ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2013 一年生の夏

一年生の夏

 

 娘、初めての小学生夏休みです。いまさらながら思うのですが、子供を持つと悩みといいますか、不満といいますか、不安といいますか、どこにいても尽きないものです。娘、小学一年生、一学期の間に数回いじめられました。幸い、不登校にもならず、担任の先生はその都度対応してくださり、なんとか夏休みを迎えました。夏休みとはいえ、私は仕事をしておりますので、息子は放課後支援に出かけ、娘は学童保育で一日を過ごしており、かつて私が小学生の頃過ごしていたようなダラダラの夏休みとは異なります。ついつい赤ちゃん言葉で話してしまう私はいつの間にか置いてきぼりで、子供たちは日々成長しております。

 娘にとって夏休みはよかったのかどうなのか、私はいまだに不安はあります。小学校に入学して、娘は高学年のみんなから声をかけてもらったりかわいがってもらってきました。これは、息子の残していった足跡のようなのものです。去年息子が小学校に通っていたとき、息子は全校生徒からアイドルのようにかわいがってもらっていました。息子の登校に毎朝娘も同行していたため、高学年のみんなから名前も顔も覚えてもらい、保育園児ながら小学生にかわいがってもらっていました。「ユウくんの妹」として有名になっていました。なので、入学してすぐから娘はお兄さん、お姉さんから声かけてもらって楽しく過ごしておりました。ところが、息子に暴力をふるっていた特別支援クラスの男の子たちが娘をみつけ、追い掛け回したり、嫌がらせを始めてきました。娘は毎日おびえるようになりました。特別支援の担任は息子の時と同じ先生で、やはり対応は曖昧なままでしたが、娘の担任は自分が矢面に立ってくれました。娘が放課に外に出る時は必ず先生も外に出て、先生が自分のクラスでもない特別支援の男の子たちに声をかけて話すようにしてくださいました。そして、娘には「先生はいつもそばにいるから心配しないで」と言って安心させました。二十代後半のまだ若い女性の先生でしたが、問題を問題として取り上げ、自分が動いてくださり、私には毎日のように電話で娘の様子を話してくださいました。昨年は息子のクラスを通して学校をみていたせいか、日本の学校や先生には落胆するばかりでしたが、娘の担任の先生と出会い、こういう先生もいたんだなあ、と希望を持ちました。

 夏が始まると、今度は学校の体育でプールが始まり、娘は肌の色のことで女の子に嫌がらせを受けました。プールでの着替えの際に、巻きタオルをめくられておしりを見られて笑われたり、そんなことが二三回続きました。私はアメリカにいたときから、こういうことは日本の子供は外国人の子に対してやることだと聞いていましたし、息子にいたっては「おチンチンぐりぐり」までやられたので、覚悟はしていました。が、またもその覚悟が的中すると腹も立ちます。娘の担任はずっと気にしてくださっていて何かあればすぐに知らせてほしいと言われていたので、「他人の着替え中、タオルをめくり、人の体を笑うのは大変マナーが悪いと思う」ということを伝えました。担任の先生はどこかで私同様の覚悟があったのか、「これは許せません。決して笑ってすませられることではありません。現行犯でつかまえて指導します。」と言われました。日本人が肌の色の違う人の体に興味持つことは私はずっと知っていました。温泉に行けば、いい歳したおばあさん、おばさんたちがうちの子供たちの体を頭から足の先まで凝視することは度々ですから、これも文化と私は受け止めていますが、実際わが子が学校でこういうことが原因で嫌な思いをするとなると私は黙ってはいられません。担任の先生は次のプールの着替えで娘のタオルをめくった子達をつかまえ、厳しく注意をしました。そして、その後で娘の許可のもと、クラスでの話をしました。娘の父親はアメリカ人であること、娘は自分が日本人であり、アメリカ人であることを誇りに思っていること、そして先生はそんな娘がカッコいいし素敵だと思う、世界中にはいろいろな色の人がいるし、娘はみんなとは肌の色が違うけど一年三組の仲間であるということ、などをクラスで話してくださったそうです。

 こうして娘は担任の先生の支えのもとひとつひとつ嫌な思いをクリアして一学期を終えました。私はいまや教師ではなくただの母親です。母親はわが子が一番かわいいものです。娘が嫌がらせを受ければ私は相手の子に対してネガティブな感情を持ちます。「外国人をいじめるなら、そのヘンな英語の書かれた服着るな!英語はアメリカの言葉だぞ!」と何度心の中で叫んだことか。。。

 夏休み。娘は学童保育でお勉強をして遊んで過ごします。「夏休みをどう過ごしたかによって、二学期から大きな差が出てきます」とききました。ありときりぎりす、みたいなものです。夏休み勉強をしっかりした子は二学期から成績は上がり、勉強しなかった子は二学期から勉強につまづいていく。確かに私も子供の頃、夏休みは莫大な宿題が出され、遊ぶことに後ろめたさを感じていました。あの頃はそういう中で育ってきたため、「嫌だなあ」という思いはあったものの疑問は感じませんでした。夏休みとはそういうものだと。でも、アメリカで教師になり、みんなが夏休みも冬休みも春休みもどんなときも宿題に終われることなく休みを楽しんでいるのをみていると、これが休みじゃん、と思うようになりました。日本の学校の長期休暇は名称を変えるべきだと思うのです。たとえば、「夏勉強強化期間」とか「冬自習」とか。実際、娘の宿題をみてみると、感想文にしてもアサガオ観察記録にしても一年生を四ヶ月終えただけの子がひとりでできるわけがありません。じゃあ、誰がやるんですか? 親でしょう。親が手伝う、いやいや事によっては親ががんばるのです。感想文の構成なんて一年生ができますか?「あらすじを全体の三分の一程度、自分の好きな箇所と感想を全体の半分くらい、そして全体のまとめを最後の部分に。」って、一年生を四ヶ月過ごしただけで身につくスキルですか? いやあ、これは親の課題でしょう。いかに子供がやったかのようにまとめあげるか、そんな評価にしか思えません。では、娘のどうなんでしょう。私は書きませんよ、娘の感想文を。といって、「わたしは22ページのこぎつねがひとりぼっちのところがいいなとおもいました。どうしてかというといいからです。」なんてのを持たせるわけいきません。

こうなると元教師として、物書きとして、段階を追って教えることになります。娘に感想文を書く本を何度も何度も読み聞かせをし、そのあと自分で何回も読ませます。そこから質疑応答が始まります。「登場人物を言って」「登場人物って何?」「お話のなかに出てくる人や動物」「ああ、そういうことね」こんな会話から始まります。登場人物を出したら、今度はストーリーを順番に追っていきます。わが娘、びっくりするくらいにこれができません。一体、あなたの頭はどうなっているんだい?と疑いたくなるくらいに、話がふっとぶのです。あまりに話がとぶときは「どうして?」ときいてみます。すると、「多分そうだと思うから」ととんでもない理由をもっともらしく言うのです。やっとの思いでストーリーの展開を書き上げると、次は好きな場面、その理由を尋ねます。これがやっかいなことでして、娘はやたらと「いいなと思った」と言うので、「そのいいなっていうのはどういういいななの?悲しいとかすてきだなとか、どういういいななの?」とききかえし、「うーん、両方かな、両方のいいなかな」って。。。そんな苦労を乗り越え、やっと下書きに入ります。そしたら、いきなり、登場人物を使って自分の創作ストーリーを書き出してしまった娘。母は書かない、絶対書きません、娘よ、自分で書くんだ!最後には「まあちゃん、このお話はあまり好きじゃないなあ。わけわかんないこと考えちゃうんだもん」と言い出しました。娘の感想文指導にワタクシ一週間も費やしました。私が一年生のふりして書けば半日も一時間もかからないだろうに。。。娘はアカデミックな部分で遅れはありません。「わたしはいちごがすきです。どうしてかというとあかいからです。」そんな作文を先月まで書いていた子がどうして夏休みの間に感想文が書けちゃうようになるんでしょう。一体、なんのための宿題なんだか、考えてしまいます。

 暑いだの疲れるだのと言いながらも夏休みも半分過ぎた頃、娘が学童保育から戻ると泣き出しました。またいじめでした。相手は同じ学童保育に通うとなりのクラスの女の子。最初は娘のいうことを「違う」といい、否定しようもない事実までも否定してきたそうです。娘は嫌だなと思っていたところ、翌日ホールでみんなで遊ぶときに、「肌が茶色だから手をつながない」と言ってきたそうです。たまたまその場に指導員が居合わせたのでその場は指導員が娘と手をつなぎました。その後で指導員全員で話し合い娘の許可のもと、通所している子供たちを集めて話し合いをしたそうです。相手の女の子には指導員が注意しました。それが気に入らなかったのか、翌日プールで娘はその子に蹴飛ばされました。人のみえない水の中で復讐するとは恐ろしいことです。学童保育を通じて学校にも連絡が入り、たまたま出校日が二日後にあったため、またも学年集会が開かれ、先生から一年生に話しました。さすがに短期間に同じようないじめだったため、学年主任もかなりきびしく注意してくださったそうです。厳しく注意してくださったのは感謝しますが、また復讐されるのではないか、と私は心配です。

 うちの子供たちは典型的な日本人の子とは異なります。父親はアメリカ人だし、一緒には暮らしていない。外見も異なります。だから、単一民族国家のこの国ではいじめの対象になりやすいです。でも、私は子供たちが日常茶飯事父親のことを話し、自分がアメリカ人であることを誇りにもち、かつ私と同じ日本人であることを喜び、英語を勉強し、父親から送ってくるお菓子やおもちゃが大好きでいてくれることが本当にうれしく、感謝しているのです。いじめられることから自己否定に走ることはありうることです。私はそれを避けるためにも定期的にスクールカウンセラーと会いに隣の学区の学校に通います。息子は小学校でいじめられ、それがもとで不登校になり、私は養護学校に転校させました。娘には同じ思いをさせるわけにはいきません。「いつまでも夏休みがよかった」と思う二学期にならないよう、夏休みに私と一緒に学んだり、楽しんだことを胸に、また元気に学校に戻って欲しいと今はただただ願っています。「夏休みの過ごし方によって二学期に差が出てくる」としたら私は二学期は娘が強くたくましく過ごしていかれることを信じたいです。