、日本に戻り、人生の休憩をしています。親子三人で暮らしています。子供たちから父親を奪うつもりはありません。だから、時がきたらまたニュージャージーに戻りたいと考えています。

 人は、なくしたときにはじめて本当の大切さを知る、と言います。私は今、ちょっとだけ休みながら、私がみていたニュージャージーについて書いてみようと思います。しつこいようでうが、私はまだニュージャージーをなくしたわけではありませんよ、あくまでも、その前に、なくして後悔しないためにも、の話です。

 私はたった一度だけニュージャージーを離れようと思ったことがあります。それは2000年の夏でした。テキサスに引っ越そうと思い、大学までみに行きました。なぜにテキサス?テキサスには実家にホームステイした知人がいたので、その人を頼ってのことで、テキサスに行きたいからというのではなく、ニュージャージーを出たいからということでした。なにが不満でそんなことを思ったのか今では覚えていません。ただ、テキサスに1週間滞在し、大学を見学しているうち、ニュージャージーに帰りたくなりました。それが答えだと思い、ニュージャージーに舞い戻りました。あのとき、もし、テキサスに行っていたら。。。と思うことも度々ありました。では、もし、あのとき私がテキサスに行っていたら、私はどうなっていたでしょう。もっと幸せな人生だったかもしれません。癌にもならなかったかもしれません。では、もっと幸せな人生って、どんな人生なのでしょう。

 私はニュージャージーでとても大事な人と知り合いました。その人の名前はGladys。私の人生の中で出会った一番仏様に近い人です。Morristownで陶芸教室を開いていたおばあさんです。Gladysは私が居候していた友達のお母さんなのです。Gladysは私を自分の娘のように大事にしてくれました。息子の婚約者でもない、ガールフレンドですらない、そんな私を本当に大事にしてくれました。だから私は友達とぶつかりあうと言いつけにいき、テスト勉強がはかどらないと教えてもらいに行き、なにかにつけ自分の家のように行っていました。Gladysの陶芸教室は大きな自宅の一画にありました。Gladysはおうちに鍵をかけませんでした。大きなおうちなので、部屋をいくつか人に貸しており、いつも誰かが家にいました。だから玄関の鍵はかけなかったのです。丘の上にあったそのおうちは、夏は大きな木の陰から吹く風が心地よく、冬は陶芸で使っていた大きな窯、お部屋を暖める大きな暖炉が人の心までも温かくしてくれました。Gladysの家に行くと、心が休まりました。彼女は決して人を悪く言わないどころか、非難したことがありません。必ず人を認めます。だから、私がどんなに意味不明なことで愚痴っていても話が終わる頃には、すっきりした気持ちに導いてくれました。

春、Gladysの家にいくと、木々のにおいがしました。緑の草のにおいと青々とした木々の香りに包まれていました。おうちのテーブルの上には、「庭でそっと咲いていたからここにつれてきちゃったわ」と小さなお花が活けてありました。「ちょっと疲れちゃったからお茶でも入れましょうね」と、クッキーと紅茶を出してくれました。夏、Gladysはいつもお昼過ぎに1時間くらいお昼寝をしました。私は学校帰りにテイクアウトで買ったランチを持ってGladysのおうちに向かいました。木陰でそっとランチを食べていると、そよ風が気持ちよく、下界の暑さがうそのように思えました。人の家の庭でランチを食べて、さっさと帰るとはおかしなヤツですが、夏のランチが一番おいしく思える場所でした。秋、Gladysの家に向かう道でみる紅葉はびっくりするくらいきれいでした。炎が燃えるような真っ赤な葉、絵の具で塗ったようなオレンジや黄色の葉。車で通り抜けるとき速度を落としたものです。私に絵心があれば間違いなく写生していただろうなと思いました。冬は最高でした。雪が降り始めると急いでGladysの家に行きました。Gladysの家は丘の上なので、雪が降り始めたら出て行くのが大変です。雪が積もっていたら下の街へ行かれません。雪の世界に閉じ込められてしまうのです。私はそれが好きでした。愛犬MOMOを連れて、Gladysの家に泊まりこみました。外はすごく寒いのにGladysのおうちはあったかなのです。Gladysのつくるスープが心も体も温めてくれました。

 Gladysは私に詩を書いてくれました。ご飯も作ってくれたし、話し相手になってくれました。私の誕生日には心のこもったプレゼントをくれました。おうちにいくといつもお茶をいれてくれました。家族のない私をホリデーのたびにファミリーパーティーに誘ってくれました。まるで家族のようでした。それなのに、私はひとつだけ満たされない思いでいました。それは私がGladysの本当の家族ではないということでした。それは私が勝手に思っていた不満でした。ファミリーパーティーに誘われても、私だけ家族じゃない、と思うと寂しくなりました。

 私が結婚してからもGladysは機会あるごとに私を支えてくれました。最初の子を亡くしたときも抱きしめてくれました。息子が生まれたときも、神経質になっている私の心をゆりかごで揺らすように解きほぐし、息子の誕生を喜び、私と息子を抱きしめてくれました。息子が生まれた翌年、GladysはMarylandに越していきました。大きな家を維持するのはもう大変となり、陶芸教室をしめて、Marylandにいる娘のところに行きました。でも、月に一度くらいはニュージャージーに戻ってきて、息子の家、そう、私が居候していたおうちに数日いるようです。

 いつもGladysはいる、と思ったからつらいときも逃げていく場がありました。でも、Gladysがいなくなってから、私がどれほどGladysに頼っていたかがわかりました。空気のように、そこにいることが当たり前のようでした。Gladysがいなくなってからも、秋になるとあの紅葉の道を通りました。でも、春のにおいも、夏のランチも、冬のお泊りも、二度と戻らない過去となりました。あの、小さな幸せの大きさを知りました。

 「普通の生活を送りたい」とよく言いました。普通の生活ってどんな生活なのでしょう。私は、家庭におさまらない夫に不満を抱いていたのでしょうか、息子の障害を受け入れられずにいたのでしょうか、癌になっても孤軍奮闘している自分が哀れに思えたのでしょうか。では、それらが解決したら普通の生活の幸せを感じられるのでしょうか。そうは思えません。私はなにかと不満や文句を言いたくなるちっぽけな人間です。目の前にポテトチップスがあればフレンチフライが欲しくなります。次から次へと自分にないものを探してはそれがあれば幸せだろうなと想像してしまうのです。たくさんの情報に飲まれ、私は自分がどれほど不幸な中にいるのだろう、と思いました。「普通」からみれば、私の生活は「普通はありえないよね」ということがあまりにも多いのですから。

 考えてみました。私はどうしてニュージャージーに住んでいたのかと。好きだったからです。私はニュージャージーの冬が大好きで、ニュージャージーの草刈りの翌朝のにおいが大好きで、地図で見るとあまりにも小さな州でコンピュータースクリーン上でニュージャージーをクリックしたつもりがペンシルバニアやニューヨークが表示される苛立ち、運転がこわい、そうです、いい面もあって悪い面もあって、おかしな面もあればいらだつ面もあり、それが全部ニュージャージーで、そこが好きなのです。あのときテキサスに行っていたら、私はもっと幸せになれていたのでしょうか。私は私の選択が正しかったと思います。家庭におさまらない夫は子育てにうるさく言いません。彼と出会わなければ私はこの大事な子供たちとめぐり合えなかった。息子の障害を取り除けるなら今でも取り除いてあげたい、癌を喜んで受け入れたわけでもない。でも、それらがあって今の私たちがこうして生きているのです。「普通」ではない私の生活ですが、私の子供たちは「普通」ではない特別な子たちです。たくさんのネガティブな思いや出来事もありました。もしも、私の人生を「勝ち組」「負け組」という言葉で表現するなら、私の人生は「勝ち組」です。だって、たくさんの大好きな人やものと出会え、そして世界一大事な子供たちがいるのですから。

 もうしばらく日本で休みます。心身ともに元気になり、パワーアップしたらまたニュージャージーで「普通」ではない暮らしに戻ります。それまでニュージャージー、ちょっとだけバイバイです。というわけで、ニュージャージー便りは今月でおしまいです。今までたくさんのみなさんに励まされてきました。来月からまた別の「語り」を始めます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。