ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2011 素敵な子育て

素敵な子育て

 

 先日息子が六歳の誕生日を迎えました。早いようで長いような六年間でした。何もかもが初めてのことばかりで無我夢中で走りぬけた一年目。息子が二歳になると障害があるとわかり、そこからは時間が私のみえないところで流れているように感じました。娘が生まれたとき、「今からしばらくは大変だけど、あと一年もすれば楽になるから。」と言われました。それから一年たって、なにも楽にはなっていませんでした。「子育てなんてみんな大変」と言われると、悲しくなりました。どうみても、それぞれの親子のおかれた環境によって「大変」の度合いは異なるのに、それを一括りに「大変」と言われると、私は自分がぎりぎりでいることに「できない人」というレッテルをはるような気分になりました。「子育てはみんな大変」「そのうち楽になる」というのはウソではありません。でも、それがわかるまでに私は時間がかかりました。

 知り合いのノグチさんについて少し紹介させてください。ノグチさんには三十二歳の娘さんがいます。娘さんには重度の知的障害があります。プラス、足も悪いので杖をついているそうです。ノグチさんは一見普通のおばさんですが、かつては看護婦さんで、今は公務員として仕事をこなすキャリアウーマンです。ノグチさんは週末になると娘さんとお出かけをします。ある日、「暑いからまたモールに行ってきたわ。一体なにがあったと思いますか」とメールがありました。娘さんにはこだわりがあり、決まったトイレにしか入りません。その日もいつもと同じように障害者用のトイレに入いりました。ただ、いつもと違うのは、いつもは中までノグチさんが同行するのですが、その日は「一人でできるから」と、娘さん一人でトイレに入ったのです。ノグチさんがトイレのドアの外で待ったいたら、中からガタガタドンドンと音が聞こえてきました。「どうしたの」と声をかけると、娘さんが「お母さん、開かないよう」と杖でドアを叩きながらパニックを起こしている様子。娘さんは鍵を開けることができません。いつもはノグチさんが一緒に中に入るから鍵をかけて閉じ込められることはありませんが、その日はトイレの中と外。娘さんだけでなく、ノグチさんも焦り、そばのお店の人に助けを求めました。お店の人がモールの管理事務所に連絡してくださり、しばらくすると長い棒とハシゴを持った人が現れました。「申し訳ありません。娘は障害があるので、トイレの鍵が開けられないのです。ご迷惑おかけしてすみません。」とノグチさんが頭を下げていると、カチッと音がしてトイレのドアが開きました。ドアには誇らしげに微笑む娘さんが「お母さん、ひとりでできたよ」と立っていました。ノグチさんは管理事務所の人にひたすら頭を下げ、お詫びとお礼を言いました。「娘はまたひとつできることが増えました。モールのみなさんには迷惑かけてしまったけど、私が頭を下げてすんだからよかった。」とその日のメールは結ばれていました。

 ノグチさんは私よりも年上です。でも、体力気力共に私よりパワフル。「金曜日に休みを取りました」「月曜日は有休を取りました」とメールあるときは、たいてい週末をはさんで遠出しているのです。お互いに知り合って間もないある日、教えて欲しいことがあったのでノグチさんのオフィスにうかがいました。「ちょっと待ってね、この中に入っているはずだから」と引き出しから出したクリアファイルには今大人気の「嵐」のイラストがついていました。「まさかノグチさんが嵐を好きなわけない。なにかの宣伝にもらったんだろう」と思いました。そう思いながら「これって嵐っていう人たち?」と聞いてみると、「やだ、嵐っていう人たちなんて。嵐ですよ、嵐。私は大野クンが一番好きなんだけど、でも、他のメンバーも好きよ。」ときたから私はビックリ。「これってまさか、もらったんじゃなくて買ったファイルですか」と聞けば、「当たり前じゃない。コンサートでね。昔はファンクラブを通してチケットが買えたけど、今は人気すぎちゃって無理ね。だから、これ、もうちょっと古いんだけど」とニコニコ。嵐、ファンクラブ、コンサート。。。私はその日に聞きたかったことも忘れ、あまりの意外性に驚きっぱなしで帰路につきました。そうです、ノグチさんは嵐のファンです。そして、それは嵐だけでなく、ジャニーズのグループはデビュー前の「ジュニア」と呼ばれるグループから大好きなのです。ノグチさんは娘さんと一緒にジャニーズのコンサートがあれば東京は当たり前のこと、九州、沖縄、北海道、そして韓国、香港までも飛んでいきます。「今、新幹線の中です。今から東京にいき、今夜はコンサートです」というメールはいつものこと、「今、空港での待ち時間です。香港に行ってきます。コンサートです」と、私が子供たちを連れて地元のプールに行くような感覚で、ノグチさんは娘さんを連れて飛び回っています。ノグチさんがジャニーズ好きになった歴史は長く、娘さんが小学校四年生の時から始まります。隣の家には娘さんと同い年の女の子がいました。その女の子が四年生の頃、ジャニーズのファンになり、その影響で娘さんもジャニーズが好きと言い出したそうです。その頃のノグチさんは夜勤もこなすバリバリの看護婦さん、テレビのアイドルグループなどに興味は全くありませんでした。でも、娘さんが年齢相応のことに興味を持ち始めたとうれしくなり、まずはテレビを一緒に見ることから始めました。娘さんが「コンサートに行きたい」と言い出したときはノグチさんも悩みました。こういう障害のある子をコンサートという場に連れて行っていいものだろうか、と。人はどう見るのか、人に迷惑かけないだろうか、人は自分たち親子を嫌がらないか、と人目を気にしました。でも、「どうしても行きたい」という娘さんの強い要望にこたえることにしました。娘さんが二十歳のときでした。集中力のないと思っていた娘さんがコンサートの間ずっと席に座っていられたことにノグチさんは感動しました。娘と同じものをみていられる、ということにノグチさんは母娘の共通の楽しみをみつけました。「娘は好きなこと、物、場所があっても一人では行かれないでしょ。だから、私が連れて行くしかないの。」といいながらも、「実際、娘が好きだからといいながら、私がジャニーズにはまってしまったの。」とうれしそうに笑うノグチさん。

 ノグチさんは「私は娘の障害について決して真剣な親ではなかったの。なにかにぶつかったり、大きな岐路に立たされたときでさえ、私は楽な方を選んできたの。」といつも言います。ノグチさんはいい加減に過ごしてきたとは思えません。娘さんはノグチさんが大好きです。先日も「昨日は仕事の会議で帰りが遅くなりました。娘には言ってきかせておいたのに、やはり帰りが定時より遅いのでメールの雨あられ。いつ帰ってくるの、早く帰ってきて、という内容ばかり。電話だとおばあちゃんにみつかるから、メールしてくるのよね。そういうところは知恵がまわるんだから。」とノグチさんからメールがありました。娘さんは夕方ノグチさんと一緒に犬の散歩をするのが楽しみなのです。娘さんはイライラすると犬のしっぽをひっぱり、犬に怒られています。トイレにはいるとトイレットペーパーをカラカラカラ~っとひっぱり、毎日一ロールを無駄にトイレに流し、三日に一回はトイレをつまらせます。そして、娘さんはノグチさんと一緒にお風呂に入ります。「届かないから」「できないから」と言ってはノグチさんに体を洗ってもらい、うれしそうにしているそうです。「できるかできないかといえば、娘は自分で体を洗えます。でも、しない。甘えているんですよね」とノグチさん。娘さんはノグチさんが大好き、そしてノグチさんも娘さんが大好きなんです。いい加減の子育てしてきたら、こんな素敵な母娘関係はどうして築けたでしょう。

 以前、息子の保育参観があったとき、私は泣き出しそうなくらいに悲しい思いをしました。まだ息子が保育園にも慣れていないときで、そこに園児全員の親が現れ、園庭が人でいっぱいという状況の中、息子は混乱しました。私は「やめなさい」「そういうことしないの」を連発しながら息子を追いかけていました。じっと私たち親子を凝視する人、私と目が合うと見てはいけないものを見てしまったかのように目をそらす人、見て見ぬふりする人、いろんな目に私は自分たちがみじめに思えました。そのことをノグチさんに話しました。ノグチさんは「人の目は気にしないこと。人はいつの時も他人をみるよ。でも、中にはわかってくれる人もいるから。人の目を気にしてるとなにもできなくなるよ。」と言われました。人は私たち親子をどういうふうにみているのでしょう。先日、地元新聞の読者欄の投書を読み、考えました。児童相談所への虐待の疑い通報が増えているそうです。それについて、ひとりの読者は、「母親は必死です。わが子がかわいい故、ついつい思い通りにならないと怒ってしまうし、声も大きくなります。そうなると、今度はうちが通報されるのではないか、と気になるようになりました。通報がいけないとは思いません。ただ、母親も必死であること、そしてそれ故に通報されるのではないかと気になってしまうということを知ってほしいです」とありました。その数日後、別の読者は、「自分も大きな声で子供を怒ってしまうことがあります。でも、自分が虐待していなければ堂々としていたらいいと思います。たとえ通報されたとしても自分が虐待してなければ疑いは晴れるし、それより虐待を見逃さないことのほうが大事だと思います。」とありました。小さな子供を持つ母親同士でも、ひとつのことについて、それぞれがおかれた立場や環境によって違う見方をします。どちらが正しい、どちらが間違っているという解答のあるものではありません。ただ、どちらの意見も最もで、私たち母親は自分たちがどう子供と接しているかということにはみんな真剣に悩むのです。

 「子育てはみんな大変」「そのうち楽になる」というのはうそではありません。でも、ノグチさんをみていると「みんな」という一括りにする見方はどこか違うように思えます。そのうち楽になるって、いつがそのうちなのでしょう。五歳でしっかりしている子もいれば、障害があれば二十年三十年かかってもまだまだ楽にならないこともあります。でも、ノグチさんは娘さんの世話を世話と思わず、一緒に楽しみ、暮らしているから、「そのうち楽になる」とは思わないそうです。「これ以上楽にはならないよ。だって、私はいつも楽な道を選んできたから、苦労してないもの。」と言われました。いきなり知らない人に話しかけたり、エスカレーターで杖を横にして追い越しさせないようにしたり、娘さんとのお出かけは楽ではないけれど、楽しいそうです。一緒にジャニーズのコンサートみて、おいしいもの食べて、ノグチさんは娘さんとの時間を楽しんでいます。うちの場合、二年前より去年、去年より今年、子供たちは成長し、私は怒る度合いも回数も減りました。健常な子と比べたら、息子はまだまだ手がかかりますが、去年の彼と比べるとはるかに成長しています。比べるのは「みんな」ではなく、自分自身なのだと思います。私たち親子には私たちの歩幅と速度があります。それは私たちの姿そのもの。どんなにノグチさんがかっこよくて素敵にみえても、私たちはノグチさん母娘になれないように、歩み方も変えられません。自分なりに子供たちと楽しめたら、それが素敵な子育てだと思います。