ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2009 甘いひととき

甘いひととき

 

日本の実家に帰ると決まってテーブルの上にあるもの、それは近所のベーカリーで買った焼きたてパン。私は甘いものと焼きたてのパンが大好き。これは子供たちにも遺伝したようで、息子はパン好き、娘は甘いものに目がないのです。私たち3人にとっておいしいベーカリーは日常生活においてなくてはならぬものです。しかしながら、私はアメリカのパイやケーキが好きになれません。なぜかというと、恐ろしく甘すぎるか、または塩味がするからです。塩味のスイーツ?それはスイカに塩をかけて甘味をひきだそうとしたところ、うっかりかけすぎて瓜の漬物のようなスイカになった状態で、甘いものを食べているはずが塩味で舌がしびれる別物になってしまうのです。こちらのベーカリーでは日本でみるような調理パンとか菓子パンといったものが見当たりません。パンはあってもロールパンやフランスパンといった食事のお供パンが主流で、「ちょっとパンでもかじりながら」的なものに出会えません。わが息子、3歳ながらパンにはちょっとうるさく、「おいしいパン」じゃないと食べないのです。

そこで母は立ち上がりました。わが子のため、いやいや、私のためにもおいしいベーカリーを探しに行こうと。

 

まずは日系のベーカリー。パリジェンヌといえばたいていの日本人の方はご存知でしょう。マンハッタンでは3店「Zaiya」という名前で出ていますが、パリジェンヌとZaiyaは同じお店で、おいてある商品も同じとのこと。今回私がおじゃましたのは、娘の保育園、親子教室に近いFort  Leeのパリジェンヌ。Fort  Leeのメインストリートにあるこのお店、1990年にオープンされたとのことで、日系社会はもちろんのこと、地元にも密着した「街のパン屋さん」。ベーカリー&カフェなので、地元のおじいちゃん、おばあちゃんがモーニングコーヒーを飲んでいたり、子供を保育園に預けた帰りのママたちがお茶していたり、のんびりほんわかくつろぎの場でもあります。パリジェンヌはFort  Lee以外にも、White Plainsの大道内に1店、Hartsdaleにも1店あり、Zaiyaはマンハッタンに3店あります。なぜこんなに受けるのか、それには理由があります。すべてが手作りだからです。ケーキなら、スポンジケーキは毎朝3時から焼いており、お店がオープンするときにはその朝作ったばかりのケーキが並びます。ムースは固める必要があるので前夜のうちに作っておくそうです。つまりつくりたてケーキなのです。季節のものを取り入れ、年に2-3回はケーキも衣替えをしているそうです。パイ生地も手作り。バターから手で練って焼くそうです。もちろんバターは最高級のものを使っています。だから、バターたっぷりのパイもクロワッサンもくどさがないのです。わが息子、食パンにはちょっとうるさい。「まずい」とは言わぬもの、おいしくないときは一口目で「お腹いっぱい」と言い、それ以上食べません。しかし、おいしいパンに出会うと、5枚切の厚切りパンを2-3枚ペロリと平らげるのです。だから、食パンは息子に食べさせるとおいしいかまずいかよくわかるのです。パリジェンヌの食パンは息子のお気に入りのひとつ。マネージャーの八木さん曰く、「うちの物は添加物を一切いれてありません。だから、添加物に慣れていない子供の口にはあうのかもしれません」。小さな子供をもつ親として、「無添加」は食品を選ぶ大事な要素です。シンプルに甘いのは無添加の証、添加物が入っていると塩辛いケーキになってしまうんだそうです。子供にも安心、新鮮で手作り、これは朝3時からスポンジケーキを焼いている職人のみなさんの心がこめられているからでしょう。

2月といえばバレンタインデー。バレンタインデーといえば、スイーツ。こちらではバレンタイン用として、いくつかの商品を用意しているそうです。ちょっと気になるのは、ホワイトチョコレートをベースにした抹茶入りの生チョコ。これは上質の抹茶を使うそうなので、色鮮やかなグリーン、抹茶の香りにチョコレートの甘さで幸せな気持ちにしてくれそうです。

ちなみにこちらのチョココルネとチョコクロワッサン、日本でも味わえないくらいのおいしさです。「本物のチョコレートを使っていますから」と八木さん。確かにチョコレートのリッチなお味がします。

なにもかもが手作りというのがおいしさの秘訣のようです。ママのキッチンで焼くようなおいしい優しいパンとケーキ、心までほんわかさせてもらえます。

250Main St. Fort  Lee、NJ 07024 (201)592-8878

 

 

次にうかがったのは韓国系のベーカリー、Paris Baguette。こちらは韓国内では1700店以上の最大手のベーカリー。西海岸には7店、東海岸にはNJのFort Lee、Palisades Park、そしてNYのFlushingにお店があります。3月にはフィラデルフィアにもお店ができあがるそうで、韓国人の間では知らない人はいないという大きなベーカリーです。私がうかがったのはPalisades Parkのお店。お店に入るや否や、パンの種類の多さに圧倒されます。アジア風ドーナツは昔なつかしの「アンドーナツ」「カレードーナツ」のようで、日本人の口にはピッタリ。案内してくださったマーケティング・ディレクターのJessieさんが誇らしげに「うちは油のフィルターとか再利用とかいうものはないんですよ」とおっしゃる。「だって、油は毎日取り替えますから、古い油は捨てるんです」といわれる通り、ドーナツがあっさりしている。油くさくないのです。とにかく種類の多さに驚いていると、Jessieさんが「これも食べてみて」といくつかのパンを持ってきてくださいました。驚いたことにどれもこれも実家のそばのパン屋さんでみかけるようなパンなのです。レシピは80%は韓国から、20%はこちらのオリジナル。で、なんで日本のパンみたいなんだろう、と思っていたら、「うちはフレンチとジャパニーズの両方のいいところをあわせているの」とJessieさん。日本のベーカリーのハイスタンダードを参考にしているとのことで、思わず納得。

営業時間は朝7時から夜9時まで。自慢の食パンは夕方4-5時には売り切れ、夜7時以降はほとんどのパンが売り切れているそうです。残るものは少ないけど、それでも残った場合は捨ててしまうそうです。とにかくフレッシュが売り物とのこと。こちらのお店も添加物なし。

セントラルキッチンでパイ生地などは作り、それを各店に持っていき、お店で焼くのでどの店に行っても同じ味を楽しめます。それを活かして来年にはフランチャイズにする計画もあるそうです。

クリスマスには2000個のクリスマスケーキを売ったというから、ケーキもこのお店の自慢のひとつ。バレンタインには特別なケーキ、ギフトバスケット、チョコレートなどを用意するそうです。ケーキはアメリカのケーキのような「色鮮やか超甘いバタークリーム」ではなく、あっさりとした生クリーム仕上げ。

午前中の店内には若いママや近所のお年寄りの韓国人が集い、午後には学校帰りの学生がいっぱいという。韓国人だけでなく、日本人にも人気のこのベーカリー、かなり注目しています。

408Broad  Ave. Palisades  Park、NJ 07650 (201)592-0404

 

日系、韓国系ときて、次はというと台湾ベーカリー。とはいえ、実はこのベーカリー、もともとは日本のベーカリーでして、それが台湾に渡り、ここNJでは台湾レシピをもとに作られているそうです。SunMerry’s といえば、「ああ、知っている」と日本でもご存知の方がいらっしゃるのではないでしょうか。アメリカではここのみというSunMerry’s。黄色とオレンジ色を基調にした店内は、なんだかなつかしい感じがします。子供の頃、クリスマスケーキを注文した町のケーキ屋さんを思い出しそうな、ほんわかしたお店です。

季節に応じたケーキを作り、鮮度を大事にしているそうです。古いものは持ち越さないようにするため、一日で売り切れる分くらいを作り、その日のうちに売ってしまい、残ったら捨てるそうです。

アジアスタイルをモットーに、ケーキは通常10種類くらいおいてあります。くどくならないように、甘さも控えめ。人気はストロベリーケーキとティラミス。私個人的には抹茶ケーキが魅力的でした。抹茶のスポンジに小豆のクリームがなんともいい具合で、かなり大きめのスライスでしたが、ぺろりと平らげました。

ドーナツも昔なつかしのアンドーナツや揚げパン。アメリカのドーナツにはない味わいです。

あと、豆腐パンも人気だそうです。

マネージャーのLinさんが披露してくださったのはバレンタイン用のハート型やピンクのケーキ。なんだか子供の頃のときめいたバレンタインデーを思い出しそうなケーキです。懐かしい味でバレンタインの甘いときを過ごすのもいいかもしれませんね。

2151 Lemoine  Ave. Fort  Lee, NJ 07024 (Bridge Plaza内)(201)944-0088

 

日本の実家のテーブルのように我が家のダイニングテーブルにもおいしい焼きたてパンが並びました。忙しい毎日の中、おいしいパンやケーキをいただきながら一息つくのもささやかな贅沢、お腹も心も癒されます。今年は無添加の甘いバレンタインを過ごしてみてはいかがでしょう。

ENJOY 2009 ちょっと食べたいもの

ちょっと食べたいもの

 

夏に日本に帰ってきました。日本はいいです。なにがいいって、食べ物がおいしいのが一番いいです。何を食べてもおいしいし、食べたいものがいっぱいあふれています。日本に帰ると必ず食べたいものは回転寿司、そして飲みたいものは紙パックのコーヒー牛乳。「なんだ回転寿司か」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、私はあれが好きなのです。あれは日本のファーストフードと言っていいのではないでしょうか。実家のそばにある回転寿司は「安くておいしい」と評判なので、帰省すると必ず行くことにしているのです。そして、コーヒー牛乳。これは日本が作り上げた傑作だといっても過言ではないと思うのです。あれはコーヒーといいながらもすでにコーヒーの域を脱した「コーヒー牛乳」という名前でしかない味になっているのです。普段コーヒーに砂糖はいれない私ですが、あれはいいのです。おそろしく甘いところに魅力があるわけですから。缶コーヒーともまた違うんです。

こちらにいて一番困るのが体調を崩したときの食事です。はっきり言って食べるものがない。「体調悪いときくらい店屋物をとるとか、なにかを買ってくるとかして手抜きしなきゃ、小さな子供抱えての毎日は乗り切れないよ」といわれるものの、じゃあ、なにを買ってきたらいいのですか、なにをオーダーすればいいのですか、となってしまうのです。うちの子供たちは偏食ながらも和食党、そして若い頃は雑食だった私も年のせいか最近はこちらのグリーシーな食べ物を受け付けません。そうです、「食べたいものがない」状態になるのです。日本でスーパーやデパ地下のお惣菜やさんをみるとなにもかもがおいしそうで、体調悪くなくても毎日でも買って帰りたいと思ってしまうほどです。

こんなおいしいもの天国の日本にいて、唯一こちらの味で恋しくなるのはピザです。ピザはイタリアンですが、こちらでは何かといえば「ピザ」、すでにアメリカの味と化していると思うのです。引越しの手伝いに行けば必ずといっていいほどにでてくるのがピザ、お母さんが疲れている日のディナーといえばピザ、時間のないときのランチも、ちょっとした軽食も、ピザはみんなの人気ものです。息子は偏食の王様でとにかくアメリカンフードを一切口にしない子でした。それがプリスクールに通うようになってから学校で度々ピザが出るらしく、雰囲気にのまれたのでしょうか、ピザだけは食べるようになったのです。しかし、それは学校で覚えた味。高級そうなピザは彼の中ではピザではなく、安くて少し冷めかけたようなピザが好きなようです。

 

私の古い友達で健康食品オタクのような人がいます。彼女はオーガニックのヘルシーな物しか口にしないのです。そんな彼女も彼女自身にひとつだけ「お許し」を与えています。それがピザです。彼女は20年も前、私がまだ実家に住んでいた頃、うちにホームステイに来て、それ以来の家族ぐるみのお付き合いをしています。なので、私が初めてこの地に降り立ったとき迎えてくれたのも彼女でした。彼女の家に滞在している間、頻繁にピッゼリアに連れて行ってもらいました。彼女はNJのピザを誇りに思っていました。彼女の娘さんがカリフォルニアの大学にいっていたとき、娘さんは電話のたびに「NJのピザが恋しい!」といい、帰ってくると必ずピザを食べていたそうです。彼女の友人がシカゴに転勤になり、やはり娘さんと同じ事を言っていたそうで、「アメリカの中でもやっぱりこの地区のピザは一番おいしいのよ」と彼女は自慢げに言っていました。そんな彼女を驚かせたのは日本のピザです。彼女のところに日本からの学生が遊びにきました。そのとき、彼女は私にしてくれたようにその学生もピッゼリアに連れて行きました。「トッピングは?」と聞いたら、「ポテトとコーン」と言われ、彼女はびっくりしたそうです。「ポテトもコーンもない」と言ったら、「じゃあ、カレー味を」と言われ、再度びっくりだったとか。たしかにカレー味はピザの王道からはずれているように思うし、ポテトがピザの上にお座りになるのもおかしな姿かと。それでも今回帰省したときも宅配のピザメニューをみると驚くほどの種類の多さ。ポテトもコーンもカレー味も健在でした。そして高い。Lサイズとはいえ、どうみてもこちらのMサイズしかないのに2000-3000円するのは驚きです。Mサイズピザなのになぜに3000円、と思わざるを得ませんでした。そして味が上品。ピザは上品であってほしくない。大口を開けて溶けるチーズを伸ばしながら豪快に食べるのがピザのよさで、素敵に食べるのはピザには似合わない。

 

 ESL教師であった私もアメリカに来たときはESLの生徒。大学のカフェテリアでどのようにランチを食べたらいいのかもわかりませんでした。今でもそうなのですが、言葉もままならない当時はサンドウィッチをオーダーすることは清水の舞台から飛び降りるようなもの。なぜならば、サンドウィッチをオーダーした日にはまずはパンの種類を聞かれ、トマトやレタスを入れるかとか、ドレッシングはどれ、マヨネーズは、マスタードは、などなど質問の雨あられ。そんな質問に答えられるわけもなく、答えたところで発音の悪い私には倍の質問が返ってくるわけで、最初の2年間、私は毎日ランチにピザを食べていました。毎日のランチでそうそう舞台から飛び降りているわけいきませんからね。大きなお皿に8つにスライスされた大きなピザがのっかり、それを自分でプレートにとっていけばいいわけですから、ピザは本当に素晴らしい。言葉なんてなくてもちゃんとお腹に入ってくれます。大学のカフェテリアのピザが特別おいしかったわけではないけど、それでも2年間毎日食べられるだけの味はありました。だからでしょうか、アメリカの食べ物は好きじゃないといいながらもピザだけは別だと思ってしまうのです。

 

最近、近所でおいしいピザ屋さんをみつけました。近所に住む友達から「知り合いがピザ屋さんを始めました」というメールを受け取り、早速そのピザ屋さんに行ってみました。ピザ屋さんの名前は「Biba’s Tavola Calda Pizzeria」。最近食べた近所のピザの中ではかなりおいしいピザです。そうです、ピザたるもの、近所で気軽にガブリと食べられるものであるべき。遠くまでおいしいピザを求めて車を走らせるのは私の中の「ピザ道」にあてはまりません。ピザのよさは「ちょいとかじりたいもの」なのです。それは実家近くの回転寿司に行くような感覚です。Biba’sのシェフはオーナー夫婦のご主人、Aliさん。チュニジア出身で、フランスで料理を学んだかなり腕のいいシェフです。ここはピザだけでなくサラダもおいしいのです。ニューヨークにもお店を出しており、そちらではカフェもやっているそうで、すべてのレシピはAliさんオリジナル。私がうかがったときも、お店では職人さんたちがピザ生地をクールクルと回してのばして、小さなかたまりだった生地があっという間に大きなクラストになっていました。アメリカ人の多くはピザを食べるときクラストを捨ててしまいますよね。汚れた手で食べるから手が触れたクラスト部分を捨てるのか、チーズもソースもかかってない部分は濃い味を好む彼らにとっては食べ物ではないのか、それはよくわからないけれど、私はこの部分が好きなのです。好きだからこそ、私の好みじゃないと困るのです。分厚いパンのようなクラストは私の好みではありません。カリッと焼けてパリパリっと香ばしいのが好きなのです。

 お店は今年オープンしたばかりですが、ピザ始めすべての食べ物はニューヨークで15年以上続いている味なのでおいしいはずです。Biba’sは止まることなくこれからも新たな味を展開させていくそうです。とても楽しみです。でも、きっとポテトやコーンのトッピングやカレー味は日本だけだと思いますけど。

 

ちょっとピザでもかじりながら友達とおしゃべりというのもいいし、大きなLサイズのピザをテイクアウトし、「今夜のディナーです」と手抜きしちゃうのもたまにはいいですよね。お母さんは毎日がんばっているのです。たまにはそうして楽しい時間を送ったり、楽させてもらっても罰当たりません。おいしいピザをみんなでほおばるのをみているとそれだけでお母さんはまた元気になれるのです。人はなにかとないものねだりをしてしまいます。こちらにいると「回転寿司が食べたい」と思い、日本にいると「NJのピザが食べたい」と思ってしまいます。どれもこれもお母さんの食べたいものは「ちょっと食べたいもの」なのです。

 

 

 

Biba’s Tavola Calda Pizzeria

870 Broad Street

Bloomfield, NJ 07003

(973)429-2299

月―土 11:00am-9:00pm

Free Delivery

ENJOY 2009 スーパーマーケットの魅力

スーパーマーケットの魅力

 

私はスーパーマーケットが大好き。海外旅行に行くと必ずホテルのそばにあるスーパーに通いつめるし、日本に帰ると近所のスーパーには毎日のように行きます。スーパーでそんなに何かを買うわけでもないんです。ただただ並んでいるものを見て歩くだけなんですけど、それがたまらなく魅力的なのです。そう思いませんか。スーパーに行くと、果物も野菜も肉も魚もお菓子もジュースも靴下も洗剤も何だってあるんですよ。その国の人々の生活の凝縮図のようです。ただ、そこに住んでしまうとそれはそんなに魅力的でもなくなってしまうんです。なぜならば、自分がその図の中に入ってしまうからです。

アメリカに来た頃も、私は毎日のようにスーパーに通いました。当時、車もなく、近所のスーパーへ行くといっても片道徒歩30分はかかりました。それでも毎日通いました。買うものはたいていリンゴ3つとか、パンとか、とにかく荷物にならないものばかり。なにせ目的は食料品買出しではなく、スーパー見学なのですから。週末になり、友達に「スーパーに買出し行くけど、一緒に来る?」と言われると待ってましたとばかりにバッグを手についていきました。彼はただ単に食料品を買うだけなのに、私は特に買うものもないのにいつまでもクルクル歩き回っていて、なかなか帰ろうとしない。気長に待ってくれたものです。でも、いつも帰りの車の中で「満足したかい?」と聞かれました。おそらく私のスーパー好きは奇妙にみえていたのでしょう。

日本にいたとき、こちらでみるような小さなリンゴなんて食べたことなかったし、スクワッシュなんて見たことも聞いたこともなかったし、あんなに大袋のポテトチップスなんてみたことなかったし、ギャロンのミルクが普通に並んでいる光景などは想像すらしたことがありませんでした。ここではピーマンもナスも大きいし、当たり前なんだけど「オレオ」だってカタカナが全くなく英語だけの表示だし、数え上げたら切りがありません。それはそれは珍しく、モールに行くよりもスーパーに行くほうが何十倍も楽しいと思っていたくらいです。

 

同じスーパーでも地域によっておいてあるものが多少違うことに気がつきました。私は長い間、アメリカ人は挽き肉といえば牛かターキーしか使わないものだと思い込んでいました。かつて私が住んでいた地区のスーパーには挽き肉といえばその2種類しかおいてなかったからです。餃子を作るのも牛かターキーの挽き肉を使っていました。ところが、主人と結婚して別の街に移ると今度は野菜売り場で見慣れない大きな葉っぱが売っているのを目にしました。主人に「これ、何?」と聞くと、「カラードグリーンだ」というのです。それは黒人の人たちがよく食べる野菜だと知りました。そのあたりのスーパーでは豚の挽き肉もありました。アジア系の多い町では冷凍食品のところに「枝豆」「小豆アイスクリーム」といったものもおいてあります。当然のことながら、お客さんが必要とするものをおいておけば売れるわけです。その地区の人たちが何を食し、必要とするか、つまりそのあたりにはどんな人たちが住んでいるかはスーパーにいくと結構わかるかもしれないと思いました。

 

 スーパーではいろいろな経験もします。人の優しさにふれることもあります。子供を連れていると知らない人からも声かけられます。息子は小さい頃、カートに乗せると必ず眠ってしまう子でした。首を真横にへし曲げて寝ていたら、知らないおばあさんに「これじゃあ、この子、首の筋を痛めちゃうよ。これ、使いなさい」と大きなビーチタオルを息子の頭の下に入れてくれたことがありました。世の中捨てたもんじゃない、と心からお礼を言い、ありがたくそのタオルをいただいて帰ってきました。知らない人にこんなによくしていただいて。。。と思いながら頂いたタオルを洗濯し、たたんでしまおうとしたとき、私が見たものは洗って乾燥機にかけられてボロボロになったお店の値札。夏になるとスーパーでもビーチタオルやサンダル、パラソルまでもおいてあるのです。おばあさん、うちの子が首をへし曲げて寝ているので、そこにあったタオルを渡してくれたってこと?その支払いをしなかったのは私の責任?ってことは私、万引きしちゃったってこと?これも優しさ、ありがたくお受けいたしました。

優しさだけでなく、逆の思いもします。レジでうっかり出してしまった期限切れのクーポンを投げつけるように返されたり、子供をカートに乗せて買い物していてカートが前にいた人に当たってしまい、怒鳴られ、それで驚いて泣き出した娘をみて「こんなに泣く子はなにかおかしい。うちの孫はこんなに泣かない。」と言い捨てていく老婦人がいたり。そう、世の中にはこういう人たちもいるという凝縮図です、スーパーは。

 

そんな魅力的な場所でもそれが日常生活になってくると魅力も失せ、物をみて感動するよりも値段をみたり、セールの品をみるようになり、クーポン片手に長いレジの列に並んではため息をつくようになります。

 そこで、最近の私のお気に入りは日系スーパー「ミツワ」。ミツワにいくと、なぜだか心がほっとします。スーパーマーケットとはいえ、ここは私の憩いの場。どこからともなく聞こえてくる日本の歌謡曲。しばらく会ってない友達と偶然出会ったり。「日本にいるのと全く同じ」とまではいわないけど、日本の風を感じます。娘を保育園に預けるとミツワに直行し、お迎えまでの数時間をすごしたり、土曜日「どこか行くとこないかなあ」と思うと必ずミツワに向かい、週3回はミツワで過ごすようになりました。日本にいると気にもしないものでもこっちでみると「すっごい、なにこれ」と驚いてついつい衝動買いもしてしまいます。そしてその2日後にはまた同じところに立って、同じものをみて感動している私。

ミツワの素晴らしさはフードコートにもあります。子連れのランチにはもってこいの場です。ちょっとぐらい子供が騒いでも嫌な顔されずにランチをすませられるし、11時半くらいにいけば娘の大好きな「おかあさんといっしょ」をみながら食べることもできます。ランチをすませたらお買物です。サトイモ、大根、ごぼう、椎茸、エノキダケ。。。日本にいたら当たり前にある野菜なのに、近所のスーパーではお目にかかれない。ミツワにくると普通にそういった野菜が並んでいるのがうれしいです。続いてお漬物、納豆、じゃこ、うどん。。。うちの子供たちは日本食で育ててきたのでこれらは必需品なのです。半分はアメリカ人の血が入っているのですが、なぜか日本の年寄りの食生活そのものです。息子は甘いものが嫌いなので、おせんべいは大事なおやつです。そういった我が家での必需品を全て取り揃えているのがミツワなのです。ベーカリーもあり、甘いもの好きの主人と娘のスナックパンも手に入り、私の好きなモンブランケーキもおいてあります。早い話、私の欲しいもののほとんどをおいてあるのが「ミツワ」なのです。モールを歩くよりも何倍も魅力的です。

天気のいい日はミツワの前の川沿いの散歩道を歩くのも楽しいです。子供たちと手をつないでハドソン川の向こうにみえるマンハッタンをみながら、川に浮かぶ船、グワーグワーと騒ぐカナダ鴨、きらきら光る波、そしてほんの少しの潮の香りを感じての散歩は私たち親子のやわらかなひと時でもあります。ミツワで買ったおやつを途中のベンチに座って食べるのもいいものです。

夏になれば盆踊り。お正月にはお餅つき。日本にいたときはそんなに興味もなく、盆踊りなんて子供の頃行ったっきりなのに、こっちで盆踊りがあると聞けば1ヶ月前から楽しみにしてしまいます。アメリカの元旦は何もないのでここでのお餅つきは私の心をお正月モードにしてくれます。

食に文化にと、スーパーってやっぱりすごい。渡米12年目にしてホームシックの私にはミツワはなくてはならぬ場所。しばらくはミツワ通いが続きます。

 

ミツワマーケットプレイス

595 River Road,
Edgewater, NJ 07020
TEL: (201) 941-9113  

ENJOY 2009 桜の咲くころ

桜の咲くころ 

                   

ちょっと前にお正月を迎えたばかりのように思っていましたが、もう春ですね。4月といえば日本では入学式、入社式と新しい年度の始まりです。この時期は何かと思い出が多いものです。何もかもが新しく始まるお正月とは別の意味で4月も「始まりのとき」です。日本ではテレビも新番組が始まるし、学校でも新しいクラスになります。そこには新しい人たちとの出会いがあり、友達や仲間が増えていきます。桜を見ると私は友達の顔を思い出します。

 

 私には高校からの仲間が6人います。高校に入学したときからの仲です。会えば、今でも彼女たちとはあの頃と変わらない気持ちで「女の子」に戻れます。子持ちのおばちゃんだって青春時代はあったんだし、時々は「女の子」に戻りたいものなのです。「なかよし7人組」でいろんなことをしました。通っていた高校は規律がとても厳しく制服検査はもちろんのこと、頭髪検査、持ち物検査もあり、リップクリームも色のついているものはダメとか本当に制限されていました。プラス、私も含めみんな門限があったので、夕方6時になると急いで帰宅していました。なので、私たちの活動は学校が終わった午後3時半からの2時間ちょっとですませる程度のことでした。それでもあの頃の私たちは毎日が楽しかったのです。

 4月はお花見が恒例でした。自転車でお城のある公園に行きました。桜がいっぱいなので、のんびりお弁当でも食べながらお花見できたらよかったのですが、なにせ2時間ちょっとという限られた時間なのでそうそうゆっくりしていられません。7人で屋台を見て歩くのは楽しかったです。高校生とはいいものだ、と思いました。子供の頃はいつも両親と一緒だったので屋台で何か欲しいときは親に買ってもらっていました。でも、高校生になり、友達と一緒に屋台を練り歩けることはちょっとだけ大人になったような気分でした。セーラー服姿でイカ焼きを食べるさっちゃん、「イカ焼きはおやじみたいだ」とたこ焼きを食べるちあきちゃん、焼きとうもろこしを黙々と食べるペーター。それぞれに好きな物を食べながら歩いていました。私は小さいときから「りんご飴」というものが気になっていました。それはまるできれいな真っ赤なガラスでできたリンゴのようで、まさかあれが本物の林檎の飴がけだということを知りませんでした。子供の頃何度か両親におねだりしたこともありましたが、「あなたには食べ切れません。」と却下されてきました。16歳にして初めてその禁断の実に手を出してしまいました。感想は一言「林檎じゃん。」夢は木っ端微塵。きれいな甘い香りのするガラスでできた真っ赤なリンゴ飴は消え失せました。スーパーで売っている林檎がりんご飴の正体だったとは。。。ああ、それはまるでキティちゃんの着ぐるみの中に入っていた汗だくのおっさんをみたようなものでした。

 2-3口かじったものの、夢のリンゴ飴はただの林檎の飴がけになり、私はかじりかけのりんご飴を袋に入れたまま持ち歩きました。みんなでワイワイおしゃべりしながらの時間はあっという間に過ぎていき、帰る時間になりました。帰途に急ぎながらも、屋台の並びの一番隅っこで綿菓子を売っている人に目が留まりました。それは同じ中学で「かつみちゃん」と呼ばれていた不良だった男の子。普段はおとなしく声さえも聞いたこともなかったのに、中学の卒業式の後で先生たちをぶん殴ってしまったという。背が高く大柄だった「かつみちゃん」が小さな丸椅子に腰掛けて綿菓子作っている姿が暮れかかる夕闇の中なんだか悲しく見えました。

 今でも桜の花をみると、袋に入ったかじりかけの「りんご飴」と丸椅子に座る「かつみちゃん」を思い出します。

 

確か中学の英語の授業で、ワシントンDCには日本から贈られた桜の木があるという話を聞いたことがあります。私は渡米以来12年ずっとニュージャージーに住んでいます。DCへは友達が連れて行ってくれたことはありますが、いつも秋。4月になると「お花見したいなあ」と夢見ながらも、ひとりでDCまで行く勇気はありませんでした。

あれは7-8年ほど前のことです。当時一番仲がよくいつも一緒にビーチに出かけていたアメリカ人の友達から「DCの桜祭りに行こう」と誘われました。ええー、このアメリカの地でお花見できるン?! それから2週間頭の中では「さくらさくら」を歌い続け、興奮のあまりお出かけ前夜は眠れないほどでした。朝になり、急いで彼の家に向かいました。私を迎えてくれたのはパジャマ姿の彼。「ちょいと、あんた、急いでちょうだいよ」と言いたい気持ちを抑え、「今日はなんだか曇ってるわねえ」とさしさわりないお天気について話しました。彼の目が頷きました。「そうなんだ、曇りなんだ。だからDCは中止にしようと思うんだ」と。ええー、なんでえ、曇りだからってなんで桜祭り中止なン? 「僕は曇りの日に運転するのが嫌いなんだ。いっそのこと雨なら雨でいい。晴れなら晴れでいい。でも、曇りは嫌なんだ」って、そんなわけわかんないこと言われたって納得いかない。「でも、桜祭りはやるんだよね?走っていればもしかすると雨が降り出すかもしれないじゃない。曇りのままってことはないわよ」と食い下がると、「雨が降ったら桜祭りは中止だ」ともっともなことをおっしゃる。結局、近所の公園で、「先週買ったばかりなんだ」という彼の自慢の凧揚げのお手伝いをさせられました。黒い雨雲に覆われた暗い空の下、糸の棒を持って走らされました。そのうち雨が降ってきました。「さくら~さくら~」と口ずさみながらDCの桜祭りを楽しむはずの私が、彼んちの車庫で凧糸のからまりをほどいていました。

 

以来、4月になってもお花見をしたいという思いは封印して参りました。時々公園や通りに咲いている桜を見ては「りんご飴」と「かつみちゃん」を思い出すことが私のささやかな「お花見」気分となっていました。

ところが、去年の4月の始め、ママ友の一人から「お花見しよう!」と誘われました。それがなんとうちから車で15分のNewarkにあるBranch Brook Park。ここでは「Cherry Blossom Festival(桜祭り)」が毎年あるのです。こんなに近くでお花見できるとは思ってもみませんでした。Newarkといえば、空港と移民局以外行く事のない街だと思っていました。その町の公園に日本桜があるというのが意外でした。

桜祭りは家族で行くとして、ママ友プラス子供たちとは平日のお昼に「お花見」散歩をしました。お天気もよく桜がとてもきれいでした。1976年より桜の木の増植樹基金が設立され、桜の木は年々増えています。現在アメリカ国内で最も日本桜の多い公園だとか。

4月に入ると10K Runやバイクレースなどもあり、とてもにぎやかになります。今年の桜祭りは4月19日、日曜日。午前11時から午後5時まで、入場は無料。折り紙、盆栽、生け花、ダンスのパフォーマンスによる日本文化の紹介もあり、家族みんなで楽しめます。日本のお花見でみる「場所取り」のような風習はありませんが、家族でのんびりと桜をみながらお散歩するのもいいものです。うちは子供が小さいので屋内行事は大変です。騒ぎ出したりすると人目を気にして「さあ、もう帰ろうか」とそそくさと引き上げてしまいます。でも、屋外でしたら子供が騒いでもそんなに気にせずゆっくりできます。子供たちも外だと走り回ることができるのでうれしそうです。桜祭りの日でなくても、平日にちょっとお弁当持ってお花見するのも格別。やはり桜は日本人の心に春を感じさせますね。 情緒があります。

今年もまた、私はNewarkの桜をみながら「りんご飴」と今はもう40を超えた「かつみちゃん」を思い出すことでしょう。

 

 興味ある方はウェブサイトをご覧ください。桜祭り以外のイベントの情報もでています。

http://www.essexcountynj.org/

(973)239-2485

 

ENJOY 2009 家族の時間

家族の時間

       

 うちの主人はギャンブラー。というと、聞こえは悪いのですが、結構ギャンブル好きな人っているものです。ただ、賭け事の場合、自分でどこまでお金を使っていいのかわきまえていればそれは「お楽しみ」ですむ程度のことで、その限度をわきまえず家のローンのお金、子供の教育費まで使い込むようになるとそれはある種の「中毒」で、身を滅ぼすことになりかねません。私はとにかく賭け事が嫌い。そこに楽しみもみえなければ意も解せません。なので、主人のギャンブル好きには付き合いません。幸い、主人は始めから「今日の賭け金」というものをわきまえているので、その限度に到達すると、つまり負けが続くとさっと身を引いてくるので、私がうるさくいうことでもありません。

 ここ、ニュージャージーにはご存知の通り、カジノの街、アトランティックシティーがあります。カジノの街、といってしまうには語弊があります。実はこの街、カジノだけでなく、大きな会議なんかもよく催されるのです。意外かもしれませんが、毎年11月にはニュージャージー州の教員のための大きなワークショップが2日間に渡って催されるのです。その時公立学校はどこもお休み。先生たちはこの街に集結しています。「カジノの横でなぜに教育を語る?」と不思議に思ったものです。あと、市長さんたちの集まりもアトランティックシティーであったりします。私が教師だった頃、よく教師たちがバスをチャーターして教員旅行と銘打ってアトランティックシティーに行っていました。ギャンブルには興味ないから、と断り続けながらも、なぜみんなアトランティックシティーに行くんだろうと不思議でもありました。

 結婚して最初の2-3回は主人について行ったことはあるものの、子供が生まれてからはあのスロットマシーンの音や光、タバコのにおいは絶対に悪影響だと思い、一切足が遠のいていました。もともとあしげく通った場でもなければ、主人もギャンブラーといえどもそんなに頻繁に通うようなこともないので、それはそれで夫婦の大きな問題でもありませんでした。子供たちが少し大きくなると週末うちにこもっているわけにはいきません。どこかに連れて行かなければ親子共に疲れてしまいます。別に毎週末遠くまで旅行する必要はないけれど、たまには一泊くらいで疲れない程度の旅行に行きたいものです。そうなったとき、私たちに問題が生じました。折り合いがつかないのです。主人はなにもない自然の中を散策するようなことは嫌い、付き合わせれば30分もすると「疲れたから休む」と言って昼寝を始めるような人。逆に私は彼の好きなカジノでは楽しめないし、子供たちは入れない場です。下の子がまだ赤ちゃんだった頃、一度4人でアトランティックシティーに行ったことがあります。そのときはまさに私と子供たちはホテルに軟禁状態で、主人ひとりのお楽しみの旅となり、以来こりごりとなっておりました。

 夏は私と子供たちは日本に帰省します。普段自分が世界の中心的な大きな大人子供のような主人ですが、「このままでは自分だけが家族の輪からはみ出してしまう」と察したようで、「家族旅行に行こう」と言い出しました。いきなり言い出されても、私は抗がん剤治療が始まるし、子供たちだってサマーキャンプがあるわけで、そうこうしていると日本帰国になってしまうわけで、計画性のないことを言い出す人だと横目で彼の話を聞いていました。「子供の予定は毎日いっぱいなのよ。どこに旅行に行くの?」と聞いたら、案の定「アトランティックシティーだ」ときました。「やだよお、もう。あなた一人のお楽しみで、私たちはホテルにこもっているだけなんだもん。つまんないからイヤ。」と即却下。しかし、今回は彼は続ける。「みんなで楽しむんだ。家族旅行だから」と。この大きな大人子供の言うこともたまには聞いてみるか、と週末の家族旅行に行くことになりました。

まず、ホテルはただ。これは彼がplayer cardなるものを持っているのでホテルはプロモーションとして宿泊代を無料で提供してくれるのです。この宿泊代無料というのはシーズンに限りウィークデーのみフリーというところもあれば、日曜から金曜の夜まではフリーというのもあり、それはホテルによるので「いつでもただ」とはいえないのですが、日程さえあれば宿泊費をうかすことはできます。私たちは金曜日の午後、息子のキャンプの迎えに行きながらそのままアトランティックシティーに向かいました。大きな渋滞はさけられたものの到着したのは夕方。チェックインをすませると、部屋に入ります。窓からは海が見え、夕日もきれい。私としてはかなり満足。でも、意地っ張りな私はまだまだ笑顔を見せられません。この大人子供、私の笑顔をみると自分は許されたと思い、いきなりわが道に走るので油断できません。ディナーはルームサービスでオーダーし、部屋の中で簡単にすませました。食べ終わると、大人子供の主人が走り出しました、「ちょっと下を見てくるよ。すぐ戻るから」と。この台詞は毎度のもので、出かけたら夜中まで戻りません。でも、考えてみたら、我が家から2時間ちょっとの運転をして私たちをここまで連れてきてくれたんだもの、今から夜の光に舞う蛾のようにさせてもいいんじゃないかと。

 夜中に部屋に戻ったものの私や寝相の悪い子供たちに蹴られ小さく丸くなって寝ている主人。翌日、早朝から息子がベッドの上でジャンプをし、娘がとびかかってくる。週末であろうと、子供たちの体内時計は普段と同じなので、我が家に寝坊はありえません。早々にみんなで朝食を食べに行きました。家族4人でホテルのレストランでの朝食っていうのもたまにはいいものですね。普段家では自分が食べ終わると席を立ってしまう主人も、ちゃんと一緒に食事して、子供たちがこぼすとふいたり、父親の顔をしています。「今日はどうするの?」と聞けば、「家族旅行なんだ。もう少ししたら水着に着替えてホテルのプールで泳ぐんだ。で、そのあとでビーチに行こう。」と。大人子供の主人が父親になっているのにちょっとビックリしました。

 息子はプールで大はしゃぎ。夏になると私は息子を水男(ミズオ)と呼んでしまうほどに息子は水遊びが大好きなのです。娘にも浮き輪をつけて浮かばせていたら大喜び。1時間ちょっとプールで泳いで、今度はビーチです。アトランティックシティーのほとんどのホテルは海岸沿いに立っているので、ホテルから出るとすぐにビーチなのです。砂遊びセット、ビーチタオル、飲み物、おやつを持っていざ、ビーチへ。夏といえばビーチ、これは私が独身のときから楽しんでいたことです。私も子供もおおはしゃぎ。南の国でみるような遠くまで青く澄んだ水というほどではないけれど、水は澄んでおりきれいな海です。娘はもっぱら砂遊び、息子は水とたわむれていました。いつもならすぐに疲れたと寝転ぶ主人も息子の手をひいて水に入っていました。子供たちが満足するまで遊ばせると今度は主人をいつもの大人子供に返してあげる時間も必要です。

 ビーチからあがると、主人はカジノへ。私たちはボードウォークを散歩。ボードウォークには車が入ってこないので、子供が走っても他人に迷惑さえかけなければ安心です。海風にふかれながら、潮の香りに包まれるのは私の心を癒してくれます。ここ数年、このアトランティックシティーも、アウトレットのお店が増え、ショッピングが楽しめるようになりました。主人が大人子供になっている間、私は子供たちをつれてショッピング。主人とはあらかじめ待ち合わせ時間と場所を決めておいて、それまではお互いそれぞれに楽しむのです。帰る時間になると子供たちは疲れ果ててヘトヘト。車に乗ったら、娘が「たのしかったぁ」とニッコリ。息子は水ではしゃぎ、走り回り、体力を使い果たしたようでカーシートに座るや否や夢の中へ。海が大好きな私も潮の香りに包まれて大満足。そんな私たちを乗せて、主人はまた2時間ちょっとの運転です。彼も家族との時間を持ちながらも自分のお楽しみも果たせたようで、満足そう。

 全く別々の人間が夫婦となり、家族を築いていくのです。相手の趣味と自分があわないのは不思議ではありません。でも、家族として子供を育てていく以上それぞれが勝手なことを言っているわけにはいきません。お互いがどこかで折り合って、家族が楽しめるようにしていかなければなりません。自分だけが楽しむのではなく、自分を含めた家族みんなで楽しめる場を持つということは大事なことではないでしょうか。カジノの街、と思っていたアトランティックシティーも、こうして家族で出かけると別の楽しみもいっぱい。家族だけのウィークエンドトリップ、普段みえないお父さんの意外な一面がみられるかもしれません。家にいるとグダグダしてしまうお父さんも実は家族の時間を求めているのではないでしょうか。

ENJOY 2009 自然派化粧品 NOEVIR

自然派化粧品 NOEVIR

                

私はアメリカにきてもうすぐ12年になります。アメリカに来る前にタイ、カンボジアに3年程住んでおりました。熱帯の地で化粧することもなく、日に焼けて誰からもタイ人と思われていました。そしてこちらに来てからは、夏休みになると待ってましたとばかりに仲間とビーチに通っていました。私はパラソルの下で寝転ぶ「女組」ではなく、波に飛び込む「男組」でしたので、サンブロックもほとんど意味をなさず、6月から9月の私は真っ黒に日焼けしていました。

 

年齢と共に肌は衰えていく。そのとおりです。なのに、私、日焼けはする、顔は浴用石鹸で全身一緒に洗ってしまう、出かけるとき顔に何もつけない、そんなことしておりました。かれこれ5年近く、私の肌はそんな過酷な状態にさらされておりました。

当時、私は学生の傍ら日本の出版物に携わる仕事をしておりました。編集の人との雑談のときそのことを話しましたら、それはそれは驚かれました。「危険すぎ。あまりにも無謀です。取り返しのつかないことになりますよ。出かけるとき,

とにかくなんでもいいから顔につけないと乾燥してしわだらけになりますよ」と。彼女、雑誌の仕事で化粧品と肌について特集組んだことあったらしく、私の男らしさに飛び上がりそうになってました。

 

それから少しづつではありますが、私なりに肌をいたわるようになり、同時にいろいろな経験もして参りました。学生時代ほとんど日系社会とご縁がなかったせいか、買い物は常にローカルですませていました。なので、基礎化粧品の購入先は近くのスーパー。ああ、あわない。さっぱりしすぎて顔がツンツンにつっぱってしまうか、はたまた顔から脂が浮き出ているかのようにグリーシー。

ファンデーションにいたっては、近くのドラッグストアで購入。ああ、やっぱりあわない。いきなり白浮きしてしまい、白塗り仮面になったかと思うと、次は首が白く引き立つほど顔が色黒。どうしても色があわないのです。いつも顔が「なぜにこの色?」という状態になっていました。

経験から学んだといいますか、「やはり日本人の肌には日本の化粧品」に行き着きました。

 

知人の紹介で、NOEVIRの研究所がニュージャージーにあることを知りました。研究所と聞き、理科室を想像しました。白衣の研究員さんたちがビーカーや試験管に液体を注ぎ込み、蒸気をあげている、そんな光景です。「そこで無料の顔マッサージとメイクアップもしてもらえるんですって」と言われ、理科室と化粧の不思議なつながりに興味を持ちました。研究所でのメイクアップ、好奇心いっぱいでお邪魔してまいりました。

 

NOEVIR U.S.A. Inc. ニュージャージー支社。Garden State ParkwayのExit172で降りてすぐに位置するMontvaleは、地図でみるとかなり遠くにみえたのですが、実際には娘の保育園のあるPalisades Parkから車で30分。緑に囲まれた研究所で私を迎えてくださったのは、ノエビアUSA副社長の湊(みなと)さん。「研究所」にこだわる私でしたが、通されたお部屋にはきれいな化粧品が展示され、ここが研究所だけでないことを知りました。

 

ノエビアといえば私の脳裏に浮かんだのは日本でのテレビコマーシャル。よくみました。で、ノエビアの化粧品ってどこに売ってるんでしょう?

コンサルタント販売といって、コンサルタントが直接販売するという方式なので店舗はありません」

ノエビアUSAは今年設立30周年です。ノエビアが日本で設立された翌年、アメリカに渡ってきたそうで、ノエビアUSAの本社はカリフォルニアにあります。ニュージャージーは25年前に始まり、こちらではアメリカ唯一の研究所として日本からの研究員の方が化粧品、健康食品の開発のため世界中の有効成分を研究なさっているそうです。

大きな2階建てのビルには、研究所だけでなく、きれいなオフィス、展示ルームがあります。この展示ルームでは今年1月から毎月1回無料フェイスマッサージとメイクアップのイベントが始まりました。ご来場の方にはもれなくサンプルセットをプレゼントだそうです。で、その無料フェイスマッサージとメイクアップって、どんなことするんでしょう、と興味津々の私はさっそくアポいれてしまいました。イベントのとき以外でも、電話予約すればやってくださるのです。小さな子供を持つ私にとって「都合のいいとき」にアポを入れられるということはかなりうれしいことです。

 

メイクアップアーティストさんに私のこのでかい顔すべてを委ねました。酷使された肌、しみもしわも所狭しといわんばかりに顔いっぱいに広がり、その土台に適当にお絵描きしたような顔。これをいかに見やすくしてくれるんだろう、とドキドキワクワクベッドの上に横になりました。まずはお絵描きのような化粧を落とし、それからマッサージです。フェイスマッサージ経験のない私。マッサージというからには顔をギュイギュイひっぱってたたいてなどを想像していたのですが、いやいや、ゆっくり柔らかにつるんつるんとメイクアップアーティストさんの手と指が私の顔の上をアイススケートのように滑るのです。心地よい音楽が流れ、氷の妖精が広大なリンクをすべるようなマッサージ。睡魔に襲われそうでした。

ホイップクリームみたいにおいしそうな洗顔フォームで顔を洗うと、今度はメイクアップです。私はちゃんとしたお化粧の仕方を知りません。いつも適当にファンデーションを塗って、目と眉をチョコチョコっと描いておしまい。アイシャドウの色も何色がいいのか、どの色を塗るとどうみえるのか、そういったことはまったくわからず、適当にごまかしていました。アイラインなんて生まれてこのかた一度もひいたことありません。なので、ここでお勉強です。なぜ今までこういったことを学ばずにいたのか。それは化粧品店が好きじゃないからです。「行けば買わされる」という思い込みがあり、わからないゆえ高いものを買わされるんじゃないか、という恐れもあって、どうしてもお店でメイクアップしてもらうのが嫌だったのです。だから自己流で適当にお絵描きしていたのです。

私の肌にあった色のファンデーション。ナチュラルに仕上がったメイクアップ。鏡にうつった自分の顔みてまず驚いたのは顔が小さくみえたことです。化粧だけでなぜ顔が一回りも小さくなったの?そこで湊さんが仰っていたことを思いだしました。「好きな色と似合う色は違う場合が多いんです」。自己流で化粧していた私は好きな色を使ってお絵かきしていたんですが、メイクアップアーティストさんは私に似合う色でメイクをしてくださったので、こういう効果がみられたのです。

 

「肌のお手入れは字のごとく、手を入れてあげることなのです。おうちで自分で毎日手入れすることが大事なのです。そのアドバイスをするのが私たちの仕事です。そのためにもここをもっと活用していただきたいのです。」

その通りです。毎日顔のマッサージがいいといわれてもマッサージの仕方がわからなければうちで自分ではできません。どういった基礎化粧品がいいのかわからなければいくら時間をかけても効果は半減。どういうふうにメイクアップしたらいいのかわからなければただのお絵かき。そういったことをこちらで無料で教えてくださるのです。もちろん、押し売りのような販売もなし。とにかく気軽に行って、きれいにしてもらって、本当に自分の肌に必要なことを聞けるのです。「買っていただかなくても実感していただければいいのです」と湊さん。

 

ノエビアの化粧品も健康食品もすべて自然派。これは小さな子供を持つ私にはとてもひかれます。子供が「ママ、チュー」とほっぺにキスしてきたとき、ケミカルいっぱいのファンデーションを塗っていたら、子供の小さな口についてしまうんじゃないかと心配になります。一緒にご飯食べるとき、ママの口紅のついたお箸でおうどんチュルチュルなんてするのも心配です。でもノエビアの化粧品は天然由来成分と植物やハーブから抽出した油を使っているので、安心です。健康食品も同じで、やはり口に入るものですから自然のものを取り入れたいものです。

 

一度スキンケア&メイクアップのイベントに参加してみてはいかがでしょうか。「買わされる」という心配無用で、とにかく実感してみてください。本当に気持ちよくリラックスでき、きれいにメイクアップしてもらえます。もちろん無料。次回は3月26日(木曜日)の午前11時から3時までです。電話予約の上ご来場された方にはもれなくサンプルセットをプレゼントだそうです。もし、イベントのときはどうしても都合つかないという方は電話で予約すれば月曜日から金曜日の9時から5時の間で同じサービスをしていただけます。

1-800-391-0056 日本人スタッフが日本語で対応してくださいます。もっと詳しくノエビアについて知りたい方はwww.noevirusa.comをご覧ください。

NOEVIR U.S.A. Inc.   200 West Grand Ave, Montvale, NJ 07645

ENJOY 2019 あしあと

あしあと

 

 なにかを始めれば必ず終わりがきます。思い起こせば私がこのEnjoyにエッセイの連載を始めて11年がたちました。初めてEnjoyに私のエッセイが掲載されたのは2008年9月号でした。もともと書くことに興味があり、小遣い稼ぎに日本で英語のテキスト本を出したりしていたので、Enjoyに毎月連載させてもらえることが決まったときは本当にうれしかったことを今も覚えております。毎月書かせてもらえるということがとても魅力的な場でした。当時の私は子育ての真っ只中で、教師の仕事も一旦退職して、うちにいるか子供たちの保育園送迎だけで一日が終わっていました。このまま何年も過ぎてしまっていいのか、と悩んでいた頃でした。子供が大きくなったとき、「私たちが小さかったとき、ママは何をしていたの?」と聞かれたら、私は子供たちに見せられる足跡がないことに不安や寂しさを感じていました。子供たちにママの歩いてきた足跡を残したい、それがきっかけでした。私がいつどこで何をどんなふうに見ていたのか、それを伝えたいと思いました。

 あれから11年が過ぎ、たくさんのことがありました。人は生きていれば多かれ少なかれ、規模こそ、感じ方こそ違えど、何もない一年、何もない三年というのはありえません。私の場合、物理的にも環境的にも出来事がありすぎたかもしれません。自閉症の息子、前夫の浮気・別居、大腸癌、国際離婚、国際再婚。。。人と比較することはできませんが、ひとりの人間に起きることとしてはわりと多めかなとは思います。私は子供の頃から、アメリカで暮すことを夢見ていました。理由ははっきりと覚えていませんが、なんとなく前世でつながっていたような、昔いた場所のような感じがしていました。アメリカを離れるとき、「日本人のだんなさんの海外赴任で渡米し、アメリカで暮らしている人もいる。私はアメリカに住みたくて、アメリカの大学を卒業し、教員資格を取得し、仕事にも就いた。アメリカ人とも結婚し、子供もできた。それなのにどうして私はアメリカで暮らせないんだろう」と悔しさでいっぱいでした。アメリカでの生活を終えることは、渡米のため日本を離れたとき以上に辛い思いでいっぱいでした。

 日本に戻ると、浦島太郎状態だった私にはたくさんの試練が待ち受けていました。いよいよ日本での生活が始まりました。障害のある息子に対して、ハーフである子供たちに対して、日本社会は決して優しくありませんでした。なぜならば、「みんな」とは異なる異物だからです。みんなと違うのだから、そこは自分で負担してください、という社会の姿勢は私たち親子の前に立ちはだかる冷たくそびえたつ壁のようでした。私は常に「この人たちには頼らない」「私たちはガイジン家族だから」と、日本社会に同化することを拒んできました。日本社会において、ガイジンであること、障害者であることは、「普通」ではないということをずっと感じてきました。その中で、たまに、自分がずっと昔、日本で「普通」と呼ばれる家族に育てられ、暮らしていたことを思い出すと不思議と懐かしくもあり、苦しくもあり、前世の思い出を覗き見るような気持ちになりました。

 日本に戻ってから、別居していた前夫と9年間の婚姻関係を解消しました。9年というのは、前夫の計算上での期間でした。国際離婚を経験しました。その頃には私たち親子三人の生活も安定して、私はこれからもずっと三人で生きていけたらいいなと願っていました。子供たちも大きく成長し、大病を患うこともなく、私も癌を克服し、毎日仕事に通えて、平凡だけど幸せだと思えるようになりました。人生の大きな変化はもういらない、と思っていたのですが、今度は国際再婚をすることとなり、私たち親子はシングルファミリーではなくなりました。主人は在日アメリカ人です。父親が常にいない家庭でしたので、最初は子供たちもぎこちない様子でしたが、今ではこの四人での生活が当たり前となってきました。相変わらず「普通」の域に入らない私たちですが、いびつな形の家族が私たちには似合っているのかもしれません。離婚によって終わりを告げた夫婦と子供の家庭生活が、再婚によってまた新たな生活として始まりました。

 11月のおだやかに晴れた日が続く中、父が永眠いたしました。父はいつも居てくれると思っていたら、あっという間に逝ってしまいました。末期癌でした。病院は嫌だ、という父が決めた「在宅での看取り」の道を父は最期まで貫きました。人はいつか必ず死を迎えます。そこには例外というものはなく、早かれ遅かれ必ず最期の時がきます。どうして死ぬのか?それは生まれたからです。生まれ得なかったものに死はきません。始まりがあれば必ず終わりがあります。終わりがいつなのか、どんな形でやってくるのか、それは誰にもわかりません。

 私は1966年に人生という道を走り始めました。終わりがいつ来るのかわかりませんが、まだしばらく走っていられそうです。長い間、私のつぶやきのようなエッセイにお付き合いくださいましてありがとうございました。日本にいても、まだアメリカとつながっているように感じていられたのは、Enjoyを通してみなさんに私の声を届けることができたからだと思います。だから、今回で終わりをむかえることが本当はとても寂しいです。でも、始まりがあったから終わりをむかえます。多分、いつか来る人生の終わりを迎えるため、私は一日、一時間、一秒、自分の足跡を残しているのだと思います。特別なことはなくても普通のことに感謝できるよう、せっかく始まった自分の人生を最期のときまで自分らしく生きていこうと思います。その途中、アメリカで暮らせたこと、そしてこのEnjoyでみなさまと出会えたことに私は小さな足跡を残せたでしょうか。大きな感謝の心をこめて、So long。