ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2013不思議なもの

 不思議なもの

 

 最近またしても不思議で気になってしまうものが出てきました。出てきたというのもおかしな表現ですが、実際にはずっと「不思議だなあ」という思いはあるのですが、それが気になり始めると意識してしまい、やたらと目がいってしまうのです。友達に話すと「なんでそういうところに目がいくかなあ」と言われることがほとんどなのですが、どうしても気になってしまうのでちょっと紹介させてください。みなさんがどう思われるのか気になりますが。。。

物干し

 最近では日本でも乾燥機を使う家庭もあるそうですが、一般的にいうと日本の家庭は洗濯物を外干ししますよね。お日様のぽかぽかとそよそよ風で乾いた洗濯物は気持ちがいいとよく聞きます。だから理由は一目瞭然なのですが、それでも気になるのは、どうしてベランダには物干しが設置されているのでしょう。建物の一部のようにコンクリートでしっかりと設置されています。アパート、マンションはもちろんのこと、新築一戸建てでも二階のベランダにはしっかりと設置されています。そこに物干し竿を通せばいいだけなので便利だし、安定しているのは確かです。私も洗濯物は外に干しますし、あの物干しには大変助かっております。それでも私は心から受け入れているわけではないのです。なぜベランダは洗濯物を干す場所と当たり前のようにされているのでしょう。ベランダに椅子をおいて風に吹かれて本を読むのもいいではありませんか。うちみたいに小さなアパートには贅沢な話かもしれませんが、一戸建てを所有するみなさんはどうして当たり前に二階の特等席を洗濯物に譲るのでしょう。私の実家は一戸建てで庭もあります。が、やはり洗濯物さまに日当たりのいいそよそよ風の吹く二階ベランダ尾を譲っているのです。と、ここまでですと私は物干し設置に批判的でしかないようですが、本当の疑問というか気になるのは私たち日本生活者にとって洗濯が生活の中心にあるのはどうしてかということなのです。洗濯洗剤、柔軟剤はあふれるように新商品が次々出てきます。梅雨の時期になると洗濯物の室内干し対策などがテレビの情報番組で取り上げられ、天気予報では必ず洗濯物の乾き度が表示されます。私にいたっては、外出先で雨雲をみたら洗濯物を取り入れなきゃと急いで帰宅します。アメリカにいた頃は、洗濯というのは家事のなかでも大きな比率を占めておりませんでした。朝起きたら洗濯機を回し、出かける前に乾燥機に入れ替えて、帰ってきたら洗濯物を畳む、それも毎日ではなく二―三日に一度のことでした。それが今は、私が仕事しているため朝は時間がなく我が家は夜洗濯をします。洗った洗濯物を家の中に干しておき、朝起きるとベランダに出します。仕事から帰宅すると洗濯物を取り入れて畳む、それが毎日です。雨が降ったりしたら洗濯物に悩みます。私はあの物干しを見るたび、洗濯が私たちの生活の中に占める大きさの象徴に思えるのです。見た目決して素敵でもない物干しが当たり前のように設置されていることが気になってしかたありません。

トイレの手洗い

 トイレの手洗いとはなにぞと思われるでしょう。トイレをお手洗いというわけですが、実際手を洗うのは洗面所です。日本に戻り、しばらく謎だったものがあります。それは、トイレのタンク横あたりの壁に設置されたタオル掛けみたいなものです。それはさまざまなスタイルのタオル掛けみたいなものなのですが、一体何のために?実家のトイレにはそれはなかったので私はその存在を意識したこともなかったのですが、アパートに住むようになり、ただでさえ狭いトイレにこのタオル掛けみたいなものが無意味で邪魔でかっこ悪く思えるのです。しっかりとネジで設置されているのでやたらと取り外すわけもいかずそのままにしているのですが、こいつは何物ぞと常々思っておりました。それがあるとき判明しました。この謎のタオル掛けみたいなもの、みたいなものではなくタオル掛けだったのです。幼児英語教室に勤める私、職場には子供たちがたくさんいます。そして、職場のトイレにもこのタオル掛けみたいなものが設置されております。ここでは、トイレ掃除用の雑巾をかけております。「ま、こんなくらいしか使いようないんだろうな、これは」とさげすんだ目で謎のものをみておりました。私の謎を解いてくれたのは教室に通う三歳の子供でした。この子、用足しをすませるといきなり水洗タンクに流れ込んでいる水で手を洗い、掃除雑巾で手を拭いたのです。私はあわてて連れ出し、洗面所で手を洗わせました。そこに居合わせた日本人の同僚が「あらあらおうちでやってることしちゃったのね」と普通に言うからこれまたびっくり。「おうちでもトイレで水遊びしてるのかなあ。でも、雑巾で手を拭くのはねえ」と言ったら、「違うよ、水遊びじゃなく、おうちではタンクで手を洗うんだよ。おうちでは雑巾ではなくタオルが掛かっているんだろうし」と言われ、またまたびっくり。人はタンクに流れ込む水で用足し後の手洗いをするのでしょうか。まさかハンドソープを流し込むわけないでしょうから、つまりは用足し後の手洗いに石鹸は使わないってこと?タオル掛けみたいなものではなく、タオル掛けであると知ってしまったことは本当にショックでした。先日、聞いた話では、ウンチした後のお尻拭きについて、手に六重にもトイレットペーパーをまいてふいてもウンチからの菌だかなんだかは手に付着するのだそうです。では、その手を水だけの手洗いですませてもいいのでしょうか。本当にびっくりです。友達は「そんなん昔からトイレはそうだから当たり前のことよ」と言いますが、実家のトイレにはタオル掛けは設置されてなかったし、私の人生まもなく半世紀、はじめて知った興味深く恐ろしい物体におののいております。

障害者用のパーキング

 スーパーなどの駐車場で時々目にするのですが、障害者用のパーキングに停めた車に乗り込む健常者のみなさん。これは日本に限らずアメリカでもあることかもしれませんが、確率的にいうならば日本のほうがかなり多くの健常者が平然と障害者パーキングに駐車していると思います。平然と駐車する方の中には、子連れのお母さん、老夫婦もいます。でも、彼らは障害者ではありません。障害者用のパーキングは障害者が駐車するところであり、「子供連れて買い物するのって大変なのよ」というお母さんのための場ではないのです。それはわきまえていただきたい。しかし、この障害者用のパーキングにも「本当にこれっていいのかな」と思うことがあります。たとえば、知り合いのミカちゃんは重度の知的障害で、お母さんはミカちゃんが作業所に通っている間パート勤めしています。ミカちゃん自身は車を運転できませんが、彼女の障害の度合いからお母さんの車は障害者用パーキングに駐車することを許可されています。たしかにミカちゃんを連れて出かけるとなると、入り口から遠いところに駐車していたら大変なことになります。しかし、ミカちゃんが作業所に行っている間、車を利用するのはお母さんです。仕事帰りにスーパーに寄るときもお母さんは障害者用のパーキングに駐車します。車両が許可されているわけですから違反ではありません。が、実際には健常者が駐車しているのと同じことです。駐車している車の運転手に「あなたは障害者ですか?証明できますか」ときくわけもいかないし、まさに人の心を信じるしかないのです。百円ストアで買った障害者用の車両マグネットを駐車場に着くと車に貼る人もいると聞きます。こういう人は心が痛まないのかなあ、後ろめたさを感じないのかな、といつも不思議に思います。日本に戻ってきた頃、日本社会が弱者に冷たいと感じました。子連れ、妊婦、障害者、老人、子供の横をすり抜けてでも先にエレベーターにする人、電車の中で立っている子連れの前で寝たふりして座り続ける若者、障害者の後ろを歩きながら舌打ちをする人。いいのかなあ、この社会。。。って疑問を感じます。

 私は日本人でありながら日本の普通に見過ごされているものに目が行ってしまいます。子供が小学校に入学する際、昔からの慣習となっているたくさんの矛盾に大変戸惑いました。住めば都、といいますが、私は日本に住んでここが都と思うまでまだ達していません。不思議がたくさんでそれらを受け入れるにはもう少し時間が必要です。でも、着実に謎解きはできていると思います。もしかすると最もなぞめいているのは私自身かもしれません。