ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2011 カラフルな人生

カラフルな人生

 

 子供たちが毎日保育園で描いた絵を持ってきます。人だか虫だかわからないようなものを描いていた娘も今では「かわいい子」と名づけた女の子の絵を描いてくるようになりました。初めのうちは丸い顔に目と口だけ、顔から手足が生えていたかわいい子も、最近では髪の色も髪型もいろいろ、顔には鼻がつくようになりました。「デザインを考えているの」というかわいい子の洋服はいつもカラフルな南国でしか着られないようなドレスを描いています。一方、息子はといいますと、ひたすら「レインボー」を描いています。テレビで虹が出ると、「あ、ママ、レインボー!」と、トイレまで追いかけてきて知らせてくれるほど、ただいま息子は虹にご執心なのです。私が「レインボー!」というまではしつこく追いかけてきて、虹がいかに素晴らしいかを分かち合いたい心いっぱいの顔をしています。でも、息子が描くレインボーは私にはそうみえても、きっと他の人からみたらただのなぐり書きだかいたずらだかにしかみえないだろうなというようなものなのです。でも、息子のレインボーをみていると、そこに彼の心が見えてくるように思えるのです。しばらくは黄色が大半を占め、赤とオレンジが線のように描かれていたのですが、最近は赤が全面的に出て、黄色がひっそりと描かれているのです。たまに黒い線が入っているときもあります。でも、七色になることはありません。息子には虹がそういうふうにみえているのかもしれません。

 色とは不思議なものです。実際、虹は七色なのでしょうか。では、何色が含まれているのでしょう。知り合いの心理士から聞いた話では、虹が七色と思われているのは万国共通ではなく、五色だと思われている国もあれば、含まれている色も同じではないのだそうです。では、正しい色は何色で、間違った色は何色でしょう。色には正しいも間違いもありません。もしも、「その色は違うでしょう」ということがあったとしたら、それはその色がその場に適さないということではないでしょうか。日本では信号機の色は「赤、青、黄色」と言います。でも、青ではなく緑色のライトがほとんどなのに「青」と言います。アメリカで信号機の緑を「ブルー」と言ったら、「君は色がわからないのかい」と言われたことがありました。同様に、うちの子供たちは日本にきてからしばらく混乱していました。

 私は息子には赤ちゃんの頃から黄色や黄緑、オレンジ色を基調にしていました。洋服もベッドのシーツもお部屋の色も、なぜだか男の子でも女の子でもいいような色合いをつくっていました。そして、翌年娘が生まれると、洋服以外のもののほとんどは息子が使っていたものをそのまま娘に設えました。それでも気がつくと、息子が選ぶ色はブルー、娘が選ぶ色はピンクになっていました。誰が教えたわけでもないのに、自然とジェンダーカラーを選ぶようになるのは不思議だなと思いました。衣替えを目前に夏のような暑さが続く今日この頃、保育園では冬のスモックを脱いで私服に名札をつけた子供たちが園庭を走り回っています。みんな様々な色の服でまるでキャンディのようにさえみえます。子供の頃はたくさんの色に囲まれています。そして、それらの色全てが子供たちにはよく似合うのです。子供たちは色の中で輝きます。でも、大人になるとその色の数は減っているように思います。子供たちの洋服ダンスの中にはカラフルな服がいっぱいなのに、私の中にはおいしそうなキャンディのような色の服はありません。うっそうとした森や、暗い夜道を歩いたら同化しそうな色の服ばかりです。

 アメリカにいた頃、日本から来た友達はベーカリーに並ぶケーキをみると口をそろえて「食欲をそそらない派手なケーキ」と言いました。私も渡米してすぐの頃はそう思いましたが、いつしかそれすら感じなくなりました。今になると、たしかに南国の海を思わせるようなブルーや紫キャベツのようなパープル、青々とした裏庭の芝生のようなグリーンのバタークリームのケーキは、日本人の食文化からすると「食べ物の色」ではないのかもしれません。アメリカ人の友達のパーティーにうかがった際、色鮮やかなケーキをみんなおいしそうに口に運んでいました。大人も子供もです。そして私もその中のひとりになっていました。今、近所のケーキ屋さんで紫色のバタークリームのケーキはみかけませんし、ブルーとピンクで飾られた派手なケーキはオーダーすら受け付けてくれないのではないでしょうか。どれも「天然素材から来ましたよ」というような色のケーキです。

 二十代の頃、私は燃えるような真っ赤な車に乗っていました。その頃「赤い車は暴走するんだよ」とよく言われました。私は別に暴走したこともなく魚のように波に乗った運転をしていたつもりでした。今は白い小さな車に乗っています。たまたま知り合いから安く譲ってもらえたからで、特に白を選んだわけではありません。先日、高校の同級生と会いました。「へえー、落ち着いたね。もう真っ赤なルージュで暴走しないんだ。」と言われました。かつての私の運転は今より上手かったと思いますが、暴走はしていません。年を取っただけで、落ち着いたのかどうかはわかりません。今も燃えるような赤は嫌いではありません。でも、その色の車に乗るには心理的についていかれそうにありません。

 先日おもしろい話を聞きました。うちの部屋は息子が好きなブルーを基調にカーテンもカーペットもそろえました。テーブルクロスもクッションもブルーです。ある日、私の友達が遊びにきました。彼女はダイエットおたくで、あらゆるダイエットに挑戦してきました。残念ながら結果的にはどれも成功しませんでした。彼女がうちにきて、「ああ、だからなんだ」と納得するように言いました。青で部屋のインテリアをそろえると食欲が抑えられてダイエットに効果があり、実際それで何キロも痩せた人がいるというのです。「何で青いインテリアにすると痩せるのか」ときいたら、青は自然の食べ物(野菜、果物、木の実など)にはない色だから、食欲をそそられないのだそうで、青に囲まれているとそれだけで食欲が失せていくというのです。うちは私はチビ、子供たちは背は高いのですが決して太りません。友達はこの青の部屋の効果で私たち親子は太らないでいるのだといいました。うーん、そうかなあ、と考えました。私はあのブルーのバタークリームケーキは決して嫌いではなかったし、娘はブルーのゼリーが大好きでした。青い部屋で食欲が抑えられるというのは私たち親子には効果あるのかどうかは疑問ですが、色が心理的に影響するのはその通りかもしれませんし、その心理というのはその人の生活する環境から大きく影響を受けていると思います。

 色はどこか人の心を映し出しているように思えます。子供の頃はあんなにカラフルなのにいつしか大人になると限られた色の中で過ごすようになります。それは、なんでも無邪気に挑戦する子供の心と、経験や社会から身に着けた固定観念に縛られる大人の心のように思えます。レインボーを好む息子にはたくさんの可能性が秘められています。ピンクをこよなく愛する娘は甘いキャンディのような女の子らしさを持っています。ピンクのシャツ、スカート、靴下、靴、大好きな色を身につけてそのなかで輝いています。私はといえば、昨日は茶色系、今日は白系、明日は多分黒っぽい服で身を包みます。「どんな色が好き?」と聞かれて、「茶色」とは答えません。私だって娘のようにピンクも好きだし、黄色も赤もブルーも好きです。でも、それらの色の服を身につけようとは思いません。なぜでしょう。流行の色、目立たない色を身につけることで「みんなと同じ」という安心感を持ちたいのかもしれません。たくさんの失敗を恐れずに突き進む子供たちには、正しい色も間違った色もなく、色に負けることなく色を使いこなせるそんな強いレインボーでいて欲しいと願います。レインボーの色は人それぞれでいいんですよ。七色じゃなくても、決められた色じゃなくても、自分の色を持つことが、それが人生だと思います。