ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 一番好きなもの

一番好きなもの

 

我が家の一日の始まりは早い。私は毎朝5時半に起きます。続いて息子が起きてきます。本来なら6時に起きても間に合うのでしょうが、息子が6時前には起きるので、その前に起きておかないと大変なことになるため5時半起きなのです。夏ならまだしも冬の5時半ははっきりいって夜の10時半のようなもの。外は暗く、ほとんどの家では消灯。ベッドに入ってテレビをみている薄明かりはみえるものの、こうこうとした家の明かりは消えています。そんな午前5時半に、一日が始まり、追われるようにあわただしく毎日が過ぎていきます。

私は寒いのも早起きも嫌いです。でも、子供がいるとそんなこと言っている暇もないくらいに「起きざるを得ない」状況で、寒かろうが暑かろうが子供の学校の送迎、スクールバスの待ち、外に出て行くしかないのです。だから、時々は母の愚痴も許してもらわねばたまりません。

12年前、私は初めてニュージャージーの冬を知りました。日本の実家では寒いと言っても積もるような雪はみたこともなく、積雪何センチというのはテレビの世界でしかありませんでした。なので、ニュージャージーに来て初めての冬の始まりには戸惑いました。家の中は暖かいのに、外は骨にしみるような寒さ。一体、この温度差は何ぞ、と。日本の実家ではセントラルヒーティングなんて近代的なものはなく、部屋ごとの暖房なので、廊下もトイレもお風呂も寒いのです。小さな家の中でも部屋移動には走りました。一番風呂も嫌。でも、外は寒いとはいえ、氷点下になるようなことは滅多にありませんでした。

12月のある晩、とても寒くて眠れませんでした。いつもと同じ室温設定のはずなのに、暖房もきいているはずなのに、どこからか体の芯が冷えるような、底冷えするってこういうことなんだろうなと思うような、そんな寒さでした。夜中の2時過ぎでしょうか、目が覚めて窓の外をみたら、真っ白。一面の銀世界で、外が明るいのです。「うそ、これ、何。。」生まれて初めてみた銀世界に、私はディズニーの世界を想いました。テレビでみていた積雪何センチの世界に私がいるのです。

翌朝、ウキウキして朝食の準備していたら、友達が「Hope no more snow」と言いながら起きてきました。どうして?こんなきれいな雪の世界に喜びはないの? 友達とはいえ、私の叔父と同い年の言ってみれば私のアメリカでの唯一の家族のような人、雪に感動するには年を取りすぎているとのこと。「ジュンコ、雪が降ると雪かきをしないといけないんだ。それに、道路もすべるから事故も起きるし、渋滞もするし、いいことはないよ」と。なんだか、初めて野生のリスをみたときと似ていました。「うわあ、野生のリスがいる!」と感動した私に、彼は「ジュンコ、リスなんてどこにでもいる害虫みたいなものだよ。彼らは遠くでみるにはいいけど、悪いことするからうちのそばにはきてほしくないんだ。屋根裏なんか入り込まれたら大変なことになるんだから」と言いました。

あれから数年後、結婚した私の家の屋根裏にリスが住み着いていたらしく、天井からウジが降ってくる災難に見舞われ、リスは彼の言うとおり「遠くで見るがよし」という存在になりましたが、雪は別です。

雪はいつのときも私の心を和ませてくれます。雪を見ていると時間が止まるように思えます。そして、雪はどんなときも平等です。みんなに白い銀世界をみせてくれます。人がどんなにあせって走っても、軽々と隣の車を追い越すようなスピードを出せなくさせます。みんながゆっくりせざるを得ない、そんな平等な時間をくれます。

通りで雪かきをする人たちをみてください。あせってすごいスピードで雪をかきまくるような人はいないでしょう。雪かきはのんびりと時間をかけていくしかないのです。もちろん、除雪機を使えば一発ですが。

私は雪が降るとたくさんの楽しみがあります。まずは見ること。真っ白な世界、いつもなら行きかう車でいっぱいの通りも静かです。車のなかった時代ってこんなふうに通りが見えていたのかなと想像します。そして、雪遊び。愛犬MOMOは雪が大好き。まだ子犬だった頃、自分の体が埋まってしまうくらいに深い雪の中を必死で泳ぐように走っていたMOMO。雪の中、リーシュなどつけなくても走って逃げていくこともできませんし、危険な車も通りません。なので、家の庭で追いかけっこをしたものです。雪まみれになって、真っ白な息を切らせ、MOMOとはしゃいだものです。子供が生まれてからはそういう遊びこそなくなりましたが、MOMOをつれ、子供たちの手をひいて、雪遊びをするのは楽しいものです。MOMOは臆病なので、雪だるまが大の苦手。大きな怪獣がいるように見えるらしく、雪だるまをみると逃げ出します。なので、うちでは雪遊びをしても雪だるまは作ってはならぬものなのです。娘のつくる団子3兄弟のような雪だるまならOKですが。雪遊びのあとは雪かきです。多くの人が嫌う作業ですが、私は大好きです。これが土だったらおそらく楽しめないでしょう。でも、雪は素晴らしい。自分が積雪何センチの中で、雪をかいているなんてあまりにも素晴らしい光景で、自分で酔いしれてしまうのです。それに、雪かきって、古きよき時代にあったような近所付き合いを思い出させてくれます。同じ時間帯に近所の人たちが外に出て同じことをするのです。普段あいさつ程度の付き合いのお隣さんと立ち話してみたり、お年寄りがショベル持っていれば手の空いた人たちが手伝ったり、雪かきの後でお向かいさんにお茶をごちそうになったりと、忙しい毎日の中で欠けていた近所付き合いを思い出させてくれます。

 雪はそれだけではありません。もっともっとすごいのです。雪が降った後のある朝、外に出ると昨日まで雪が積もっていた木の枝が氷に覆われてまさに「氷の枝」になっていました。雪が溶けかけたものの、気温がまだ低かったため凍ったのでしょう。キラキラ光る氷の枝は子供の頃読んだ絵本に出てきそうなくらいに美しいのです。

美しいといえばもうひとつ。私は雪の結晶というのは現実にはありえない北欧の国の物語か、そうでなければ雪印という会社が作ったマークだと思っていました。家の中から降り積もる雪を見ていたら、またも「すごい」がありました。窓に雪の結晶がくっついていたのです。そう、雪印のマークのような、絵本でみた雪の絵のような、はっきりくっきりとしたきれいな雪の結晶が私の目の前の窓にはりついていたのです。こんなにきれいなものをみてしまうと、冬という季節は魅力的になります。

 雪になると学校も休みになります。これは複雑です。仕事をしていた頃は、雪の朝になると早くから起きて電話が鳴るのを待っていました。「今日は学校は休みです。次の人に回してください」とスノーチェーンと呼ばれる連絡網で連絡が回ってくるのです。教師とは子供と同じもの。職員会議で時間が延長してくるとおしゃべりが始まりごそごそするし、雪で学校が休みとなれば声も明るく早朝からうれしそうです。「イエーイ!」とガッツポーズでいた私も、母になるとちょっと立場も変わります。「え、子供たち2人ともうちにいるの。。。」と。子供たちと一緒に雪遊びはしたいとは思いますが、でも一日中家にいられるのは。。。とガッツポーズにはいたりません。2時間遅れでもいいから学校始まってくれないかしらと、勝手なことを思ってしまうものです。

 日本にいた頃、冬が大嫌いだった私。目が覚めると布団から出るのがつらいし、思い立っても隣の部屋にいく勇気すら出ず、コタツで丸くなる猫のような思いでした。でも、ニュージャージーには冬の素敵なものがたくさんあります。ニュージャージーの冬は人の心に暖かさをくれます。みんなと一緒になって、時にはみんなよりも「寒いのはイヤね」「また雪が降るんですって。早く春にならないかしらね」と冬を嫌うようなことを言う私ですが、すみません、私、うそをついておりました。本当は私はニュージャージーの冬が大好きです。どこのどんな冬よりもニュージャージーの冬が一番素敵です。なぜならば、あんなに冬を嫌っていた私の心を一冬にして変えてしまったのですから。今月はバレンタインデーですね。みなさんはどのように過ごされますか。私は、大好きな雪をみながら、大事な子供たちと一緒にアツアツのホットチョコレートを飲みながら過ごせたらいいなあ、と願っております。