ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2012 保育園父母の会

保育園父母の会

 

 小学校や中学校にPTAがあるように、保育園には父母の会があります。一年前、息子と娘が保育園に入いった際、父母の会の規約をみて私はぎょっとしました。そこには「特別な事情がない限り、子供が在園中一度は役員を受けること」とありました。私は日本社会になかなかなじめずにいました。ママ友と呼ぶ友達もいなかったし、欲しいとも思いませんでした。そんな私には父母の会という集まりはどこか遠くの知らない人たちの世界に感じていました。よくよく職場の仲間に聞いてみると、忙しいからという理由で役員を受けない人もいるとのことで、私もそれでいこうと心に決めていました。ところが、昨年一年の間に私の中に大きな変化がありました。そして、私は今、娘の保育園の父母の会会長となりました。ぎょっとなっていた役員の仕事がちょっとだけ楽しく感じています。

 

 私が役員スカウトを受けたのは娘の友達のお母さんからでした。当時役員をしていたそのお母さんに「来年度の役員さんがまだ決まらないからよかったらお願いできないかなあと思って」と声かけられ、「あ、いいですよ」と受けてしまいました。受けたというより、「誰もが一度は受けるべきものだから」と覚悟を決めたというほうが適当かもしれません。娘の友達のお母さんに声かけられたら、「仕事が忙しいから無理」とは言えませんでした。そして二月、父母の会役員会に出席する運びとなりました。私には仲のよいママ友がいるわけでもないので、役員会にいったものの「はてはて私はどうしたらいいものか」と座る場所もわからないほどオドオドしていました。

 

 昨年度の役員さんたちから各係りの役割をうかがい、さて今度は今年度の会長はじめ各係りを決めることになりました。私は一体なにができるのか考えました。誰もが会長になりたくありません。うわさによると会長を決める際、誰もがやりたくないためみんなダンマリを決め込み、二時間ダンマリが続いた結果あみだくじで会長を決めたところもあると聞いたこともあります。私たちもなかなか会長が決まりません。「いかがですか」と声をかけられるとみんな決まって「無理です」と断り、これは長丁場になるかなという状態でした。誰かがやらなければならない役。私は考えました。窓の外をみると、園庭で砂遊びをしていた息子が走り出す姿がみえました。息子はこの保育園でとても幸せな毎日を送ってきました。先生方も始めは息子とどう接したらいいか戸惑いもあったと思います。でも、息子は先生たちが自分をわかろうと努力をしてくれていることを感じ、絶対的に信頼するようになりました。苦手な場面、たとえば運動会や生活発表会においても、息子は先生たちのおかげで見事にやりぬきました。私は息子の笑顔のお礼をどう伝えることができるだろうか。そして、娘は私にどうあって欲しいだろうか。娘はよく「xxちゃんのママ(役員)は今日保育園に来ていたのにどうしてママは来なかったの」「xxxちゃんのママ(役員)は運動会ごっこに来ていたのにママは来てくれなかった」と言いました。役員になると保育園の行事に参加する機会もあります。娘はそんなとき私をみてきっと喜んでくれるでしょう。娘と一緒に保育園の行事に参加できるのは今年が最後。だったら、娘がとびっきり喜ぶように一番出番の多い役を受けちゃおうか。考えていると、私に声がかかりました、「鈴木さんはいかがですか」と。ゆうちゃんの笑顔のお礼、まあちゃんの喜ぶ顔のため、私はわが子のために会長を受けようと決めました。

 

 こうして私は会長という大役を受けたわけですが、実際これから一体なにが始まっていくのかまったくわからなく、受けて初めて事の大きさに気がつきました。でも、わが子のためと思えば後悔はありません。ただ、私はいまだに日本社会のあり方に沿えないことが多く、まずは役員のみなさんとどうやっていったらいいのかが目下の問題でした。私は基本的にやれる人がやれることをしたらいい、と考えるのですが、この考え方は日本の組織では「まとまりがつかない」と忌み嫌われるのです。私が日本でみんなとうまくやっていくために守ることのひとつとして「みんなでやる」ということを学びました。日本人でありながら、しばらく日本から離れていたら日本とは摩訶不思議な国だと思うことが度々あります。古くからのしきたりで、みんなが面倒くさく嫌だと思う当番があったとします。その当番の意味も感じられないのにみんなは当番を受け、渋る人は常識のない人くらいに非難されるため、みんな意味がないし嫌だと思いながらも続けていく。「みんなが嫌なら当番なんてやめたらいいのに」と思うのですが、「昔から続いている当番で、みんな嫌だからみんなでやらないといけない」といわれるのを聞いてびっくりしました。意味のあることならまだしも、意味のないことを「昔からみんなやるから」という理由だけでみんなが我慢してるなんておかしいです。そしてその時期が終わるとやれやれとばかりに次にバトンタッチして引き継いでいくのです。逆に、便利だからこうしたらいいとか、こうしたいとかいうことがあったとします。みんながそう思うならそうできるようにしたらいいのに、「ひとりがそうするとみんながやりたがるからダメです」となります。「みんなと一緒」はいいのですが、私には多くの場合、とても非効率的に思えるのです。そんなことを口走ったら「あの人はわがままだ」と言われるのが落ちだよと高校からの親友に言われ、非常識な私なりに言わないようにしてきました。とはいえ、私は日本人ママたちのなかでどう振舞えばいいのでしょう。やはり私には大きすぎる役だったかもしれないなあ、とため息をつきました。

 

 私を最も助けてくれたのは昨年度の会長でした。昨年やったことをしっかりと引き継いでくださいました。年間行事の表をみたところで「それで、これをいつ、どうすればいい?」という疑問ばかりで、途方に暮れていたのですが、前会長はシナリオを書くかのように次回のミーティングで話し合うことを書き出してくださり、それはそれは子供に手品の種明かしをするかのように丁寧に教えてくださいました。今年度の役員になってからの第一回役員会は時間内に終わらせることができました。大満足な私は前会長にメールしました。それはまるで子供が母親に「ママ、ママ、聞いて。私、すっごい上手にできたんだよ」と報告する感覚でした。でも、よく考えてみたら、この前会長も日本人ママです。保育園で知り合ったというのに、なんだかいろいろなことを話せて、愚痴まで聞いてもらって、本当にいいお友達になりました。日本人ママも話せば怖くないかも、と思い始めました。

 

 私は人の名前と顔を結びつけて覚えるのが苦手です。だから、しばらくは役員の方と出会っても思い出せず通りすがりの挨拶をしていました。そのせいか、毎回私をみると「私、N坂です。わかります?」「N坂です、覚えてます?」と声をかけてくださる方がいました。「わかりますよ」「もちろん覚えてますよ」といいながらもわからず、そばでみていた娘に「ねえ、ママって今、誰のママとお話していたか知ってる?」と聞いては確認していました。なんだかN坂さんに私の心を読まれているようでおかしくて、一度いつものように名乗られる前に「知ってますよ、N坂さんですよね」と言ったら大笑いになりました。それまで顔も知らない人だったのに、以来私はN坂さんとは冗談を飛ばしあえる仲になりました。

 

 事務仕事が苦手な私は初回の作業で大きな失敗をしました。私が最終確認したうえで父母の会会員分約百部のコピーを取ることになっていました。仕事の合間に出来上がってくる書類に目を通していたせいか、それとも私の老眼のせいか、うっかり見落としたまま自ら百部のコピーを取りました。さあ、みんなで冊子にしようとしたところ、「あー、会長。こ、こ、これ」と間違いをみつけて叫ぶ声が聞こえました。「えー、何々」と覗き込み、ひっくり返りそうになりました。なんでこんなこと見落としたんだろう。コピーを百部もとってしまったし。どうしよう。ものすごい自己嫌悪に陥りました。でも、みんな何事もなかったかのように、「じゃあ、これを差し替えないといけないから、今日はここまでにして帰ろうかあ」と終わってくれました。慰められたり、責められたりしたらもっと落ち込むんでしょうけど、みんなが普通にしてくれたから私は救われました。「ごめんなさいね」とみんなに謝ると、「いいよ、もう帰る時間だったし。作業の続きの日程決まったら連絡ください」と言ってくださいました。日本人ママは怖い、というのが薄れていきました。

 

 今、私たち役員はまもなく行われる市内全保育園の父母の会運動会に一生懸命です。私たちがこの保育園の名前を背負って、走る、押す、奪う、逃げる。。。そして戦うのです。私は子供の頃から運動会は大嫌いでした。勝負に夢中になるとみんな本気になるため、チビで運動音痴の私は邪魔者扱いで自分の居場所すら失います。だから、大嫌いでした。今回のは大人の運動会です。だから適当にやればいいかな、と甘く見ていたら、「運動会をなめたらアカンよ」「よその保育園も本気よ」などと以前役員をやっていた人たちから言われました。役員会で「まあ、服装は適当に同じような色で揃えるとかでいいかな」と言ったところ、実は運動会を楽しみにしている園長先生から「ほかの保育園は本気だから、シャツも保育園名入れたのを注文したりして決めてくるわよ。」と一言。そんなことを話し合っているうち、私たち役員と園長先生は一丸となり運動会の準備に燃えているのです。

 

 会長なんて大役をどうして受けてしまったんだろう、と思ったこともありますが、父母の会って実は楽しいです。日本人ママたちは理解できない、怖い、遠くにいたい、と思っていたのに、ひとりひとりと話してみると少しずつ距離が狭まり、今まで私が勝手に描いていたイメージが消えていきました。保育園に娘を送っていくとたくさんの人が声をかけてくれます。「会長さんなんだね。がんばって」「運動会、がんばってね」そういわれると「はい、ありがとうございます」とニコニコになれます。まだまだ会長になった目的は果たせていませんが、九人の役員の仲間たちと夜な夜な運動会についてメール交換するのは久しぶりに「団結」とか「目標」といった青春みたいで楽しいです。みんなでやるということも、こうして参加するみんなが一緒に楽しめるとなるといいものです。来月は保育園の活動のひとつ、芋畑の作業があります。昨年、息子が長靴で芋ほりしたことを思い出します。今度は私ががんばって芋畑を守ります。今年も娘がお友達みんなと芋ほりして泥だらけになって笑ってくれるといいなと願っています。