ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2013 夢 学芸会

夢 ―学芸会―

 

 みなさんは子供の頃の夢を覚えていますか。夢はかないましたか。最近、ふと子供の頃に思っていたことを考えてみました。私はおとなしい子でした。幼稚園では一言も話さない子供でした。理由は先生が「無駄話はしない」と言ったからです。子供ながらに自分の話は無駄なことを話していると思っていたのでしょうか。お弁当も「いただきます」でふたを開けたすぐ後にふたを閉めてお弁当は食べずに帰る子でした。理由は先生が「ジュンちゃんはお弁当食べるのが遅いから急いで」と言ったからです。そして、小学校でも三年生までは無口で給食を食べるのがクラスで一番遅い子供でした。そんな私は作文と写生が大好きでした。文章の中に、絵の中に、自分を表現していたのです。自分を出すのが苦手な反面、自分を表現したいという思いが強かったのです。今でも覚えているのは、私は無口で目立たない体の小さな子だったので学芸会が苦手でしたが、なぜだか言いようのないドキドキをも感じていました。学芸会は私にとって特別な行事だったのです。

 当時の学芸会は必ず「主役」がいました。それはクラスでも目立つ子でした。当然のことながら私は「その他大勢」のひとりでした。村人だったり、原始人だったり、魚だったり、そして台詞は少なく、出る場面も通り過ぎてしまうくらいにあっという間でした。それでも私はその一瞬が人生の大きな場面に感じるくらいに緊張しました。不思議だったのは、自分の人生、つまり自分の中身を舞台の上で披露しているという感覚でした。舞台に立つ一瞬、私は例えばたった一言の台詞「私もそう思うなあ」というだけなのに、そこに行き着くまでのことを思うのです。台本を受け取る、自分の役はなにかを知る、またちっぽけな役だなと落胆する、台詞が棒読みだと叱られる、何回も練習を繰り返すことにうんざりする、母に衣装を作ってもらう、チビだから衣装が見栄えしないと落胆する、というネガティブな思いが走馬灯のように駆け巡ります。しかし、それをかき消すのが舞台に立っている自分なのです。まわりは暗いのに、私の立つ舞台だけライトで明るく照らされているのです。まさに人生です。出番の少ない私にはほんの一瞬の「わが人生ここにあり」でしたが、私の原点はおそらくそこから始まっているのではないかと思えるのです。作文好きだった私はいつしか脚本に興味を持つようになり、高校の文化祭ではとうとう数人の仲間と脚本を書き上げました。そして、その後脚本家の助手となり、いろいろな回り道をしながら今に至っているのです。今思うと、作文を書くときの気持ちはあのたった一瞬の舞台上での思いと似ているのです。そこにあったのは自分を表現するということなのです。

 11月、日本の小学校では学芸会の季節です。我が家は息子が養護学校、娘が地元の普通学校と、別々の学校に通っているため、行事のたびに日にちがぶつからないことを祈るのですが、春の運動会に続いて今回の学芸会もぶつかりました。息子、小学二年生。娘、小学一年生。ふたりとも低学年のためか時間帯までもぶつかるのです。正確には、私の移動時間をいれてギリギリという微妙な時間差はあるのでぶつかってはいないのですが。娘の演技が終わるや否や私は車をぶっとばして息子の学校に向かいました。娘は記念撮影をすませると私の母と一緒に息子の学校に来て合流しました。幸い、娘はお兄ちゃんのぶっとび晴れ姿をみることができましたが、残念ながら息子は妹の「わが人生ここにあり」をみることができませんでした。

 息子のクラスは「みんなでおにたいじ」をやりました。成長した桃太郎とお供の動物たちが活躍する劇です。桃太郎は大人、だから先生が演じました。息子はサルでした。私は息子たちが練習を始めた頃から本当に楽しみにしておりました。帰宅した息子に「ゆうちゃん、今日は何したの?」ときくと、「練習した」と息子が言います。「練習で何したの?」ときくと、「サルやった」と答えてくれます。この会話ができるようになったのは最近なのです。自閉症の息子は会話が苦手です。質問の意味はわかったとしても、それに対する答えに戸惑うのです。「今日何した?」という問いかけに返ってくる答えは「今日何した」というオウム返しでした。それでも私は息子に訊くことをやめないしつこい母でした。少しずつ「今日どこ行った?」「学校行った」というような会話はできるようになっていましたが、学校に行ったという後は会話は続きませんでした。それが、練習した、サルやった、楽しかった、と会話が続くようになったのです。ついでにサルの真似までしてくれるので、私はうれしくて、息子がサルになるのが待ち遠しく思いました。当日、みんなの前に現れた息子はガチガチの緊張した顔。息子は容姿行動から大変目立つ子なのですが、実はすごい恥ずかしがりやで人前が苦手なのです。緊張のあまり逃げ出すのではないかと思うほどの固まった表情をしておりました。「ゆうちゃん、逃げないで」と心の中で祈りました。以前の息子ならこういった緊張がプレッシャーとなり走って逃げ出していたのですが、鼻くそをほじる姿こそ見受けられましたが、がんばって演じておりました。「いいぞ、ゆうちゃん。すごい、すごい」と思っていたものの、彼の緊張のタイムリミットがきたらしくカーテン裏の窓をチラチラ見るようになりました。これは「ぼく、もう逃げます」という予告動作でもあり、今度は私がドキッとしました。逃げるとしたら上手(かみて)だろうか、下手(しもて)だろうか、と左右ばかり気にしていたのが、まさかまさかの背後のカーテン裏を狙っていたとは。予告どおり息子は窓を開け、飛び出しました。おお、ゆうちゃん、そう出たか。しかし、さすが養護学校の先生。息子の動きをすばやく察知し、数秒後には息子はさっきまでの位置の座っておりました。いやいや、これが普通学校の学芸会で起こったら私は赤面でしたが、養護学校においては保護者もこの程度のハプニングは見慣れているらしく動じません。助かりました。小心者の息子は自分の行動で他人が動揺すると、その空気にのまれて自分がもっと動揺してしまうのです。息子はその一瞬の出来事はまぼろしのようにそこからは何事もなかったかのようにしっかりと演じきりました。唯一びっくり動揺したのは、お兄ちゃんのぶっとびを見ていた娘です。「あ、お兄ちゃんが逃げた。あ、捕まった。あ、戻った。あ、座っている。」と兄の行動を言葉にして、一瞬の中にいくつもの動きがあったと驚いていました。なんだか微笑ましい学芸会でした。

 さて、娘のほうです。娘は私のようにチビでもないし、外見から目立つ存在です。でも、中身はやはり私の娘らしく、食べるのは遅いし、恥ずかしがりやでおとなしい子です。ある日、帰宅した娘が「ママ、大変なことになってしまったの。まあちゃん、学芸会で使う本をダメにしちゃったの」と泣きそうな顔でクラス劇の台本を持ってきました。一体なにごとかと思ったら、学校でそれぞれに台本とじをやったようで、娘は台本の一枚を上下ひっくり返してとじてしまったのです。「まあちゃんだけ、読む時にこのページのときひっくり返して読まないといけなくなっちゃった」と絶望的なまなざしで訴えてきました。留めてあったホチキスの芯を取り、ページを直し、またホチキスで留めたらもう大丈夫。「ほら、もう平気だよ。よみがえった命は強いんだよ。」と台本を渡したら、そうかなあと半信半疑な顔で受け取りました。娘はかつての私のように完ぺきを望みます。自分の手にあるものがなにか欠けていたり間違っていたりすると大変不快な思いになるのです。逆に完璧なものを手にすると安心感にあふれ、どんどん突き進めるのです。最初は劇中で歌う歌を知らないとか思うようにできずにいたようですが、いつしか台本を通しで暗記し、人の台詞まで覚えてしまいました。そうなると完ぺき主義者は強いのです。早い話、いったん自信を持つととことん強気になれるということです。鼻歌のように暗記した台本を空で読んでいたり、自分の登場音楽「こぎつねこんこん」と振り付けで歌っていたり、練習を楽しんでいました。娘たちの劇は、私たちのときのように目立つ主役が一人二人いるわけではなく、みんな動物のグループに分けられていました。娘はキツネ。オレンジのセーター、ベージュのちょうちんブルマ、ベージュのシマシマタイツ、そして手作りの黄色いキツネ帽。そんないでたちで登場した娘、いや~、いつまでも赤ちゃんだと思っていたのに、背も高くなり、すっかり小学生です。心臓が破裂しそうにドキドキしてるのだろうけど、大きな声で台詞を言いました。母親とはある意味単純な生き物で、こういうわが子の姿をみるだけでジーンと心があつくなるのです。ジーンとしながらもちょっと醒めている私もいて、私が子供の頃も今も子供の台詞読みは同じなんだなあ、と変な発見もありました。そして、娘の手作りキツネ帽の作り方も私が学芸会で作ったときと同じ作り方でした。そんなどうでもいいような「同じ」をみつけてちょっとうれしくもありました。

 子供は限りない可能性を秘めています。子供たちは大きな夢を抱えています。息子、娘が将来どんな道を行くのかはわかりません。学校行事にもしも何か意味があるとしたら、私は子供たちは行事を通してなにかを学び、感じて、その経験を将来につなげていくことだと思うのです。たとえば、できなかったことができるようになった喜びから自信をつけたり、仲間と一緒に大道具をつくり友情が深まったり、はたまた自分の意外な弱点を知り「ああ、無謀なことはするもんじゃない」と学んだり、同じ行事を通して同じ時間の中で、子供たちはそれぞれに異なったことを身につけていく。かつて小さく無口な私は学芸会でみる非現実的な空間にあこがれ、いつしか非現実的なことをいくつもしでかす人生を歩んできました。息子は学芸会で何を感じたのでしょう。娘は何を身につけたのでしょう。こたえはいつかみえてくるものでしょう。二人が大人になったときに、この一年生、二年生の学芸会を思い出すかもしれません。二人にはいつの時も夢を抱いていてほしいです。私はこれからも行事のたびに子供たちの成長を喜び、意外な面に驚き、そんなふうに年をとっていきたいと願います。

 メリークリスマス、そしてみなさま、どうぞよいお年を(ちょっと早いけれど、次回は来年になっておりますから)。