ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 世界一幅広な橋

世界一幅広な橋

 

 私は狭いところと高いところが大嫌いです。そうです、高所恐怖症と閉所恐怖症なのです。ただ単に苦手というくらいなら「恐怖症」とはならないのでしょうが、私はこういった場所が怖くてパニックを起こしそうになるくらいなのです。これは先天的なものと後天的なものとがあると思うのです。たとえば、高いところから落ちたことにより高所恐怖症になったとか、真っ暗な部屋に長時間閉じ込められたことで閉所恐怖症が発生したとかいうのは後天的なものだと思うのです。しかし、私の場合は先天的なもので、それがあるからこそ怖い想いをしたという記憶があるのです。

 子供の頃、私は橋というものが全て駄目でした。道路を渡る陸橋も、小さな小川にかかる木橋も、もちろん古いつり橋などはもってのほかでした。私が小さいときは母は運転免許がなかったので、平日おばあちゃんちに行くときは電車に揺られていきました。母はそれがとても嫌だったといいます。なぜならば、駅前に国道一号線が走っており、そこを渡らないとおばあちゃんに行かれないため、陸橋を渡る必要がありました。陸橋は駅前にありました。しかし、私は陸橋が大嫌い。渡れなかったのです。なので、泣き叫ぶ私のため、横断歩道を渡るしかなく、その横断歩道というのがしばらく歩いていかないといけなかったのです。おばあちゃんちは駅前の陸橋を渡ってすぐのところ。横断歩道を渡るために歩き、渡ったらまた歩かないといけなくて、母は「無駄な歩きをした」とよく言いました。

 それは大人になってからも変わりませんでした。9・11の前、友達が遊びに来ると決まって自由の女神に連れて行きました。冠の部分まで上るための列はいつも混んでいて並ぶため、「時間ないから並ぶのはまた次回来たときにしよう」と避けていたものの、「並ぼうよ、せっかくだから。1時間や2時間並ぶのはどうってこともない」と言い出す輩がおりました。連れてきたことに後悔しました。「いやあ、中は空洞でそんなに興味深いものはないと思うよ。展示物をみていたほうがいいと思うけど」と言ったものの、「空洞でもいいよ。自由の女神は日々どうのように世界をみているのか、彼女の目になってみてみたいから。」ともっともらしいことをのたまう友達。日本からはるばる来たんだし、ま、付き合うかと覚悟を決めました。途中まではよかったのですが、細い螺旋階段を登っているうちに、天国にある地獄(とても矛盾していますが)に行くような気分になり、足元ガクガク腰は抜けそう、怖くて涙がこぼれてきました。そんな私におかまいなく、私の前をさっさと登っていく友達。てっぺんでは、「次々人が来るから早く流れてください」と促す係員の声も、「ワタシ、エイゴ、ワカリマセン」と気にせず、窓から外を見ては喜んでいた彼女。涙を流す私に「そんなに感動したぁ」と喜びを分かち合おうとしてくれました。恐怖の次に来るものは怒り。「信じられない、こういう場ではしゃぐなんて!」と怒りながら螺旋階段を下りていったのは言うまでもないことです。

 高いところが怖いという感覚はどう言葉で表したらいいのかよくわかりませんが、人それぞれかもしれません。私の場合あまりにも怖くなると、その場から地上に飛び降り、そのままこの世から消えてしまうという錯覚にとらわれるくらいになるのです。高層ビルの屋上から下をみると、まるで映画「タイタニック」の名シーン、船の甲板の上で両手を広げ風を体で受けるような、そんな気分になり、そのままスパイダーマンがビルの谷間を飛ぶように自分もビルから飛び降りていきそうな、そんな錯覚にとらわれるのです。

 狭いところが怖いというのは、怖さのあまりその場をぶち破ろうとする錯覚にとらわれます。これも感じ方は人によって違うものかもしれませんが、私の場合、ちょっと危険性を伴います。夕方の薄暗い中、建物のわきにある細い階段を下りていて、その狭さに圧迫感を感じ、階段の下数段あたりから下方においてあった段ボール箱めがけて飛び込んでいったことがありました。後ろを歩いてきた友達がビックリしました。私自身、なぜ段ボール箱に飛び込んだかという明確な理由はわかりませんが、とにかく圧迫から逃れたい一心で飛び込んだと思うのです。

 なので、私はマンハッタンまで車を運転できません。ニュージャージーからマンハッタンに行くには橋を渡るか、トンネルを通るか、二者択一でしか行かれないのです。橋は高い、トンネルは狭い、そうです、高所と閉所恐怖症の私にはどちらも無理なのです。助手席に乗っていても気が遠くなるくらいに手に汗握っているのに、自分で運転していけるわけがありません。助手席に座って橋を渡るときは「まっすぐ前だけみて運転してちょうだい。私に話しかけないで。車線変更なんてしてはいけません。」と運転手に言い、トンネルを通るときは「酸素が少なくなるから話しかけないで。呼吸困難になりそうだから」と言い、笑われながらも私は本気なのです。

 そんな私ですが、実は毎日橋を渡っていたことがあるのです。かつて勤めていた中学・高校は、ガーデンステイトパークウェイ(通称パークウェイ)を45分南下したところにありました。45分の運転というのは私にとってどうってこともなかったのですが、難関は橋でした。橋を渡らなければ行かれなかったのです。北部からパークウェイで中南部に向かうとき、まず最初に渡る大きな大きな橋をご存知でしょうか。Raritan川にかかるDriscoll橋。いやいや、この橋を渡るのに、毎日命がけでした。毎朝、「今日こそが最後の日だ。辞表を出して、仕事を辞めよう」と思いながら橋を渡り、帰りになると「今日も辞表が間に合わなかった。明日こそは辞めよう。」と思いながら渡りました。それが何年続いたことでしょう。止むことなく毎日同じ事を思いながら橋を渡り、毎日同じように手に汗びっしょりでハンドル握っていました。この橋、とにかく大きいのです。私が通っていたころはちょうど橋を拡張する工事をしていたため、橋の路肩を狭くしたり、車線をしぼったりして、余計に怖くなっておりました。私は娘が生まれる2ヶ月前に仕事を辞めたので、それっきり渡ることもなくなっていたのですが、ある日久々に通ったとき、大きくなった橋に驚きました。とにかく大きいのです。それもそのはず、この橋はなんと、世界で一番幅広な橋なのです。なんだか感動しました。世界一幅広の橋に毎日命がけで挑んでいた私ってすごいじゃん、と。でも、当時はきっとまだ世界一の幅広にはなっていなかったのでしょうが。

 世界一まで及びませんが、私が勤めていた学校のある町は、アメリカで最もバーの多い街でした。バーの件数が一番多いのではなく町の大きさに対してのバーの件数です。今はどうなんでしょうか。私の初出勤の日、同僚に「どこから来てるの?」と聞かれ、「北部よ。ここから45分くらい北にあがったMontclairから」と言ったら、「それじゃあ、知らないかもしれないけど、この街はアメリカで一番なんだよ」と言われました。「すっごい!」という私に、彼は「そんなにすごいことで一番でもないんだけど、街をみて思わなかったかい? 1ブロックに1軒はバーがあるんだ。町の広さに対してのバーの件数の比率は、アメリカ中でこの町が一番なんだ。」と言いました。地元出身の彼はこれが誇りだったのかどうかはよくわかりませんが、私は「アメリカ1」に感動しました。私がみるのは昼間の町なので、小さな町でしかありませんが、夜には赤や緑の電気が灯るのでしょうか。ちょっと想像できませんでしたが。

 私が勤めていた中学・高校というのは、特に目立つことのないアメリカの平均的な学校でした。それゆえ、私にはとても魅力的でした。その前に勤めていた小学校はアジア系の多い街のニュージャージー州でも上位の学校でした。アジア系、特に韓国人が多かったせいか、みんなまじめで勉強もよくやっていました。アジア人の私にはなじみやすかったです。でも、この中学・高校に勤めるようになって、私は初めて、自分はアメリカで教師をしていると感じました。生徒たちをひとつの言葉で表現できないくらいに、それぞれが「個人」だったのです。勉強をがんばる子もいれば、勉強嫌いな子もいて、スポーツもそれぞれに好きなことをし、音楽もそうです。喫煙をみつかり停学処分を受ける子もいたし、留年する子もいました。スカラーシップを受けて悠々大学に行く子もいました。ランチタイムになると人懐っこく寄ってくる大きな体の男子高校生や、妊娠6ヶ月の私のことを「妊娠か、太ったのか」で賭けをしていた女子中学生。みていてあきない、それがアメリカの学生らしく、私は魅力を感じていました。統一テストでも決して上位でもなければ下位でもなく、「この学校はすごいよお」といえるものも特になかったのですが、それがあまりにも平均的っぽく、「最もアメリカンな学校」と言えたかも知れません。だからこそ、あの橋を渡りながらも、辞表をなかなか書けずに勤め続けていたのかもしれません。

 普段なにげないと思っていた場所や物が実は「一番」だと知るとうれしくなりませんか? だからといってその場所、物が自分にとって別物に変わるわけではないのですが、なんだか「実はすごいんだぞ」と誇りに思えてきます。私は毎朝、「この橋が川に転落したら」と恐れながら渡っていたDriscoll橋を渡っていたということに誇りを感じます。世界一幅広だから、というのではなく、世界一幅広の橋を渡っていた自分に誇りを感じるのです。そして、あのアメリカ1バーの多い町で最も平均的な学校に勤めていたことにも誇りを感じます。苦手なことがあって、できないこともあります。でも、それを克服したときこそ、自分を褒め称え、誇りに思いたいと思います。すっごい! 私は世界一がんばったんだぞ、と。