ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2016 盆踊り大会

盆踊り大会

 

 あと数日で八月も終わり、子供たちの夏休みも終わります。私と息子は夏休みも起床時間は変わらず五時半です。朝の空気は気持ちがいいものです。一晩中エアコンをつけていると余計に朝の新鮮な空気は気分をスキッとさせてくれます。夜のうちに洗濯をし、朝一番に洗濯物をベランダに干すのが私の朝の日課で、一緒に起きてきた息子も一緒にベランダに出てきます。夏になると息子は帰宅後と早朝はパンツ一枚となり、我が家の夏の風物詩となっております。私たち家族では夏の息子を「裸族の子」と呼んでおります。パンツ一枚の裸族の少年は、目が覚めるとすぐにパジャマを脱ぎ捨て、ベランダのコンクリート床に寝そべり、空を仰ぎます。梅雨空と違って、真夏の空の青さは息子の気持ちを落ち着かせてくれるようです。夏休み前までは息子は学校でのストレスで限界を感じ、精神的に困窮しておりました。ストレスの原因となる学校から開放され、毎朝の空の青さに心を和ませ、夏休みの息子はただただいたずら好きな11歳の少年でした。息子が落ち着いていると私たち家族での活動もアクティブになります。おかげで今年の夏は今までやったことのないことを体験しました。

 

盆踊り大会

 この町に越してきて早5回目の夏を迎えますが、今までたったの一度も町のお祭りに参加したことがありませんでした。お盆の頃になると、夏祭りに出かけていく親子連れが夕方うちの前の道を歩いていく光景をみては、「いいなあ、いつかはうちも行きたいね」と娘と話していました。息子が落ち着かない状態のときに、私ひとりで子供たちをお祭りに連れて行くと大変なことになることはわかっていたため、今までなかなか「行ってみよう」という気にはなれませんでした。多動の息子が走り回ってしまうんじゃないか、息子が早々に飽きてしまい帰りたがるんじゃないか、そう思うと娘がかわいそうで、夏祭りはうちとは無縁だと思っていました。お盆前のある日の夕方、いつものように仕事から帰宅するとうちの郵便受けに「西町盆踊り大会」と書かれたうちわと子供用のお菓子引換券が入っていました。毎年これらは受け取るのですがうちわは部屋のどこかへ、お菓子引換券はゴミ箱に入れていました。ただ、今年は息子の状態から「もしかしたら行けるかな」という思いがよぎりました。盆踊り大会くらいで。。。とみなさんは思われるかもしれませんが、人ごみの中、まして通常出かけない時間に出かけていくということは息子にとっても私にとっても大きな挑戦なのです。八月になってからの息子は朝の青空を気持ちよさそうに仰ぐと一日を起動させます。笑顔がいっぱいでいたずら好きな顔して毎日を謳歌するように過ごしています。注意されると苦笑いをし、「ごめんなさい、もうしません」と言い残しにやりと笑って走り去る11歳の少年です。ただ、睡眠に関しては少年というよりお年寄りに近く、日の出と共にベッドに入り、日の入りと共に目が覚めるのです。夕方7時すぎると眠たくなり、朝は4時過ぎにはトイレに起きてそれから5時半までベッドでゴロゴロしたり二度寝したりです。

 盆踊り大会当日、私から子供たちに相談しました。「今日の夜、西町の盆踊り大会があるんだけど、行きますか?」娘は目をキョロキョロさせ、「え、行けるの?」。息子は盆踊りがなんであるか意味不明ながらもお出かけできるらしいことに喜び、「行くぅ!」と飛び跳ねました。「じゃあ、行こう!」と決まりました。最近、娘は自己主張が強くなり、同年代の子を意識するようになりました。私がいいと思う洋服は着たがらず、みんなが着ているような服がいいと言います。「夏だから浴衣着たら?」といえば、「お祭りや花火にいくわけでもないのに浴衣なんて着たくない」とここ数年は浴衣に袖を通すこともありませんでした。その娘が「ママ、今日の盆踊りは浴衣着ていこうと思うんだけど、着れるかなあ」と言いました。生まれることなく亡くなった2歳上のお姉ちゃんの2-3年前の誕生祝に買った浴衣が袖も通さずにありました。浴衣といっても二段になった上下分かれたスタイルの洋服っぽい浴衣です。久しぶりに娘が私の好みに沿ってくれたようでうれしく、クローゼットに吊り下げてあった浴衣を取り出し風を通しました。

 夕方になり、娘に浴衣を着せると親子三人盆踊り大会に向かいました。浴衣を着ている女の子をみると娘はニンマリ笑い、「やっぱりお祭りには浴衣だよね」とみんなと同じように浴衣を着ている自分に満足していました。早寝する息子にとって夜出かけるのは何年かぶりのことで、途中で嫌にならないかなという不安はありました。盆踊り会場のお寺に着くと、娘は同級生の子達と一緒に行動をし、私と息子はブラブラと夜店を見て歩きました。息子は私と腕を組み、まるでデートのようでした。多動で走ろうとする息子を制してつかまえることはあっても、こうして人ごみの中を息子と腕を組んで歩くのはどのくらいぶりだろう、いやいや、こんなこと今まであったのかなあ。息子がまだストローラーに乗っていた頃は散歩したり買い物行ったりが楽しく思えていましたが、歩くようになると多動ぶりを発揮し始め、地に足が着くや否やどこかに走り出し、体が成長するとともに走りも速くなり、落ち着いて並んで歩くことも難しくなっていました。

 ヨーヨーつり、100円くじ、カキ氷、フランクフルト、子ども会や町内会のみなさんが運営してため大きなお祭りのようにたくさんの夜店があったわけではありませんが、娘は1回50円のヨーヨーつりを2回やり、友達とカキ氷を食べながらおしゃべりしたり、息子は100円くじでウンチ型の光るおもちゃを当てたり、私が子供の頃もこんなふうに楽しんでいたなあ、とふたりの姿に自分の子供の頃を重ねて懐かしく思いました。盆踊りが始まっても夜店で楽しむ子供もいれば、踊りの輪に入って踊りだす子もいます。娘は踊りは知らないけれど、踊りの輪に入っていきました。見よう見まねで周りの人の踊りを真似ながらちょっと照れくさそうながらもうれしそうに踊っていました。浴衣をきて盆踊りを踊る娘はちょっと前までの幼さよりももうすぐティーンエージャーになる少女の顔にみえました。「まあちゃん、踊っているね。ユウも踊る?」と息子に訊くと、「うん、踊る」と言うのです。私はビックリしながらも、息子と並んで踊りの輪に入りました。流れにのって歩きながらも一生懸命に踊りを真似している息子がたまらなくかわいく思えました。健常な子なら真似しながら踊ることは当たり前のようにできるのでしょうが、息子の体は見たものをそのまま真似ること自体が大変なことなのです。手を振りながら後ろに下がったり、下がっていればいきなり前進するし、その波の中を必死で泳ぐ魚みたいに息子はがんばっていました。2-3曲踊ると、「ママ、疲れた」と言いました。時計をみるとすでに8時をまわっていました。普段7時過ぎると眠たくなってしまう息子なので、もう1時間以上も夜更かししています。とはいえ、娘を置いていくわけにも行きませんし、今帰るといえば娘のふくれっ面が目に浮かびます。「ユウはもうちょっとがんばれるかな?まあちゃんをおいていけないし、まあちゃんは多分最後の抽選の当り発表までいると思うんだけど」と息子に訊くと、「はい」とうなずいてくれました。でも、本当はきっとすごく眠たかったのでしょう。私にもたれかかりながらみんなの踊りをみていました。時計の針は9時を指し、いよいよ抽選発表です。娘は番号を2枚ほど入れてあるらしくウキウキして待っています。息子は私に寄りかかり、目は開いているものの頭は夢の中だったのだと思います。結局娘の番号はどちらもはずれのティッシュでしたが、娘は本当にうれしそうな笑顔で私と息子の元に駆けてきました。夜9時半、親子で手をつないで歩いたことは記憶にある限りでは初めてです。うちは夜は滅多に出かけませんし、夜道を歩くことはまずありません。こんな夏の夜は夢にも描いていませんでした。日中の気温36度、夜になっても生ぬるい風が弱く吹く真夏の夜の幸せをかみしめていました。

 

 こんな幸せな夏がもうすぐ終わろうとしています。今朝、ベランダのコンクリート床が気持ちいいくらいに冷えていました。朝の風も少しひんやりしていました。夏が終わるとまた子供たちは学校にもどります。息子はどんな思いで毎日暮らすのかと思うと心がしめつけられます。先日息子の学校で先生方を交え、通所している事業所のスタッフ、相談支援事業所の相談員、そして私母親とで担当者会議が開かれました。息子に関わる人がみんな集まり、息子に対する支援について話し合いました。話し合いをしているうちに私は息子の担任教師のあまりの「事なかれ主義」「騒ぎ出したらすぐさま学校から出してしまえ」といった物言いに腹をたて、意見してきました。辛くて苦しくて泣き叫ぶ息子を男性教師二人が息子を強引に連れ出し、迎えにきていた事業所の車に乗せた、と聞いたときは「これが特別支援学校か」と愕然としました。とびっきりの笑顔で毎日を謳歌している息子が、あと数日でまた学校というストレスに飛び込んでいくことに私は大きな不安を感じています。今は一秒でも長く息子が笑っていられることを願うばかりです。