ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2012 ドッジボール

ドッジボール

 

 

 先日、久しぶりにドッジボールをしてきました。小学校以来なので、一体何十年ぶりでしょう。寒い冬の最中一体なぜにドッジボールを、と思われるでしょうが、これは息子の保育参観での親子のふれあいのひとつとして行われました。実際、参観日の予定を知った私は「なぜにドッジボール」だったのですが、老体に鞭打っての参加でこれまた得意の「新たなる発見」がありました。最近の私、結構いろんな場面で学ぶんです。ただ、それを血となり骨となるまでの過程のどこかで忘れてしまうのです。年をとるとはこういうことか、とそれはそれでまた別の意味での発見でもあるのですが。

 

 さて、ドッジボール。みなさんも小学校のときに一度はやってことがあるのではないでしょうか。これはスポーツというより遊びの部類の球技で、実際にはルールもまったく同じではなく、外野が敵にボールを当てたら復帰できるところもあれば、復帰はなくひたすら相手をつぶしていくことに専念するところもあり、そういう微妙な違いが存在するところがいかにも遊びらしい球技です。私は小学校のとき、放課になるとクラスでドッジボールをしましたし、体育の時間にやった思い出もあります。でも、私はどんなときも、団体競技というものが大嫌いでした。全国的にはわかりませんが、当時私の住んでいた地区では、身長の低い子というのは「小さい子」として扱われていました。クラスで並ぶときは決まって背の高い順。それが運動会や体育などで三人とか四人一列に並んでいくとなると、端数が出てくるのです。その端数になるのはいつも背の低い方から二人。端数はとなりのクラスの端数と組み合わされるか、となりのクラスに端数がない場合は下の学年に組み込まれるのです。当然競技では戦力としてはみなされず、たとえば1から5で、1が最も低いレベル、5が最高のレベルとしたら、平均身長以上は3でも参加できる資格を持ったとしてもチビは5でなければ参加資格さえ持てませんでした。私、チビは団体競技になると「どうせ」という思いで他人の競技をみていました。だから、クラスでのドッジボールでも当然のことながらチビは戦力ではなく、適当にどちらかのコートに散るのです。強くて目立つ子たちは片方にかたまらないようにと振り分けられるのですが、チビは適当にです。チビは大きなことを望みません。ボールを受けて相手にぶつけようなんてそんな大それたことを思うことなく、ひたすら望みはひとつ。「どうか剛速球に当たりませんように。無事痛い思いせず、外野に出られますように。」 私はチビであることにコンプレックスを感じる以前に、チビとはそういう運命で「体育では5は望みません」と思うようになっていました。

 放課になると私たち四年三組はみんなドッジボールをやりました。なぜならば「四年三組は仲良し、みんな一緒」でしたから。私、チビには苦痛でした。チビはそっとひとりで鉄棒の練習をするのが好きでしたから、放課まで団体行動を強要されるのは嫌だったのです。でも、断ることは自分の首をしめること。クラスの一員でいたいなら、みんなと共通の時を過ごして共通の話題を持たなければ「四年三組の仲間」でなくなってしまうのです。「どうか無事に痛い思いせずに外野に出られますように」と願いながら、逃げ惑いました。しかし、ある時、チビはそんなに危険地帯にいるわけでないことに気がつきました。チビは剛速球のターゲットにすらなっていなかったのです。ターゲットはイノッチでした。イノッチはいじめられっ子でした。髪と瞳が茶色で、体毛がないと思われるくらいにツルツルの肌、学業はあまりできず、キツネっぽい顔の女の子。ドッジボールが始まると、強い子たちはイノッチをどちらのチームに入れるかを相談していました。円盤投げと呼ばれる剛速球を投げる女子、ものすごい助走をつけて叫びながら速球を投げる男子、このふたりがいつも同じチームで外野と内野に分かれて、イノッチを敵チームに入れるのです。ほかの子達は適当にどちらかに分かれ、チビはその人数調整でどちらかに入りました。円盤投げ女子と叫ぶ男子は最後までイノッチに当てません。イノッチが最後に残るといよいよ始まるのです。二人でイノッチを追い込むのです。逃げ惑うイノッチを笑うみんな。必死で逃げるイノッチ。とどめにどちらかの速球がイノッチの顔をめがけます。これは球技でしょうか。これは遊びでしょうか。これは「四年三組は仲良し、みんな一緒」でしょうか。遠くからみていた先生にはこのドッジボールにこめられた意味がわかるはずもなく、イノッチはイノッチの目で、みんなはみんなの目で、円盤投げ女子や叫ぶ男子はそれぞれの目で、そして私、チビはチビの目で、このドッジボールをみていました。同じ四年三組仲良しがです。言葉通り「みんな一緒」でした。でも、同じ場の中でみんなが違う思いでお互いをみていたのではないでしょうか。私はこれがいじめだということに大人になるまでわかりませんでした。チビは「自分が無事に外野に出ること」で精一杯でした。外野よりもっと遠くからみていた先生は一体なにをみていたのでしょう。チビは戦力ではないから強い子や大きい子に逆らいませんでした。

 

 久しぶりのドッジボール、相手は息子たち年長チーム。年長チームは目が真剣。対する私たちママチームは「子供相手だから」と思いながらもちょっと真剣。油断すれば痛いボールに当たってしまいます。さて息子はといえば、なんだか気乗りしない顔して先生にくっついて向こう側コートに入っています。第一球目が飛んだ時、「ああ、これはゆうちゃんには苦痛だろうな」と思いました。なぜならば、人が予期せぬ動きをするのです。息子は予想外のことが起きるのが苦手。ドッジボールでは飛んできたボールに当たらないようにみんな逃げます。当然前後ろを考慮するよりも自分が当たらないことを最優先に逃げるから前にいた人が前向きのまま下がってきます。足を踏まれるでしょう。ぶつかってもくるでしょう。そういったことがいきなり、そしてずっと繰り返されるのです。息子には苦痛でしょう。なぜならば私もこういうことが苦手だからよくわかるのです。他人が前向きのままで後ろに下がってきて私の足を踏んだり、ぶつかってくるなんてのはバックしてくるトラックに圧迫されるような恐怖なのです。襲ってくるボールと下がってくるママたちに逃げ惑いながら、ふと何十年も前のあの四年三組のドッジボールを思い出しました。イノッチはどんな思いだったんだろう。イノッチはこんな怖い思いをして逃げていたのか。円盤投げ女子も叫びながら速球をぶつけた男子もそんな過去は忘れたかもしれません。イノッチは過去をどう思っているんだろう。そんなことを思いながら逃げていたら、理想の痛くないボールに右手が当たり、外野に出られました。チームにとってはマイナスのことでも私個人には「理想」がかなったのです。そして、息子は飛んできたボールが顔に当たり、「もうおしまい!」とゲーム終了前に自分の中で終わりを告げました。心の中で息子に拍手を送りました。

息子はチビとは違いました。チビは最初から「どうせ」という気持ちであきらめていました。でも、息子は実は練習をつんでいたのです。数日前から家で、息子はスポンジのボールを私にめがけてぶつけていました。まさか保育園でドッジボールをしているなんて知らないから、 私は怖い顔して「ゆうちゃん、ボールは人にぶつけないの。危ないでしょう」と注意していました。毎日のように私にボールをぶつけてきました。息子はお友達がドッジボールでボールを人めがけてぶつけているのを家で練習していたのです。お友達は人にボールをぶつけると「やったー」と喜ばれるのに、家では自分がママにボールぶつけるとママが怖い顔して怒るから、すごく不思議だったと思います。おそらく息子は、私にボールをぶつけてみて、つまりお友達の真似をしてみて、自分がこういう遊びが好きか楽しいか試していたのでしょう。結局、ボールを投げることは楽しいとしても、みんなが予期せぬ動きをするしボールを投げる順番は回ってこないし、彼なりに「興味はない」と結論がでたようです。結論が出ても、バックしてくるトラックの圧迫感におびえながらも、顔にボールが当たるまでがんばった息子は、あきらめるばかりのチビからみると最高のヒーローなのです。チビは思いました、「あきらめる前に、ちょっとだけ自分なりの努力をしてみたら、イノッチの横で逃げ惑うことができたかもしれない」と。

 

 先日、大変お世話になった人が亡くなりました。カンボジアでの活動で私を支持してくださった人でした。仕事を通して、たくさんのことを教わりました。でも、残念ながら最後のプロジェクトで意見が相違したまま、最終的には喧嘩別れのようにして幕を下ろしました。以来、会うことも連絡しあうこともなくなりました。常にどうしていらっしゃるんだろうと思い出してはいましたが、私から謝ることもありませんでした。私の中で「もしかしたらまたどこかで会えるかも」という思いがあったのかもしれません。訃報を聞いたとき、大きな波が引いていったように感じました。波が引いた後には跡が残っていました。でも、もう同じ波は戻ってきません。どうして私は意地を張っていたのか、過ぎ去った波はもう追えません。「いつかまた会えたら、そのとき謝ろう」と思い続けて十五年。失くしたときに初めて本当の意味や価値がわかるのかもしれません。でも、どんなこともどんなときも、自分が相手を傷つけたらそのときに謝らなければ遅いのです。イノッチにも、そして亡くなった私のボスにも。あきらめる前にほんのちょっと努力しよう、そしたら謝ることができるかも、チビはそう思いました。そして、チビはまたも息子に一本とられました。