ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2012 障害児教育について

障害児教育について

 

 

 息子が小学校に入学して早四ヶ月が過ぎ、夏休みを迎えております。ご存知のように息子は自閉症という障害があります。現在は普通学校の特別支援学級に在籍しております。入学当初、「ガイジン」だと全校生徒から言われ、執拗に凝視されたり、コソコソ言われる対象になりました。それが治まるとゴールデンウィーク前に上級生から顔に傷を負わされてきました。しばらくすると教室で同じクラスの上級生にパンツを下ろされました。言葉が遅れている上、慣れない環境の中では余計に言葉が出てこなくなり、息子は何も言葉で伝えることができませんでした。でも、母親の私には学校での様子が息子の家での様子から読み取ることができました。では、怪我をしてもパンツを下げられても「やられた」と言わない息子に、学校側の対応はどのようなものだったのでしょうか。元教師ではなく、ひとりの母親として怒りに震え、校長室で担任を怒鳴り飛ばしました。私は学校にしてみたら扱いにくい親となりました。学校は障害のある子供に対して「入れてやっている」という傲慢なところはありませんか。文句があるなら養護学校に行けばいい、といったところでしょうか。先日七月十二日付けの中日新聞の「障害児教育」と題された社説を読み、私が日本の学校教育に対して感じていたどうしてもみえない部分が説明されていたようでした。今回はその社説を活用させていただきながら、 息子が向き合っている現実を書いてみたいと思います。誤解のないように申し上げておきますが、私が見ているのはあくまでも私たちの住んでいる市の教育委員会であり、学校であり、日本全国すべての地区がそうだというわけではありません。

 

 「五年前、日本は障害児と健常児の分け隔てのないインクルーシブ(包容する)教育をうたった障害者権利条約に署名した。今は批准に向けて法整備の途上にある。 だが、障害児教育の在り方を検討してきた中教審中央教育審議会)の特別委員会は六月、実質的に今までの仕組みを続けるとの報告をまとめた。一定の障害のある子を事前により分け、市町村教育委員会が学校を決める形だ。」(中日新聞、社説 2012,7,12

まず、私が驚いたのは日本にすでにインクルーシブという言葉が存在していたことです。私がみてきた限りでは、教育関係の中に障害のある子供もみんなと一緒に学ぼうなんて姿勢は全く感じられませんでした。だから、五年も前からその言葉が日本には存在していたということがあまりにも驚きで、同時に面倒なことは人でも言葉でも表に出さないというのが教育関係の場では本音のように感じられました。

一年前、息子は保育園年長のとき、翌年からの就学についての相談を受けるように言われ、市教育委員会出先機関にうかがいました。私は今の日本の教育現場はよくわからなかったけれど、うっかりしていると向こうの思うがままにされるということは事前に聞いていたので、希望就学先のところに「普通学校、普通学級および特別支援学級」と記入しました。私は息子が普通学級についていかれるからという思いからではなく、私がたとえば特別支援学級とだけ記入したことで、もしも息子がいくつかの授業は普通学級で受けられるとしても「母親の希望により」という理由で息子の権利を奪われるのではないかという学校に対する不信感からそう記入しました。就学相談員はなんとか障害のある子供は養護学校にまわしたいという気持ちが見え隠れしていました。私は養護学校がいけないといっているわけではありません。ただ、息子にとってどこが一番輝ける場であるかと考えた時、保育園で健常な子供たちにくっついて真似していくことで集団にも慣れ、たくさんのことができるようになった経験から、健常な子供たちの中ですごしていかれたらと願いました。実際、普通の保育園に通園している息子をどうしても養護学校にという話まではできないようで相談員のいらだちもみえました。そして、私が記入した希望就学先を見て一言。「息子さんが普通学級に入ったとして、三十五人の生徒に担任教師は一人、その状況で、もし息子さんが走り回ったり、教室から出たりしたら、担任は授業にならず、ほかのお子さんたちも勉強ができません。小学校では子供たちはみんな学ぶ権利を持っています。息子さんがいることでみんなの権利を奪うことになってはなりません。」 みんなの邪魔になるから、学ぶ権利を奪うから、障害のある息子は我慢して与えられた場にいなさい、というわけですか。息子を含めてみんなで学ぶという環境は考える余地なしですか。では、息子が学ぶ権利はちゃんと守られているのでしょうか。 

 

 息子の担任は決して若くない男性教諭。かつては普通学級の担任をしたこともあるとか。特別支援ということからいえば、素人としか思えないくらいの知識とスキル。ここでは、特別支援学級の担任になる先生は、評判が悪くて普通学級は任せられない、問題を起こした、または定年間近の年齢ではあるが役職にはついておらず残りの数年を別の学校に慣れていくのも億劫だから転勤しない代わりに特別支援学級を、という人たちらしく、専門に勉強した特別支援教師は養護学校にいるくらいで、普通学校の特別支援学級では期待できないのが現実なようです。息子の担任も同様で、息子は慣れない環境に戸惑うばかり。一年生の教室からははるか遠く、見本になるような友達と接する機会はありません。

登下校は集団で行うため、一年生は初めの三週間は午前中の授業が終わると教室前の校庭に担任の誘導でみんなで出てきて整列して下校していきます。息子はその校庭から一番遠くの教室。一緒に川の流れのようについて歩く仲間もいません。その状況の中、この子はまだひとりで列に並べないからお迎えに来てください。私は、先生方の頭を疑いました。それがすんなり一回でできたら健常児のクラスにいます。最も遠くの教室から、初めての学校で、一緒についていく仲間もなく、一体どれだけの一年生が整列できるのでしょうか。健常な子ができなくても「慣れればきっと大丈夫」でも、息子ができないときは「無理だからお母さんお迎えに来てください」です。私はある日を機に集団下校で帰るのをやめました。息子が校庭に着くのが遅れても、当たり前のように列はすでに出発して歩き始めます。それがある雨上がりの日。子供たちは傘を持ってきたものの、雨は上がり、傘は必要なくなりました。息子は早めに校庭に到着していたのでみんなが下駄箱付近で傘がないだのどうだのと騒いで遅くなっているのにがんばって待ちました。やっとのことで列が出発しました。すると、ひとりが「あ、傘がない。教室においてきた!」と叫びました。私はてっきり「明日雨が降ったら、おうちの方の傘を借りてきなさい。」と言うか、校内に残る先生の誰かが付き添って教室に行き、列に遅れてくるか、そのどちらかだと思いました。だって、息子がほんのちょっと遅れても列は出発していたわけですから。それがなんと、「みんな、xxxさんが傘を教室に忘れてきたので、少し待ちます。xxxさん急いで取ってきてください。みんなで待ちます」と。ちょっと待ってよ。いい加減にしてください。私はこの時思いました。社会に出た時、集団で通勤する人はいません。そして理不尽にもある人は待つけどある人は待たないなんてことは学ぶ必要ありません。以来、私は息子を迎えにいくとそのまま二人で帰ります。息子にはたくさん乗り越えていくべきことがあります。集団下校は必要ない、と私は判断しました。朝は集団登校しています。それで十分です。

 

 初めの頃、私は息子の担任の知識とスキルの低さに憤りを感じ、何度も意見しました。息子について説明したり、対応方法を伝えたり、残念ながらどれも水に流れました。息子の学校には特別支援学級が二クラスあります。隣のクラスの担任は特別支援のコーディネーターを兼任しております。家庭訪問や個別懇談があると、常に担任にはコーディネーターが付き添っていました。何度も何度も話してきたのに、担任はボーっとしているだけで、息子は日に日に混乱しておりました。考えました。ほんのちょっと元教師としてプラス母親として、息子が学校でつらい思いせず暮らせるためにはどうすべきかと。 まずは担任について考えました。もしかして、この人は特別支援を望んでいたわけではなく何らかの理由で受け持たされたとしたら、当然知識もないでしょう。そのうえ、手のかかる難しい生徒ばかりで、中には手が出る子もいるため、平和には一日が過ぎていかないでしょう。だとしたら、私はこの人がそういう状況であの教室にいるという前提で、この人のしているわずかな努力も認めてあげようと思いました。その姿勢を崩さず、担任と向かい合っているとわかったことがひとつあります。この人もこのゆがんだ教育制度の犠牲者であるということ。国語の先生が理科室に配属され、蛙の解剖をせざるを得ない、ということは起きないでしょう。なぜならば、国語と理科とでは専門が違うから、国語の教員免許では理科は教えられないでしょう。では、小学校担任の教員免許の教師が特別支援を教えるのはどうして許されるのでしょうか。少なくとも私が勤めたニュージャージーの学校ではそんなことありえませんでしたが。

 

 「・・・そうやって従来の原則と例外をひっくり返さない限り、条約の批准はままなるまい。インクルーシブ教育には人手と金がかかる。しかし、それよりも大切なことはそこに携わる人々の意識改革だ。」(中日新聞、社説 2012,7,12

私はこの最後の一行を読んだとき、私がずっと抱えていたここでの学校教育に関わる人たちへの不信感やら疑問の理由がはっきりしたような気がしました。意識改革です。「障害のある子供は隔離しておこう。健常者の邪魔をさせてはならない。」そんな意識のもとで一体なにがみえますか。ある程度肩書きを持つ人は評価がとても大事になります。息子は扱いにくい子です。人懐っこく愛嬌があるため、今では全校生徒のアイドルになっています。それだけ生徒たちに受け入れられた息子ですが、心開かぬ相手の指示はききません。 隣のクラスの特別支援コーディネーターの先生は、息子が扱いにくい存在に感じています。なぜなら彼の評価を下げる存在であるのに、生徒たちから人気があるため切り捨てる理由がみつけにくいのです。「この子はこの学校より養護学校がいいですよ」と執拗なまでに私に言い続ける理由はなんですか。面倒が起きると「息子さんを一番ご存知なのはお母さんだから」と母親に責任をおしつけながらも、一番ご存知なはずの母親が息子のために希望することは聞きたくない。息子を迎えに行く五時限目、生徒たちは放置されたように教室で遊び、自分は机に向かって事務仕事をしている先生は本当に子供のためを考えているのでしょうか。

息子が夏休みにはいり、一番ほっとしているのは私です。しばらくは息子を人質に出さなくてもいいんだという安堵感でいっぱいです。学校教育に携わる人たちは絵に描いた餅を飾ることで目標を達成したかのように満足していると感じるのは私だけでしょうか。