ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 犬の訓練

犬の訓練

 

 5年前、首も据わらぬ息子を初めてお風呂に入れたのは私。手伝いに来てくれていた母が、「初めてにしては手馴れた手つきねえ」と感心しました。そうです、自分でいうのもなんですが、私はとても上手にできました。赤ちゃんを入浴させるのは初めてでしたが、実は私、こういうことには経験があるのです。なにせ、私は生後7週目のMOMOをわが子として育ててきたのですから。MOMOというのは、愛犬アメリカンコッカースパニエル、12歳。当時、独身だった私は子犬を育てることを子育てにたとえることをはばかりました。母親という存在はきっと「犬と子供を一緒にするな!」と思うだろうから、独身の私がそういうことを言ってはいけないと思っておりました。しかし、母になり、二人の子を育ててくると、子犬を育てるのも子供を育てるのも共通することは多々あると思うのです。お風呂もそのひとつです。ふにょふにょした体のMOMOを両手で抱きながら少しずつお湯につからせ、シャンプーでマッサージしながら気持ちよくさせ、お風呂は気持ちいいところですということを教えながらきれいにしていく。それはMOMOも息子も同じでした。息子の首を支えながらも体を洗っていくのは、小さなMOMOの初入浴と同じ要領でした。息子、あまりの気持ちよさにおしっこを飛ばし、うとうと眠りかけました。

 私の人生の中で犬のいない暮らしというのは本当に数年しかありません。3歳のときに初めて犬を飼い始め、以来私は犬と共に暮らしてきました。海外に出るようになり、タイでの2年間は犬と暮らせなかったもののカンボジアに渡ってからは犬を飼い、日本に引き上げるときは一緒に連れて帰ってきました。渡米して初めの1年は犬を飼えませんでした。なにせ友達の家に居候しているような私が犬を飼える分際ではありません。犬のいない生活は寂しく、メインストリートにあるペットショップのショーウィンドウにいる犬を毎日見に行っていました。ルームメイトに「犬飼いたいなあ」といえば、「だめだ」と言われ、彼のお母さんやお姉さんにまで話しにいきました。なにせ家族ぐるみでの付き合いでしたので、お母さんもお姉さんも私の身内みたいなもの。お母さんとお姉さんが彼に、「ジュンコに犬を飼わせてあげなさいよ。犬はいいわよ。気持ちが優しくなれるわよ」と話してくれたものの、彼の返事は同じ。犬を飼うことをあきれらめかけていた冬の日、私はひどい風邪をひきました。寝込んでしまいました。ベッドの中で毎日、犬の写真本を見ていました。彼が「ジュンコ、大丈夫かい?」と心配してくれるものの私の風邪は一向によくならず。「あーあ、こんなとき犬がいてくれたらなあ、病気なんてすぐに治るのに」とぼやきました。彼が「なにか欲しいものはないか」と聞いてくれば、「犬」と答え、巳年生まれでもないのになかなかのしつこさで、とうとう彼が折れました。「犬がいれば本当によくなるのか」と。瀕死の病人の顔つきで寝ていた私は飛び起きました。「もちろんよ!」というが早いか、キッチンへ行き、冷蔵庫から食べ物を出し、食べ始めました。「ほらね、犬がもうすぐ私のもとに来ると思ったら食欲も出てきたわ。たくさん食べて元気にならなきゃ。そうよ、犬がいれば私は二度と風邪なんてひかないもの!」呆れ顔の彼も、その翌月には私に巻き込まれ、MOMO育てに参加させられていたのです。

 MOMOは私の自慢でした。どこにいくのも一緒に連れ歩きました。とてもきれいな毛色のため、散歩しているといつものように「どこでその犬買ったの? 同じ色の犬いるかしら」と聞かれました。時々は通りで車を停めてまで聞いてくる人もいるくらいでした。MOMOが5-6ヶ月のころ、友達の家によばれ、一緒に連れて行きました。お庭に大きなプールのあるおうちで、その友達も日本の実家に遊びにきたりしての家族ぐるみの友達でした。そこの娘さんのジェーンが私と同い年で、犬好きが高じて獣医にまでなり、久々におうちに戻ってきていました。私がみんなでプールに入っていたら、小さなMOMOはプールが深いということも知らず、私のところに来たい一心で飛び込んできました。「おー!」みんなで、ジャンプインしたMOMOに声をあげました。が、MOMO、泳げません。私が近づくとしがみついてきました。相当怖かったようでブルブルと震えていました。以来、MOMOは泳げません。川や海に連れて行っても水辺には近づきません。

 MOMOはもともと臆病な性格でした。初めてMOMOにあったとき、MOMOは5週目で、そのときすでに私はこの子が臆病者であることがわかりました。それも数匹いた子犬の中からMOMOを選んだ理由でもありました。プールで溺れたMOMOをみていたジェーンも同じ事を言いました。MOMOは臆病な性格で、ペットとして飼うならそのほうが飼いやすい、と。でも、飼うだけじゃだめ。犬とはいえ、教育が必要、子犬のうちにしつけておけばこれから先、お互いに楽しく暮らしていけるから、とも言われました。彼女からアドバイスされたのは半年頃から通える子犬の訓練学校。早速、家の近辺で通えそうな子犬のクラスを探しました。

 隣町、Madisonにありました。St. Hubert’sといえば、Morris Countyに住む人の多くが知っていると思うのですが、動物シェルター、アダプション、訓練学など、動物愛護に関することをしているノンプロフィットの団体です。そのプログラムのひとつがMadisonにあったのです。当時私は学生だったので、あいているのは土曜日しかなかったのですが、たまたま翌月からの土曜クラスにMOMOが入れるということで、早速申し込みました。事前に送られてきた書類には何回も目を通し、忘れ物がないように前夜には何度も持ち物チェックをし、初日の朝は意味もなく早くから目が覚めてしまいました。それは、息子の親子教室に行く日の朝のようなものでした。当人より母が興奮してしまい、「いよいよ社会への一歩だわ」などと心を躍らせたのはMOMOのときも息子のときも同じで、申し訳ない、娘のときはそのときめきがなくなっておりました。

 クラスは確か12ヶ月までの子犬のクラスで、MOMOはちょうど9ヶ月。大型犬も小型犬も一緒のクラスでした。親子同伴のクラス、そうです、親子です、教室では「Mom」「Dad」と呼ばれるわけですから、犬と飼い主ではなく、「MOMOとママ」なのです。朝9時からのクラスには、朝食は食べさせずに来るようにとのこと。お腹いっぱいの犬には教えにくいのです。少しお腹がすいていると、ごほうび欲しさにいろいろ覚えてくれるのです。自分だけ朝食を食べるのが忍びなく、土曜日は私も朝食をぬき、コーヒーだけで出かけたものです。クラスが始まる5分くらい前に着くようにいくと、他の親子(飼い主と子犬)連れも来ています。人間の中で育てたせいかMOMOは犬が嫌いでした。どんな犬が来ても嫌がり、びびっておしっこをちびってしまったり、相手の存在を否定するかのように無視して遠くをみたりしていました。それでもMOMOは親たちにはとても人気があり、それをMOMO自身も喜んでいました。MOMOが行くと、他の親たちが「おー、MOMO!」と言ってくれて、MOMOも大喜びしてよその人の膝の上に飛び乗り座り込んだりしていました。

 先生は訓練された自分の愛犬を連れて、どのようにするかを見本をみせて教えてくれました。まずは「Sit」(おすわり)と「Down」(伏せ)から教えました。上手にできたらご褒美のクッキーのかけらをお口にポイ。臆病者のMOMOは周りの犬に興奮してしまい、蛙のようにピョンピョン跳ねてばかり。先生はそれぞれの犬の性格を理解してくれて、興奮してしまうMOMOにもできるように指導してくれました。1レッスンが終わると、翌週までにそこでやったことをマスターするように家でのホームワークが出されます。それも私の楽しみでした。うちに帰ってからMOMOと一緒に課題に取り組むのは、それこそ小学一年生の子供の宿題を一緒にみてあげるような、そんな優しい気持ちになれました。訓練では散歩のしかたも教えてくれました。たとえば、拾い食いさせない、ひっぱらない、いきなり走り出さない、といった、人間と犬が楽しく散歩できるように指導してくれました。拾い食いは危険です。うっかり毒のはいったものを口にしたら大変です。訓練のおかげで、MOMOはとてもいいコンパニオンになりました。ソファーやベッドには上らない、家具は噛まない、室内ではおしっこしない、テーブルにてをかけない、散歩の姿勢もよく、拾い食いもしない、一緒に暮らすのには最高の犬になりました。臆病で甘えん坊な性格は変わりませんが。

 訓練コースの卒業式ではドキドキでした。先生に名前を呼ばれ、親子で卒業証書を受け取ります。MOMOは卒業証書よりもお祝いクッキーに目が釘付けとなり、スキップしながら卒業証書授与となりました。先生からのお言葉で、「これからも訓練は続けてください。少し疲れているときやお腹のすいているときがなにかを教えるベストなときだと思います」とありました。となりにいた仲良しのおじさんが、「じゃあ、MOMOはエンパイアステイトビルディングの階段を登って降りてきてからだな」と言い、クラスメイトの親みんなが大笑いしました。悪い意味でなく、みんながMOMOを愛してくれていました。ここは私がアメリカにきて初めての社交の場でした。MOMOのママとして、私がMOMOを連れて社会のみなさんと交流していたのですから、MOMOの卒業は私の卒業でもありました。

 うちの犬はバカだから、という人がいますが、犬はバカではなく、教えられなかっただけです。犬はただ飼えばよいというのではなく、子供と同じで、責任持って健康管理をしてあげて、しつけてあげなければいけません。しつけとは怖い顔して怒ることではありません。私はMOMOを怒ったことがありません。それでも基本的なしつけはできました。芸はしませんが。ただ、犬はあくまでも犬であることを念頭に、その上で思いっきり愛してあげることが大事です。おうちで犬を飼っていないけど犬が好きとか、近いうちに犬を飼うという家庭の子供たちは是非、St. Hubert’sのプログラムの子供向けのクラスを受けてみることをお勧めします。ペットとはどういう存在か、どのように共存していくのか、といったことを教えてくれます。アダプションもしているので、子犬や子猫は育てられないから成犬や成猫が欲しいという方は是非問い合わせてみてください。MOMOはあの3ヶ月の訓練が12歳になった今でもいきています。動きが鈍くなり、耳が遠くなってきても、私の指命令をみればちゃんと私のいうことを理解しています。

St. Hubert’s のウェイブサイト: sthuberts.org