ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2014 冬らしい冬

冬らしい冬

 

 みなさん、オリンピックみましたか? 私は基本的にオリンピックなどスポーツ観戦には興味がない方なのですが、浅田真央ちゃんはかわいいからついつい見てしまいました。惜しくもメダルには届きませんでしたが、真央ちゃんのがんばりに日本中が涙しました。テレビ中継ではスキー、スケートなど冬のスポーツが盛りだくさん。私たち一家も今年はいい冬を過ごしました。久しぶりの冬らしい冬だと感動しました。

 今年はこの温暖気候の愛知県にも二回ほど大雪が降りました。雪好きの私はうれしくてたまりませんでした。一回目の雪の日は土曜日でした。「こんな雪の中、車で出かけるバカがどこにいる!」と言われるほどの雪が降りました。もちろん、私はでかけました。車に積もった雪を払っていると、四年前私たちが最後にみたニュージャージーの雪を思い出しました。出国する一日前でした。すごい雪で私たちは大はしゃぎして裏庭に出て、雪で遊びました。元夫が雪かきを始めたので、私たちも雪かきならぬ雪投げをしていました。「車にガソリンがないから入れに行こう」と彼が言うから、私たちも同行しました。大通りは除雪車が出ていたので走れました。近所のガソリンスタンドでガソリンを入れ、よく行ったお店でエッグ&チーズサンドウィッチを買って帰ってきました。家族四人で出かけたのは久々でしたし、翌日には出国予定でしたので、「ああ、これが最後の家族旅行だなあ」と真っ白な街をながめていました。街は静かでした。私が暮らした街を忘れないようにしっかりと目に焼き付けました。あれから四年が経ち、私は大雪を払っていることがなんだか「ああ、人生だ」と思えました。雪はどんなときも私へのご褒美なのです。ニュージャージー土産に降ってくれたあの日の雪は「よくがんばってきたな」というご褒美、四年ぶりにみた大雪は「よくここまでやってきたな」というご褒美だと勝手に解釈しております。子供たちをそれぞれの習い事に送ると、そこからは私のご褒美タイム。さあ、雪だるまを作ろうか、ひとり雪合戦をしようか、それとも雪道を散歩するのもいい、考えながら車で走っていると、あんなに吹雪いていたのに、徐々にみぞれに変わりつつあり、帰宅した頃には冷たい雨になっていました。道路は凍り、雨は降る。これが私の日頃の評価かあ、と肩を落として家に入りました。

二回目の雪はバレンタインデー。これはかなりすごい大雪で、山梨県では大きな被害を受けました。高校からの親友は山梨県甲府市に住んでおり、大変なことになっているとメールがきました。温暖な愛知県はやはりお昼前には雪は風雨に変わりました。それでも私は雪にはしゃぎ、休校となった息子とベランダの手すりの雪を集めて小さな雪だるまを作って喜んでいました。甲府市の友達は雪が1メートルくらい積もってしまい、どうしたらいいのかわからない、スーパーもお店も開いていないし、どうしよう、とメールが来るたび気の毒でした。でも、一年に二回も雪景色を拝めるなんて、私には贅沢極まりないことです。複雑な気分でした。

 冬といえばスキー、スケート。私たち親子には縁のないスポーツでした。しかし、今年は私たち親子三人、スキーに初挑戦しました。実際私にとっては20年ぶりのスキーです。ニュージャージーにいた頃、学生時代は貧乏でしたのでスキーウェアを買うお金ももったいなく、教師になってやっと手に入れました。手に入れたのが春、「よし、今年はスキーに連れて行ってもらおう!」と期待ウキウキしていたら、その年の冬に妊娠。期待していたスキーは無期延期。元夫、実はスキーなんてやったこともなく、連れて行くと言ったものの困っていたらしいのです。以来、私のスキーウェアも板もブーツも裏庭の小屋の奥に放り込まれました。いったん子供が生まれたら、スキーどころではないくらいに忙しくなりました。すっかり「スキー」という言葉もお蔵入りしていました。

 うちの子供たちはボーイスカウトに入っています。ボーイスカウトでは毎月いろいろなイベントがあります。1月はスキーでした。みんなで観光バスをチャーターして行くのです。スキーというより、雪が見たい一心で申し込みました。心配なのは息子です。まずスキーウェアを着てくれるだろうかというところから始まります。学校のジャージでもジッパーが首まで上がるのが嫌だからと12月まで下着と体操シャツで過ごしていたのです。クリスマス前にやっと、ジッパーを上まで上げなくてもいいということで着るようになったのです。スキー場でジッパーを胸下まで下げていたら寒いのなんのって。毎週土曜日になると子供たちを習い事に送って、その後急いでスキーのウェアだのブーツだのといった買い物に走りました。いよいよその日がやってきました。スキーとはいえ、子供たちはそり遊びが中心。さてさて、息子。あんなにウェアは着ないだの、グローブははめないだのと困らせてくれたのに、他の子たちがみんなウェア着てグローブはめているのをみて、普通にウェアを着ていて、あせっている私を横目でチラリでした。娘は友達とふたりでそり遊びに熱中し、私は息子とそりに二人乗りして滑っていました。息子は見ていないようでみんなの動きをみていて、はたと「おいおい、ママと二人乗りしてはしゃいでいるのはオイラだけかい」と思ったらしく、なかよくふたりで丘の上までそり抱えて行ったのに、「ゆう、ひとりでやる。ママ、走って」と同乗を拒まれました。うっそー、私は走って丘を駆け下りるわけ? 息子、うれしそうにひとりで滑っていきました。「まって~、ゆうちゃん。」と駆け下りる私をふりかえりながら見ては大爆笑。こんなことを数十回やらされ、私は雪の丘をかけ降りてばかりいました。おかげで雪走りが得意になりました。子供は子供から学ぶんですね。息子はみんなが3年でできることも5年かかるし、6年でできることも8年かかります。それでも彼はスローで不器用ですがちゃんとみんなをみています。私が最も感動したのはスキーウェアは着たくないと言っていた息子が最後にはひとりでそり滑りをしていたことです。雪の中、親子でとびっきりの笑顔ではしゃぐ、おそらく多くの家族では普通のことだと思いますが、私たち親子にとってはDreams come trueに値することなのです。翌日、老体が悲鳴をあげておりましたが、それより息子が「スキー楽しかった。そり乗ったね。雪、楽しかったね」と言ってくれたことで疲れもふっとびました。

 オリンピックの真央ちゃんをみていて、娘はなにを思ったか「まあ、がんばって、次のオリンピックにはスケートで出る」と言い出しました。ちょっと待ってよ~、あなた、スケート滑ったことないじゃん。わが娘、誰に似たのか凝り性でして、やりたいと言ったことは極めるのです。ああ、また何を始めるのやら、とみていたら、うちの中でトリプルアクセルだとかなんとかいいながらジャンプして回っているのです。回転しても目が回らない練習とか言ってぐるぐる回ってフラフラしていたり、彼女は本気です。それで終わってくれたらいいのですが、「日曜日、ゆうくんが名古屋にお出かけしている間、ママとまあでスケート行きたいなあ。」おっと、いよいよ言い出しました。スケートリンクに行きたいと。。。しかたないなあ、スケートデビューさせようか、と連れて行くことにしました。私が子供の頃は市内にスケート場があったのですが、区画整備だかでなくなりました。そこで最寄のスケートリンクといえばここから車で約1時間。母、がんばります。片道1時間運転し、娘をスケートリンクに連れてきました。晴天でとてもいい日でした。車内で「くるくる回って目ぇ回ったらどうしよう」「ジャンプしたとき転んだら痛いかなあ」と夢のようなことを語っていた娘、実際スケート靴はいたら決して考えていたのと同じでないことを感じたようです。スケートシューズを履くとすぐに歩けたのでわりと早く滑れるかなと思っていたら1時間もまわりの柵みたいなバーをつかみながら滑っていたらあとはゆっくりながらひとりでも滑れるようになりました。いつもはうちでぐずぐずしている娘なのに、こうしてみるとかなり成長していました。私にとってスケートは10年ぶりくらいでしょうか。ニュージャージーで友達と滑っていた頃からだからもっとかもしれません。娘と手をつないでアイススケートをするなんて、なんだか私が照れてしまいました。

 今年はいい冬でした。人並みかもしれませんが、私たち親子には冬のアイテムがすべてそろったように思えました。こんな贅沢しているとバチがあたりそうで怖いくらいです。雪を2回も見れて、スキーもスケートもできました。そして、どのときも私たちは心底楽しみました。もうすぐ春がきますね。花粉症のある私はすでに予防薬を飲んで準備万端でいます。春の楽しみは何でしょう。私たちはまた今までできなかったことに挑戦をしてみたいと思います。