ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2011 あってもなくても困るもの

あってもなくても困るもの

 

 最近我が家にインターネットがやって参りました。やって来た、という言い方もおかしなものですが、それは「いよいよ」でもあり「とうとう」でもある複雑な存在なのです。みなさんはおそらくインターネットは当たり前のように使われていることと思います。私もこうして日本で原稿を書いて送れるのはインターネットがあってのこと、もちろん使っております。ただ、私は日本に戻ってから極力便利な文明の利器は使わない生活を心がけてきました。日本に戻ってからの最初の三ヶ月は携帯電話も車もインターネットもなく、出かけるときはバスに乗り(ちなみに実家からバス停まで徒歩十五分)、出先から連絡するときは公衆電話を使い、原稿を送るときは実家の化石化した骨董品コンピューターを拝借し、ひたすらシンプルにすごしておりました。今日は私の「いよいよ」と「とうとう」と思う携帯電話とインターネット、そしてカーナビについての話をしたいと思います。

 

 私はアメリカで二度交通事故にあいました。最初は日本から来ていた友達を乗せてアメリカ人の友達のおうちに行く途中でした。私はまだ大学に通っていました。貧乏な学生でした。もちろん携帯電話なんて高価なものは持つ余裕もありませんでした。それは走りなれた道の交差点でのことでした。片側三車線のうち、左車線は左折オンリー、真ん中車線は左折またはまっすぐ、右車線は右折またはまっすぐでした。私は真ん中車線におり、早くから左折ウインカーを出していました。曲がろうとしたとき、いきなり私の車の左側後部ドアに何かがぶつかりました。「うそ。まさか」と思うが早いか、私の車のドアに別の車が突っ込んだのが目に入りました。助手席の友達は「え、うそ、事故。。。」と蒼白な顔になり、私はとにかく「三時までに友達んちに間に合わない。」と思いました。交差点の向こう側にガソリンスタンドがありました。とりあえずそこに車を移動することになりました。私にぶつかってきた車を運転していたのはおじいさん。ガソリンスタンドに入ると車から降りてきて、「だめじゃないか、いきなり左折してくるからこんなことになったんだ」と怒ってきました。こんなとき本当なら私は車から降りずとにかく警察を呼ぶのが一番なのですが、なにせ携帯電話を持ってない貧乏学生、車に立てこもっていても何の意味もありません。おじいさんを無視してガソリンスタンドの人のところに走り、「事故です。警察を呼んでください。」と頼みました。後ろからついてきたおじいさんは「ワシは急いでいるから警察が来るのを待っていられない。警察は呼ばなくていいから、君の免許証と連絡先を教えてくれ。」と言ってきました。おじいさんのいう事が聞き取れないような顔をしながら

実際にはおじいさんを無視してガソリンスタンドの公衆電話を借りて警察を呼びました。警察を呼んだもののこれからどうしたらいいのかわかりません。まずは当時居候していた家の友達に電話をしました。もちろんそれも公衆電話からです。家にも職場にもいません。いったいどこに行ったんだろう、と思いながら怪しい電話魔のごとく二分おきに電話をしてみるのですが、つかまりません。訪問予定の友達の家に電話しても留守電につながるばかり。そうこうしているうちに警察がきて事故処理はすませていってくれたものの、いざ車で帰ろうにもドアが壊れてしまっていて走ったらそのまま翼を広げて空飛ぶ車になりそうだし、エンジンかければ暴走族をも脅かしそうな爆音が出るし、帰るに帰れない状況となりました。お財布の中はもうコインはありません。ため息をついて財布を覗き込んでいる私を見かねてか、ガソリンスタンドの従業員のひとりが自分の携帯電話を貸してくれました。「これ、使ったらいい。誰かに来てもらったほうがいい」と。事故から二時間がたち、やっと両方の友達に連絡がつきました。それから三十分後、両方の友達が来てくれて私たちは救出されました。あのとき、みんなが携帯電話を持っていたら、あんなに時間をかけずに、怖い思いをせずにすんだことでしょう。そして、私は携帯電話を持つことにしました。同様な経験をした人がいます。彼女は八十歳。夜中の高速道路をひとりで走っていたところ、さてさて一体なにが起きたのか彼女自身にもわからないのですが、はっと気がつくと彼女の車はクルクルとスピンし路肩のガードレールのようなフェンスに勢いよく突っ込んでいきました。車は動きそうにないのですが彼女は怪我ひとつしていません。携帯電話を持っていない彼女、外は真っ暗だし、こんなとき車の外に出るのは危険。そこで思いついたのはこんな考えでした、「暗い中で白いものが舞えば人目をひく」と。車内には白いものはないとあきらめたその瞬間、彼女は白いものをみつけました。ティッシューです。窓を開けて手だけを出し、ひたすら白いティッシューを振りました。誰も止まってくれません。冷静に考えて、夜遅く真っ暗な高速道路の路肩に止まる車からティッシューが一枚動いていても気がつくほうが不思議なのです。しかし、奇跡は起こりました。一台の車が止まりました。ティッシューを見て止まったかどうかはわかりませんが、中から紳士風な男性が降りてきて、「どうしましたか」と聞かれたそうです。そこで、事情を話すと、「この携帯電話で警察と家族を呼んだらどうでしょう」と電話を貸してくれました。彼女もこんな経験から即座に携帯電話の必要性を学び、購入しました。しかし、なにせ彼女は八十歳。彼女の携帯電話は常に車のダッシュボードの中。そして、それは老眼のすすんだ彼女の目に優しい「時計」になっていました。

 

 私は渡米する前、コンピューターが大の苦手でした。幸いにして私の周りにはコンピューターが得意な人がいっぱいでしたので、タイプすらいないでなんとか生き抜いていました。でも、渡米し大学に入ると課題エッセイをタイプしなければならないという現実にぶち当たりました。苦労の積み重ねでいつしかずいぶん速くタイプできるようになりました。 ある日、友達からEメールとかいう超便利なものがあると聞きました。それは郵便局に行ってエアメールを出さずともコンピューターを使ってお手紙を日本の友達に送れるというのです。Eメールに味を占めると私のタイピングスピードはますます速くなりました。インターネットを使っていろんなリサーチもしました。図書館に行かなくてもたくさんの情報が得られます。私にとってインターネットはなくてはならないものとなりました。息子に障害があるとわかった際、「発達障害」とか「自閉症」なんていきなりいわれてもなにがなんだかでわかるわけもなく、インターネットを使って息子の障害について学びました。たくさんの情報があり、本一冊借りたり買ったりしなくても必要なことだけを得ることができます。息子の障害について何でも知りたいという貪欲さから毎晩子供たちが寝静まると、古い資料から新しいデータ、療育についてと、あらゆることを調べまくりました。インターネットとは大変重宝する発明だと思いました。ある日、知り合いから「ソーシャルネットワーク」というものを紹介されました。そこから私は「インターネット依存症」に陥っていきました。そこにはコミュニティーもあり、友達もいました。しかし、私はその友達とは会ったこともなければ話したこともなく、実際にどんな人なのかも知らない。それでも友達と呼び、悩みを相談したり愚痴をこぼしたり、そしてアドバイスまで受けてしまうのです。共通の話題、環境、興味や趣味のある人同士が参加するコミュニティー。架空の世界のような中に私は入り込みました。時間があれば自分のページを開き、友達と呼ぶ人からのメッセージを読んだり書いたりしました。実際に私のことを知っていない人がどれだけ責任あるアドバイスをできたのでしょう。当時の私にはわかりませんでした。たくさんのつらい状況から逃げたくて、誰かに認めてもらいたくて、ネット上の世界と現実が混同するようになっていました。主人と喧嘩すれば、「友達に言ったらそれはあなたがおかしいって言っていたわ」と真剣に主人に向かっていく私は、それこそ「あなたがおかしい」人だったのです。日本に戻ってから、私は自分がインターネット上の世界にいたことに気がつき、携帯電話は必要に応じて持つようになったとしても、インターネットだけは自分の世界に入れたくないと思いました。怖かったのです、また依存症のようになってしまうことが。ただ、いまや社会全体がインターネットを使うため、インターネットがないと困ることも出てきているのです。たとえば、オンラインでのみ予約受け付けます、っていうようなのだと電話をかけるわけにいきません。携帯電話からインターネットに接続できますが、限度があるためすべてできるわけではないのです。子供たちも落ち着いてきてめちゃくちゃにコンピューターを触ろうとしなくなったのでうちにもインターネットを入れることにしました。かつてのようにたくさんの調べごとができるようになりました。でも、インターネットではみなければ幸せだったものまで映し出してしまいます。そこで私がみたもの。それは、私の銀行口座をオンラインでみたら、主人が私のクレジットカードでお買い物をし、お楽しみいただいている現実でした。みなければよかった、と思う反面、みなければ痛い目にあっていたわけだし、と複雑な思いにため息をつきました。

 

 ずっとずっと昔、友達の車でお出かけしました。彼女は新し物好きで、当時まだそんなにたくさんの人がカーナビを車に乗せていなかった頃、最新のカーナビを車につけてドライブを楽しんでいました。「これってさあ、運転中話してくるでしょう。右に曲がりますとかって。気になって運転に支障でない?」と聞いたら、彼女は自慢げに「何言ってんのよ。これさえあれば知らない土地にだって案内してもらえるからどこにだって行かれるのよ」と言われました。ところが、目的地近くになると「目的地周辺です。案内を終了します。」と私たちを見捨てるのです。目的地周辺というのは地図上であってのこと、実際には私たちは目的地にどのくらい近いのかも見当つかないし、結局目的地にたどりつけずに引き返したこともありました。だから、私はカーナビは必要ないものと思ってきました。知り合いの車屋さんから今私が乗っている軽自動車を安く譲ってもらった際、サービスでカーナビをつけてもらいました。使わないだろうなと思っていたら、いやいやこれは一度車に乗せたら降ろせないですね。昔のカーナビのようにやたらと見捨てるような薄情ものではありません。目的地到着予定時間までも出してくれるし、渋滞状況も教えてくれます。迷子になるとどこまでも追って道修正してくれます。なければなくてもなんとかなるのでしょうけど、一度手にしたらなければ困るというほど頼ってしまうのでしょうね。

 

 みなさんにとって、あってもなくても困るものとは何でしょう。みんなそれぞれに価値観も環境も違うからさまざまなものを大事に思われることと思います。たとえば子供。うちにいるとうるさく感じ「ああ、子供たちがうちにいるとうるさいからどこかに行ってくれないかしら」と思いながらも、修学旅行などでいないとさみしく感じ「ああ、早く帰ってこないかしら」と子供の帰りを待ちわびてしまう。どんなものでも使い方によって良くも悪くも変わってくるのだと思います。