ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2011 理想

理想

 

 小学校5年生のとき、図工だったか理科だったかのクラスで、「理想の自転車」を描きました。自分の思う理想の自転車の絵を描いて、その下の部分に説明を書くというようなものでした。私はこの手の作業がとても苦手でした。なぜならば、私は写生などのように目の前にあるものを見たままに描くのは得意でしたが、自ら絵を考案し、そこに自分の「訴え」を込めるようなポスターなどは意味すらわかりませんでした。自分の思いを絵に込めるということは私の意識の中にはなかったことなのです。でも、なぜだかこのときは少し違いました。絵に込めるのは「思い」や「訴え」ではなく「夢」なのです。それは大きな違いでした。私の理想の自転車は完璧でした。自転車には自動天気察知機がついており、いきなりの雨にもハンドルから自動的に傘が出てきたり、当時音楽を聴くといえばラジカセ、そのラジカセもついており、なんだかある意味防災自転車のようでもありましたが、どんな状況にも対応できるようになっておりました。実際そんな自転車があったら重いしでかいし不便極まりないのですが、小学五年生の私にはとびっきりの自転車でした。そして、私の理想の自転車はクラスで1番、教室の壁に貼り出されました。

 あのときからです、私は自分の理想を至る場面で描くようになりました。実際に紙に描いているわけでなく、想像です。学生の頃はたくさんの理想を描きました。中学生になると、テストに追われるようになりました。私は成績にむらがあり、得意な科目は学年でもかなりいい方に入る一方、苦手な科目はクラスの平均点を下げたと言われるくらいにできなかったのです。なので、中間テストや期末テストになると、決まって「理想のテスト日程」を想像していました。得意の英語と数学と国語は別々の日にします。できれば一時限目にあるのが望ましい。楽しみは毎日少しずつあったほうがいいのです。大嫌いな理科と社会も重ねないように別々の日にしてなるべく最後の時間あたりにし、その時々に応じてその他の科目を散らしておりました。こんなことをテストの時間割発表がある前に想像しては、発表後には肩を落としていたものです。

 高校生になると、男女のグループで遊ぶようになりました。高校二年生のとき、男女8人のグループで仲良くしていました。私たちは決して勉強のできる優等生ではありませんでしたが、不良でもなく、ひっそりと地味にちょっとだけお茶目に毎日仲良く過ごしておりました。あるとき、「理想の席」が仲間内で流行りました。退屈な授業中、それぞれに理想の席順をノートの端切れに書いて回しあうのです。まずは自分の席を、先生の死角になる位置に設定し、右横には付き合っていたS君、左横は幼稚園から一緒のCちゃん、あとは身の回りを固めるように仲間を前後斜めに座ってもらい、相性のよくないクラスメイトには遠くにいてもらうように、そんな理想の席順をつくりました。8人それぞれにつくり、先生の目を盗んでは紙を回すのです。受け取ったら、そこに意見を書いて次に回します。楽しかったです。理想はあくまでも理想、そんな席順になるわけないのですが、それでも授業そっちのけで真剣に考えている私たちの姿に、先生はきっと心を打たれ、「しっかりノートを取っている生徒たち」と映ったことでしょう。理想の席順だけでなく、「理想の先生」というのもよく考えました。同じ科目でも先生によって授業が楽しかったり苦痛だったりと差があります。せっかく授業を受けるのなら楽しく時間を過ごしたいものです。そこで私たちが考えていたのは「数学はA先生、英語はB先生、国語は現代国語はC先生がいいけど、古文のときはH先生にして、化学は選択肢がないから誰でもよし、」というふうに、科目毎に理想の先生を選んでいました。こんなことを毎日のようにしていると、先生やクラスメイトみんなに愛着がわいてくるのです。なにも考えずにみていたら嫌なものは嫌、好きなものは好きというだけのことが、「理想の席順」を考えることによってクラスメイト一人ひとりをみるようになり、その席順がどうしてそうなのかという理由すらみえてきます。「理想の先生」を考えることで、「嫌いな先生」のどこがどうして嫌いかが見え、それを仲間に話すことでなんだかその嫌いな先生の嫌いな部分が裏側からみると「ちょっとお茶目さんかも」と微笑えるようになったりもします。理想を考えることは決して嫌なこと苦手なことを排除するのではなく、好きなこと得意なことをより近くに感じ、そしてそうでないこと、つまり自分から遠ざけたい人や事物に対して理由がみつけられるのです。

 社会に出ても私のこの理想癖は続きました。シナリオライターの助手として働いていたときは、「理想の一日」というのをよく想像しました。助手といっても実際には雑用がほとんどで、あるときはお手伝いさん、またあるときはドライバー、そしてまたあるときは庭師もどき、そんな中にぽつりぽつりとライターの助手仕事があるというのが実情でした。当時まだコンピューターが今ほど普及しておらず、私が師事していた先生はもちろん原稿は手書きでした。原稿を清書したり、誤字脱字をチェックしたり、そういう作業の中から私は「書く」という技を学んでおりました。時々は先生の講演旅行にも荷物もちとして同行させていただいたり、ドラマの撮影現場にも連れて行っていただきました。雑事のなかに時々訪れる「著述業助手」の仕事がうれしく、いつかは私も物書きになるんだと強く思いました。ぼーっと庭の草取りしていたり、鯵のマリネを黙々と作っていたりすると、ふと頭に浮かぶのは「理想の一日」。朝食をすませると早々に資料に目を通すことから一日が始まります。資料に目を通し終えたら、アイデアをまとめておきます。そのころには先生の別の原稿ができあがってきているので、誤字脱字をチェックします。チェックしながら「ドラマの展開はこういうふうに作っていくんだ」と学びます。午後になり、私は先生に同行し、テレビ局の撮影を見に行きます。そこには私の大好きな俳優さんが出ていて、私はニコッとあいさつなんかしちゃいます。夜になり、翌日の講演旅行に同行するかと先生に聞かれ、「はい!」と大喜びで支度をし、早寝して翌日に備えます。いつかそんな一日がくることを思いながら、麦藁帽子を被って草をむしっておりました。理想の「著述業助手の一日」が来ることはありませんでしたが、私は今もこうして書いています。理想を思うこと、それは自分が本当にやりたいことが明確になってきます。こうなりたい、そういう強い思いがみえていれば、今していることに意味もみえてきます。草取りも鯵のマリネ作りも犬の散歩も、どれも意味がありました。

 結婚にあこがれていたときもありましたが、実際に結婚してみると、それはバラ色がみえるわけでもなく、それまでと同じ景色のなかで、同じにおいがしていました。私は結婚自体に理想を抱いていたわけでもありませんが、結婚したらなにかもっと違うものがあると思っていました。そうなるとまた理想癖がウズウズと出て参ります。そして妊娠しました。このとき私が描いた理想は、自分に対する「理想の母親像」でした。母親とはこうありたい、という理想がゴロゴロ転がり出てきました。絶対に怒らない、文句言わない、いつも笑顔で優しいママ、子供の気持ちに寄り添い、料理も全て手作りで掃除も手を抜かない、そんな母親といることで子供は安らぎでいっぱいになります。そんな母親になる予定でした、私。でも、実際、子供が生まれてくると、なにもかもが完璧にはできないのです。できないとなると、できない自分にあせりや苛立ちを感じます。でも、万人に完璧な母親なんているんでしょうか。母親は人間です。できないこともあれば、感情もあります。育児書にあるように子供が育たないように、母親だって人それぞれです。理想の母親像、あこがれます。でも、そうなれなくてもいいのです。子供を怒ってしまったとき、少しだけ冷静に「理想の母親像」を思うことで、怒ることを肯定しないことです。今度怒りそうなときは、怒る代わりに話してきかせてみよう、と努力しようと心がけます。「早く支度しなさい」「さっさとお風呂に入りなさい」と、眉間に皺を寄せて子供をせかしてしまったときは、ちょっとだけ「理想の母親像」を思い、せかす代わりに一緒にやってみようと子供と視線を合わせてみることで、子供に寄り添うことができるかもしれません。「理想の母親像」を持つことで、私はいい母親になりたいという思いを追い続けていられるようです。

 理想をいろんな場面でみてきましたが、ひとつだけ理想を描けないものがあります。それはわが子です。「理想の子供」は描けます。「優しく思いやりがあり、クラスの人気者。女の子ならサラサラの髪が肩くらいまでの長さでハイライトのようにブロンドまじりのブラウン。男の子ならちょっとクセ毛がクリクリして短くない髪。目は大きく、笑うとえくぼができて愛くるしい顔。背は高めで絶対に太らない。勉強はできた方がいいけど、がり勉ではなく、スポーツは適度にこなせる。」そんな子が目の前にいたら、きっと「うわあ、かわいい」と思うでしょう。でも、どんなにたくさん理想の子供たちがいたとしても、そこにわが子をみつけたとき、私は迷わずわが子を抱きしめるでしょう。「ああ、もっとさっさと身支度してくれたらなあ」「運動会のかけっこでもっと走ってくれたらなあ」願いは果てしなく出てきます。でも、だからといって、わが子に「理想の子供」を重ねようとは思えません。「願い」と「理想」は別物です。「理想のわが子」とはどんなでしょう。理想のわが子は絵に描けません。なぜならば、理想のわが子はここにいる「わが子」そのものなのです。障害のある息子に「障害がなければこの子ももっと楽に生きられるのに」と思うことはあります。でも、障害があるからこの子は私の理想の息子ではないなんて思ったこともありません。私の息子はこの子以外にはあり得ないのです。わけわからないことですねて愚図っている娘も、この子以外に私の娘はあり得ません。これから私がみる理想は、理想の親子関係です。目の前にいる息子と娘と共にいかにいい親子関係を築いていかれるか、私の大きな課題です。その指針版となるべく「理想の親子関係」を想像してみたいと思っています。