ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2013 障害児支援

障害児支援

 

 四月です。日本は年度初めです。一年前、息子が小学校に入学しました。あれから一年がたちました。今年は娘が入学、そして二年生の息子は転校しました。今年から息子は養護学校に入りました。私たち親子にとって、やっときた春です。一年間ほんとうに大変でした。いじめ、暴力、不登校、そして体罰。。。息子は一年間ですべて体験してしまいました。残念ながら、それらすべては同じ特別支援クラスの生徒、そして先生によるものでした。息子を適切な環境に入れてあげなければと私は必死でした。すべての特別支援学級がこんなに異常だと思いません。ただ、少なくとも息子のクラスはバランスが崩れていました。クラスの半数以上は児童養護施設の子たちでした。親から虐待を受け保護された子に息子は暴力を受けました。残りの半数の子達も家庭で親から手を出されていました。「言ってわからないから叩いて厳しくする」と。無邪気に笑う息子は標的でした。障害に対して知識も理解もない先生が担任となるのは珍しいことではありません。でも、それはとても恐ろしいことです。なぜならば「できない子たち」という思いで子供たちを見下げ指導しないため、暴力がクラスでは当たり前になって連鎖していくのです。社会では通用しないことが普通になっていくのです。息子をここから出さなければと私は模索しました。

 息子をどうして学校に行かせなければならないのか。私にはその答えがみつかりませんでした。唯一言えることは義務教育だからということだけでした。あのクラスで息子はどうしているのか、私は毎日時計をみては息子のことを想っていました。いずれにしても勉強なんて教えてもらってないだろうし、何しているんだろう。自由ノートを持っていけば三日で使い終えてきました。ノートはすべてのページ、赤、黄色、青、緑の四色が塗ってあるだけです。どんな一日を過ごしているのだろう。静かにさせるため色塗りばかりさせられているのだろうか。毎朝息子を学校に送りながら、息子をこんなに苦しませている自分の無力さにやるせない思いでした。

 そんなあるとき、別の小学校の特別支援クラスに通う子の親から放課後に勉強をみてもらっていると聞きました。市役所の福祉課に相談にいけばわかるよと言われ、早速市役所に行きました。ありました、ありました、障害児支援があるのです。支援にはいくつかあります。支援を提供しているのは認可のおりた福祉事業所です。市内にはいくつもの事業所があります。その中で自分の子にあった事業所で必要な支援を受けるということになります。現在、息子は二つの事業所に通い、二つのサービスを受けています。

 通常、子供たちが放課後に受ける支援として二つあります。ひとつは「日中一時支援事業」です。こちらは、家庭の負担を少しでも楽にしてくれるところに目的があります。障害のある子供の子育ては健常の子供のようにいかないことが多々あります。決して楽ではありません。親は大きな負担を抱えます。その負担を軽減するため、学校が終わった後や休日に子供を預かってくれる支援です。もうひとつは「放課後等デイサービス」です。これも学校が終わった後や休日の支援となりますが、目的が多少異なります。障害のある子供の発達支援が目的となります。なので、プログラムが組まれていたり、お勉強をみてくれたり、その基礎となる「個別支援計画」というものも作成されます。家族の負担の軽減というより、子供の発達を重視しているため、預かってくれる時間(営業時間)も日中一時支援事業からみると比較的短いです。ひとつの事業所が両方のサービスを提供していることもありますが、利用者(障害児)はどちらのサービスを受けるかを明確にしなければなりません。市役所から出される受給者証がサービス毎になっているため、「日中一時支援事業」でおりた受給者証で「放課後等デイサービス」は受けられないのです。息子は現在、放課後等デイサービスを二つの事業所で受けています。学校までお迎えにきてくれて、終わると自宅まで送ってくれます。時間もこちらの都合を基本に送迎してくれます。各事業所で個別支援計画を出してもらっています。個別支援計画というのは半年に一回か二回くらい出されるもので、その計画に基づいて毎日の支援が行われていきます。その計画書のなかには、家庭から出された目標、その目標を基に事業所での目標、目標にむけてどう支援していくか、といったことが表記されています。息子は事業所に通うのが大好きです。月曜日から木曜日まではお勉強をみてくれる事業所に通っています。事業所につくとまずお勉強をします。小学校で「静かにしているならなにをしていてもいい」という過ごし方をしていたのに対して、事業所では「やるべきことはやらないといけない」という規則のある過ごし方です。息子はこの規則的な過ごし方が心地よく、事業所に通うようになってから見失っていた自分を取り戻したように、さっさとやるべきことをこなし、お勉強も楽しんで積極的にやるようになりました。自由ノートは色塗りではなく、文字や数字の練習でいっぱいになりました。金曜日と土曜日は別の事業所に通います。こちらは活動を通して個別の目標を支援していくというやり方で、毎週活動が組まれています。クッキング、造作、外出、音楽、さまざまな活動があり、息子はこちらも楽しんでいます。クッキングでつくったクッキーやチラシ寿司をおばあちゃんに届けるのも楽しみのようです。息子にとって放課後等デイサービスの魅力とは、次々とできていく達成感があり、それをほめられることで自分に誇りを持てる、一日が満足でいっぱいになることです。私は仕事もしていますし、家庭のこともひとりでこなし、毎日時間が足りないくらいです。それを理由に息子が早くから帰宅されては困るということでサービスを利用するのはあまりに寂しく悲しいけれど、息子がニコニコして帰ってきて、食事の支度を待つ間も自分で勉強したり、一日の終わりが心地よい疲れで迎えられ、サービスには本当に感謝しています。

 もうひとつ息子が受けている支援は「移動支援」です。これは休日にヘルパーさんと一緒にお出かけをする外出支援です。親が疲れるから誰かに連れ出してもらう、という考えもあるかもしれませんが、私はそういう思いで息子を出していません。需要の多い支援なので毎週というわけにはいきませんが、月に二回くらいは入れてもらっています。行き先や時間はその子によって異なりますが、息子は始めたばかりなので土曜日か日曜日の午前中二時間くらい徒歩で買い物に行っています。長時間出るようになると公共交通機関で水族館や遊園地、プールなどに行く人もいるようです。私が息子にこの支援を受けさせている目的は、息子が将来社会で生きていかれる人になるためです。息子は私の指示は入りますし、私のルールは守ります。スーパーに買い物に行っても困ることもありません。日本のスーパーでは子供たちが親から離れて歩き回ったり、走り回っている光景をよく目にします。少なくとも息子はそういう行為をする健常児よりはしっかりと行動しています。でも、私と一緒でなければできないとなると将来困ります。私は先に死にます。いつまで息子と行動を共にできるかわかりません。もしも息子が二十歳のときに私が死んだら、その時まで私となにもかもを一緒にやっていたら息子はそれからの人生をひとりで歩めなくなります。そんな無責任な親であってはいけません。子供を自立させなければなりません。息子はなにかするのも覚えるのも健常な人よりも時間がかかります。だから今から訓練です。私以外の人と出かけること、私以外の人と家以外の場で時間を過ごすこと、そしてそれが楽しいと思えること、そういったことも息子には訓練なのです。訓練は苦しんでは成果は出ません。訓練も楽しんでもらいたいです。息子は移動支援も大好きです。ヘルパーさんとふたりで歩いて出かけていきます。「ママ、メロンパン二個買ってくるね」と笑顔で出かけていきます。私のいないところで息子はしっかりやっているのだろうかと気になり、一度息子が出かけた後で、娘と二人で車で様子を見に行きました。ヘルパーさんと歩いている息子の横を車で通り過ぎながら、息子の姿に涙がこぼれました。私と手をつないで歩く息子は今も「ゆうちゃん」なのに、ヘルパーさんと歩く息子は男の子でした。ひとりでしっかり歩いているのです。買い物に行く際にヘルパーさんは息子にいろいろな社会のルールを意識させてくれています。例えば、道路を渡るときは車を確認すること、信号のある横断は信号をしっかりみる、飛び出さない、走らない、スーパーではカートを押して買い物をする、レジではお金を払う、支払った商品をバッグにつめる、時々はスーパーのトイレにも入ってみたり、腕時計をつけて時間を意識する。私たちが無意識に過ごしているなかにもたくさんのルールがあるのです。久しぶりに息子とスーパーに買い物に行くと驚きます。レジに行くと、移動支援では自分がお財布からお金を出して払っているからか、「ママ、お金」と言い自分が払いたがります。お金を渡すとうれしそうに払ってくれます。そして、買ったものを次々にバッグに入れてくれるのです。「ああ、こうしてメロンパンを買ってきてるんだなあ」と頼もしくみているわけですが、欲をいうならば「ゆうちゃん、お金を払ったらおつりはもらってきてね。ゆうちゃん、バッグに入れる時アイスクリームの上に揚げたてコロッケ、その上にバナナをおくのはママはあまりうれしくないかな。」

 息子はこうした支援を受けながら毎日成長しています。息子を養護学校に通わせることには悩みました。でも、普通学校の特別支援クラスにいても実質的には特別支援クラスだけの生活でしたし、適切な支援は受けられませんでした。養護の教師資格を持つ先生は養護学校にしかいないのがここでの現状です。息子は社会の中で生きていきます。みんなに支えられて生きていきます。毎日机に座って色塗りしていては成長しません。息子を取り巻く全ての環境が充実し連結していることが大切です。学校、事業所、家庭、今の息子は毎日がやっとやっと楽しくなりました。一年間つらい思いさせたけれど、結果として私たちのところにも春はきました。私は子供たちが幸せだと一番うれしいのです。娘は「みんなと一緒はいやだ」とエメラルドグリーンのランドセルを背負って通学します。ふたり別々の学校に通いますが、それぞれの学校が私の大事な子供たちを楽しませてくれる場であってほしいと心から願います。