ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 Unsung Hero 2010

Unsung Hero 2010

 

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年はみなさんにとってどのような年でしたでしょうか?私は人生の中でナンバー3に入るくらいに大きな年でした。癌だと診断され、入院は3回もして、手術も2回して、子供たちと離れ離れで1週間の生活を味わい、抗がん剤治療に苦しみ、あげればきりがないくらいにいろいろなことを体験いたしました。それらが全て「最悪」なことばかりとは思えません。そういうことがあったからこそ、人の優しさを知り、健康のありがたみを感じ、「普通」と呼ばれる生活のすごさを知ったわけですから、学び多き1年だったと解釈しております。

 

去年が学びの年であるならば、今年はそれをいかすようにしたいものです。私はどういう人でありたいか、どういうふうに生きていきたいかと自分に問いかけてみました。

子供の頃はスーパーヒーローであったり、アイドルであったり、まさに見た目の華やかなものにあこがれました。少し大きくなると、もう少し現実的となり、小説家とか脚本家とかそういった文筆業を生業にしたいと思うようになりました。しかし、年を重ねると冒険というよりも地に着いたものをみるようになります。それは経験からそうして生きていくことを学ぶのかもしれません。今の私にとって大事なのは外見よりも中身です。というより、外見にかけるのは無駄だと、ここ数年で悟りました。子供ができてから、私は自分を直視するよりも子供という鏡を通して自分をみるようになりました。「私はいい母親であるか?」「私は子供たちの誇りになっているか?」それゆえ、1週間の入院生活で子供と離れ離れになったときは、自分が消えてしまったようで悲しくなったのです。では、子供たちにとって誇りに思える母親とはどんな存在なのでしょう。

 

世の中にはUnsung Heroと呼ばれる人が多く存在します。決して有名ではないんだけど、その地区、場所で人々に大きな影響を与える人、称えられてるわけではないけど人の心に残る人、ってすごくカッコいいと思うのです。私の身近にも「この人はすごいなあ」と思う人がいます。その人は登下校時間帯に道路の横断を助けてくれるCrossing Guard、そうです、「みどりのおばさん」です。私の住むMontclairの隣のGlen Ridgeという町の学校の前で、莫大な交通量をさばいている白髪の女性がいます。お化粧して流行の服を身にまとい、街を闊歩するような都会の女性とは違い、ハロウィンのときは黒い魔女ハットをかぶっただけで十分にウィッチにみえてしまうようなふさふさの長い白髪のおばあさんなのですが、すこぶるカッコいいのです。その学校は大きな通りに面しており、通りをはさんで図書館、はす向かいにはニューヨークにつながるニュージャージートランジットの鉄道駅があります。登下校時間は子供たちの送りや迎えの車が路上に停まります。ものすごい交通量なので、当然のごとく私も通り過ぎるだけで、車から降りて話しかけたことはありません。だから、彼女とは面識もなければ名前も知りません。

下の子が生まれるまで私は公立学校の教師でしたので、私の出勤時間も帰宅時間も、ちょうど彼女の仕事時間の真っ只中。自他共に認める「もみじマーク」つけるべく老人運転をする私は、通行人や左折車が交差するような大きな通りの十字路は大変苦手なのです。もたついた運転をするせいか、よく後続車にクラクションを鳴らされたり、Crossing Guardに大きな声でしかられたり、怖い思いをするのです。しかし、このおばあさん、ただのおばあさんではありません。白髪のばあさんか、などとあなどってはいけません。凄腕Crossing Guardなのです。怒らない、怒鳴らない、嫌な顔しない、人を混乱させるような誘導をしない、そんな「ない、ない」続きプラス、笑顔で誰にもスムーズな誘導、動きが敏速という、まさにCrossing Guardのお手本のような人なのです。どこから誰がみてもわかりやすく両手を大きく動かし、車もバスも歩行者もベビーカーもとにかく道を通る全ての人を見事なまでにさばくのです。片手に持つ「Stop」サインも自分の片腕のように扱っています。学校の下校時はやはり子供たちがおしゃべりしながらゆっくり歩くし、お迎えの車もいっぱいなので、警官も出ます。しかし、どんな警官でも彼女にはかなわない。彼女の誘導の補助でしかないのです。

 

以前住んでいた街で、私が愛犬の散歩をしていると必ず物言いたげににらんでくるCrossing Guardがいました。雪の降った翌朝、犬の散歩していたら、ちょうどといいますか、たまたまといいますか、愛犬MOMOがそのCrossing Guardのそばでおしっこをしたのです。そしたらすかさず、「だめだめ!そこにおしっこさせたら汚れる!」と怒鳴ってきました。一瞬のことで驚いて、「ごめんなさい」と謝って帰ってきましたが、あとで考えてみたら、道端で犬がおしっこして罰金なわけない、じゃ、なに、おしっこした黄色い雪を持って帰ってこればよかったってこと?通りを渡ろうとすれば、「早く早く」と怒鳴り散らすし、道を歩くだけでこうも怖い思いするのもどうかと思いました。以来、遠回りしてでも私はそこの横断歩道は渡らないことにしたのです。確かに寒い中ずっと立っているのはきつい仕事ですし、人にあたりたくもなります。でも、通る人に不快な思いをさせてはいけないと思うのです。

一言でCrossing Guardといっても人柄が出るものなのだと思いました。白髪の凄腕Crossing Guardのおばあさんは、彼女の人柄、そして、仕事に対する自信と誇りがあるから、あれだけの交通量を笑顔でさばいてしまえるのでしょう。みていると、歩行者には必ず声をかけています。子供から大人、ベビーカーに乗った赤ちゃん、散歩している犬にまで声かけては手を振っています。そして、みんなも彼女に声かけているのです。クリスマス、バレンタインデーには、横断歩道をわたりながら彼女にプレゼントを手渡す人もたくさん。

寒い日も暑い日もあります。天気のいい日ばかりではありません。それでもいつも笑顔で混乱を招くことなく交通安全のためにがんばってくれる彼女。きっと地元の人以外は知らないでしょう。でも、彼女に毎日命を守られている人の数は莫大なもの。私はこの交差点を通るとき、おびえることなく安心して通り抜けることができます。いつか、車を止めて歩行者としてこの道を歩くことがあったら、そのときは「いつもありがとう」ってお礼を言いたいです。

 

私はうちの子供たちにとってのヒーローでありたいです。どこからみてもただのおばさんであっても、うちの子たちにとっては最高のママでありたい。そのためにはまずは健康であること。折り返し地点まできた抗がん剤もきつさを増し、時々は「もう死んでもいいからやめたい」と思うこともありますが、まずはこれを乗り切ること。癌を敵視してはいけません。癌細胞が体内にあるとしたら、どうか悪い細胞にならないよう、騒ぎをおこさぬよう、不良生徒と接するようにあきらめず更生させていい細胞になるように共に生きていきたいものです。そして、できるだけ怒らないこと。そうです、「できるだけ」です。怒ります、これからも。でも、滅多やたらに、感情に流されぬよう、怒っていきたいと思います。そして最後に、自分に自信と誇りを持つこと。凄腕Crossing Guardのおばあさんのように、自分のしていることに自信と誇りを持つことであんなに輝くのですから、「いいよなあ、外で仕事してるんじゃないから、うちでゴロゴロできて」といわれようとも、自分の中で満足した生き方ができていればそれでいいのです。そして、子供たちはそんな私を認めてくれるでしょう。隣の芝生は青く見えるものです。隣にないもの、それは私には大事なふたりの子供たちがいること、そして、その子供たちといつも一緒に暮らしていられること。昨日できなかったことが今日できた、子供の成長を目にしていられるのは今のうちです。そんな生活に感謝し、今年もちょっと怖いけど、カッコいいUnsungママでありたいと思います。真冬でも真夏でも笑顔でこなすあの凄腕Crossing Guardのおばあさんのように素敵に輝く1年を過ごしたいと願っております。