ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2010 冬になると思い出すこと

冬になると思い出すこと

 

先日4年に1度やってくる運転免許の更新に行って参りました。早いものでこれで3度目になります。免許更新の2-3ヶ月前になると更新の通知がきます。そして、更新はMotor Vehicle Commission (MVC)のエージェンシーにて受け付けてもらいます。MVCに行くときはまずどこのMVCエージェンシーに行くのかを選びます。信じられないかもしれませんが、エージェンシーに寄ってうるさいところとそうでないところがあるのです。つまり「あたり」「はずれ」があるわけです。もちろん、「6POINT ID 証明プログラム」といって、IDとなるものにポイント数がつけられていて、それを6ポイント分持参するという規則はどこも同じですが、それをみる係りの人の目が違うのです。公的な機関でこういう差があっていいものかと思いますが、実際、「これではだめだ」と3回も出直しさせられところもあれば、同じ書類ですんなり通してくれるところもあったりするわけです。

最も楽に通してくれるといわれているEast Orangeのエージェンシー。うちから最も近いので前回からそこに行くことにしていたのですが、いきなり場所移動していて、移転先がわからない。というよりも、移転した住所は記されてあったのですが、そのあたりへ行ってもそれらしきサインもなければ建物もみつからず、結局用を足せずに帰ってきました。なので、次にうちから近いMVCエージェンシーへ行くことにしました。いやあ、むかつきましたわ。ほんと、係官の態度といい、物言いといい。まず受付で、「ID出して」といわれ、パスポートを出すと、「そんなんじゃない。」ときた。パスポートはNon-citizenとしてのIDで4ポイントもあるんだぞ。しかし、そんなことで怒っていても進まないので、「では、あと何を出せばいいのでしょう」と聞いたら、「ソーシャルセキュリティーカード。」と言い放つ受付係。もっとちゃんとした物言いはできぬか、と思いながら、言われるがままソーシャルセキュリティーカードを、グリーンカードと今までの運転免許証と一緒に出しました。そしたら彼女、ロリポップを口にくわえながら「これもって、奥へ」と、また私の目をみることなく言い放ちました。

奥へ行くと、二人の女性係官が座っており、ひとりは多少なりとも笑顔をみせながら話しておりました。そして、もうひとりは「この人、なにしてるんだろう」というオーラをかもし出しておりました。AVONのカタログを堂々とみながらプレッツェルをポリポリ。私が立っていると「May I help you?」とカタログを見たまま言うのです。私も「免許の更新」と一言。彼女、やっと顔をあげたかと思うと、いきなり手を差し出してきました。握手かい?と思ってみていたら、「それ、それだして」と私の書類を指差しました。黙って手を出されても困ります、はっきり言ってくれなきゃ。書類をテーブルにおくと、見るや否やいきなり、「これじゃあ、だめ。」と言い放つのです。なにかと思えば、私のソーシャルセキュリティーカードは日本の姓のまま、グリーンカードや免許証は主人の姓を使っているので、「別人」だと言い出しました。パスポート出して「これが私。こっちは日本の姓、そしてこっち(運転免許証)は主人の姓。前回更新したときに、主人の姓に変えられたわけで、別人じゃないですよ。さっきもパスポートを出したらソーシャルセキュリティーカードと言われたので出しただけで、実際、どちらの苗字でも私はかまいません。じゃあ、どれで統一すればいいんでしょうか」と問い詰めたら、「銀行のATMカード」とまた、言い放つのです。言われるまま銀行のATMカード出したら、それでOK. 「え、それだけ?」てなもんです。そして、そこにはちゃんとカメラもあるのに、いきなりスクリーンに出てきた私の顔写真は4年前に撮影した、今までの免許証で使っていたもの。「これでいいわね」と一方的に言われ、気がついたら、免許証は発行されていました。渡してくれるときもAVONカタログから目を離さない彼女。素晴らしいまでにAVONカタログに熱中する姿に、私は言葉をなくし、そのまま無言で立ち去りました。

こうして免許の更新をすると、12年前の冬を思い出します。私は渡米以来ずっとニュージャージーに住み続けております。最初の6年間過ごした街はとても閑静な住宅街なのですが、車がないと身動きできないところでした。なので、アメリカに来て一番最初にすべきことはニュージャージー州の運転免許を取得することでした。免許証がないから車がない。車がないから試験を受けにいかれない。そんな状態が4ヶ月も続きました。当時同じカウンティー内の大学に通っていたのですが、それでも通学時間が車で45分かかりました。8月に渡米して11月末までバス通学。通学時間が半端じゃない。乗り継ぎがあったので片道2時間以上かけておりました。たった3クラス授業を受けるのに朝7時前に家を出て、帰宅すると夕方6時過ぎておりました。冬は日が暮れるのが早いです。夕方6時といえば外は真っ暗。「早く免許が欲しい」と切実に願っておりました。

忘れもしない11月23日。私の念願の運転免許証取得が現実となりました。それから1週間後、私は念願の車を購入しました。車を買って2日後に車の保険加入の手続きがすみ、やっと運転できるようになりました。「これで私も一人前」、なんだか成人式を迎えたばかりの20歳の若者のような気分でした。

12月始めの寒い日でした。アメリカでの運転初日、私は友達を空港まで送ることになりました。彼は事も無げに「運転できるんだろ。明日、空港まで送ってくれるよね」と言うので、「いいよ」と軽く引き受けました。ところが、朝起きてみると、雪が降り始めておりました。「うそ、雪の中を運転するわけ?」そんな私を気にするふうもなく、彼は荷物を私の車に積み込み、助手席に座っておりました。初めての運転が雪の日、空港までの道のりは当然のごとく高速道路。日本でもしばらく運転してなかったので、かれこれ5年ぶりの車の運転、ゆっくり行かせていただこう。と思うのもつかの間、のんびり走ろうものなら後ろから来た車に脅かされる。これぞ、ニュージャージーの運転。若葉マークなんてものはないから、誰がどのくらいの運転歴なんてことは関係ない。邪魔なやつはどかす、雪が降ろうが容赦しない、そんな感じでしょうか。本当に怖かったです。空港のDepartureで友達を下ろすと、彼は「サンキュー」と言い残しただけで消え去りました。「さて、私はここからどうやって帰ったらいいのだろう。。。」空港から家までの道は至ってシンプル。78号線を西へ、そして24号線が出てきたら、24号線を西へ。言ってしまえばそれだけの道のり、でも、それだけのことをどうやって帰ったらいいのかわからないのです。まずは空港から出ないといけません。助手席に乗っているときは「空港から出口に沿って出て行けばいいだけじゃん」と思うことも、実際運転すると、それがなぜだかできないのです。そして、私は空港を一体何周回ったのでしょう。奇跡とも思うべくしてやっと、空港から出られた私は、次に78号線に入りました。しばらく78号線を走っていると、24号線が出てきました。「おお、いい調子」と思っておりました。さて、そこからです。私は一体24号線のどこの出口で出たらいいのでしょう。標識をみて、私の町の名前が出ているところで24号線を降りました。それがどうしたことでしょう。今度は24号線を再び空港方面に向かって走っていたのです。次の出口で出て、また24号線を西へ。そして、町の名前の出ている標識に従って24号線をおりると、また空港方面に向かっているのです。「あーん、あーん、おうちに帰れない」と子供のように泣きました。当時、携帯電話も持っておりません。やっとのことでこれまた奇跡的に小さな道に出て、そこから家へ通じるメインストリートに出ることができました。家から空港まで通常なら片道20分の距離なのですが、その時は朝6時に家を出て、家にたどり着いたのが正午。あたりは真っ白に積もった雪景色。一体、私はどこを走っていたのか今でもなぞなのです。

冬になると、車がなく寒くて暗い中バス通学していたこと、免許取れてはじめて運転した日のことを思い出します。あの頃に比べれば、4年に1回こうして無愛想な係官相手に免許証の更新をするのなんてたいしたことありませんよね。面倒くさがりの係官にあたるといいこともあります。だって、私の免許証の写真は4年前のまま、そうです、2013年までは2005年の私の顔でいられるのですから。