ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2014 友達のアケちゃん

友達のアケちゃん

 

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 昨年はといいますか、昨年も私たち家族にはいろいろなことがありました。離婚は大きな出来事であったようにも感じますし、そうでもなかったような気もしますし、未だよくわかりません。娘が義務教育に突入し、息子が養護学校に転校したことのほうが実際大きな出来事だったように思います。この原稿を書いていますのは、クリスマス間近、どこからともなく冷気が入り込む寒い夜です。忙しくてなかなか落ち着いていろいろなことを考える間もなく毎日が過ぎていく中、友達のアケちゃんからのなぞメールが続くのです。最近やたらと多いのです。いやいや、私はあまりの忙しさに目が回っているのにこんなわけわからないメールに付き合っていられないと返信しようと思いつつも忙しすぎて返信し忘れるとまたもなぞメールが入るのです。

 アケちゃんは高校からの友達なのですが、実際同じクラスになったことはないのです。なかよし七人組として集まった仲間のひとりなのですが、アケちゃんと私には直接接点もないのになぜか出会ったときから親友のように感じていました。私の人生もたくさんのことに満ち溢れていますが、アケちゃんの人生も違ったところで経験豊富な生き方をしてきました。アケちゃんはデブです。ちょっとのデブではなく、すごいデブです。そして、北斗晶によく似ています。うちの子供たちはテレビで北斗晶をみると、「あ、アケちゃんだ。最近遊びに来ないと思ったらテレビに出ていたのか」と言います。私が電話でアケちゃんと話していると、横から「ママ、この間アケちゃんをみたよって言っておいて」と言います。私がこの一年で4キロも体重が増えてしまったとぼやけば、「我々の4キロなんてものは昨夜の焼肉大食いが消化不良起こしているだけ」とアケちゃんは言うけれど、一体その我々ってアケちゃんはどんなグループに所属しているのかと突っ込みたくなるのです。アケちゃんも私も離婚経験者。っていうか、私は昨年仲間入りしたばかりで経験者というのもおこがましいのですが、私たちの共通点というのはそのくらいなのです。

 最近、やたらとアケちゃんから「今、地震あったらしいんだけどジュンちゃんたちは大丈夫?」とメールが入るのです。確かにテレビの速報で地震があったと流れますが、たいていはここからはるか遠く東北地方でのことで、ここではピクリとも揺れません。なのに、アケちゃんは頻繁にメールしてくるのです。そして不思議なことに「かなり揺れたみたい。私なんてすべって転んじゃったよ。地震のたびにしりもちついてるよ。最近よくあるからこのあたりも大きいのがくるかもよ」と真剣さにあふれているのです。うちとアケちゃんちは車で約十五分離れているものの同じ市内。アケちゃんとこがそんなに揺れてうちが揺れないってのもおかしい。それに毎回「地震があったらしい」と本当に地震があったという確信が薄い感じなのです。地震で揺れるからすべって転ぶ、転んだ時に足首を痛めてしまったため余計に転びやすいから地震が怖い、と言うのです。先日またこのなぞの地震メールがきました。私は介護職員初任者研修のクラスを受講中でした。もちろん揺れていません。昼休みにアケちゃんに電話してみました。「アケちゃん、地震起きてないよ」と言いました。「いやいや、地震だって。私なんて猫のえさを持っていたらまた廊下ですべって転んだもん。で、奥の部屋にいた娘とばあちゃんが揺れたって言っていたよ。」と自信満々に言うのです。いやいや、おかしい、なにかおかしい。

 そんなふうに最近アケちゃんから連絡があるのですが、おとといは深刻な声での電話でした。「なに、また地震とか?」ときいたら、「違うの。私、うちの中で転んで骨折してしまったの。足が固定されてるの」と言うのです。これは深刻です。親友アケちゃんの骨折を放っておくわけにはいきません。お見舞いに行くとアケちゃんはかなり落ち込んだ顔をして横たわっていました。その姿、まさにトドのようなアザラシのような「我々」という新種の動物のような、すごいでかいのにあらためて驚きました。「落ち込まないでよ、骨がくっつけばまた歩いたりできるわけでしょう」と励ましたのですが、どうも落ち込んだ理由は骨折ではないらしい。では何? 実はアケちゃん、私に地震だと連絡してきたときは本当は地震ではなく、アケちゃんが室内で転んだりしりもちついたりして、その振動で奥の部屋の古いタンスが揺れ、奥にいたおばあさんや娘が「おお。地震だ」と騒いだらしいのです。地震が起きたから転んだのではなく、アケちゃんが転ぶから地震のような揺れが生じていたのです。そして、すべったり転んだりというのも私のように普通の体型の人とは違いアケちゃんみたいにデブになると衝撃もすごくなるのです。だから、足を傷めてしまう、足が痛いからまた転びやすくなる、そしてまた転ぶ。。。そんな繰り返しなのです。

 これはたしかにキツイです。まさかの自分が地震震源地だったというわけですから。しかし、どうしてそんな古いギャグみたいなことに気がつかなかったのでしょう。私が考えることは親友アケちゃんも同じく考えました。「年寄りが骨折すると致命傷になることあるんでしょう」とアケちゃんがぽつり。「私さあ、なんか老後に自信なくなっちゃった。骨折して寝込んでしまったとしたら、私みたいなデブは誰が世話してくれる?いつかは自分のこともわからない認知症になっていったらどうしよう。最近、忘れっぽいし、自分がこんなに転びやすくなっていたこともわからなくて地震だなんて騒いで情けないわ。」そんな言葉に私は他人事ではない思いで、ふたりでこの年の瀬に老後について真剣に語り合いました。

 今、私は介護職員初任者研修という福祉の資格研修を受講しています。研修では老人介護がメインで勉強しています。ロールプレイで半身麻痺の方や寝たきりの方などの介護の練習、車椅子の押し方、ゴーグルや手袋をつけてインスタントシニアを体験したり、同時に事務的なこととして介護保険やサービスについての座学もあります。障害者に冷たい日本と思っていましたが、十年前の介護と今の介護とは大きな差があります。介護する側の態度が大きく変わりました。それは制度が変わってきているからです。かつては「世話してやるか」「お世話になります、申し訳ありません」という関係が、今は「自立支援」「QOL-Quality of Life 生活の質の向上」を基本に、サービスを利用する方が主役として、「お手伝いさせていただきます」「よろしくお願いします」といった対等な関係ができてきています。かつては認知症になると家に閉じ込めてしまうかもしくは施設に入れてしまうかの究極でしか選択肢はなかったものですが、今は家でサポートを受けながら家族のもとで暮らせるようなサービスがあるのです。お世話をする家族も疲れてしまうことを考慮すれば時々はデイサービスで出かけていってお風呂に入ったりレクレーションで楽しんだりして一日外に出かけていくことも可能なのです。。

 私もアケちゃんも伴侶がいません。子供に頼る生活はいけない、と思うのも二人共通の思いです。では、私たちが高齢者になったときにすべって転倒したらどうなるのでしょう? まずは入院し治療に専念するでしょう。その後リハビリに取り組みます。そして歩けるように回復できたらいいのですが、歩けない状態になった場合、介助が必要となってきます。骨折がもとで寝込み、精神的に落ち込み、歩けないうち歩かなくなり、寝たきりとなり、トイレに行くこともできなくなり、どんどん残存能力が低下していってしまうのです。精神的な落ち込みからうつ病に発展したりと、骨折はたかが骨が折れただけでなく、その人の生活全体に影響を及ぼすのです。例えば多少回復したとしても自分だけでは無理となったとき、アケちゃんは施設に入所してみてもらいたいと言います。アケちゃんの場合、離婚した元夫が同じ敷地内の別の建物でガールフレンドと住んでいるため、自分のみじめな姿はさらせないといいます。その点、誰に遠慮なく生きている私は、できるだけ自宅にいたいと願います。訪問介護のヘルパーさんや訪問看護、訪問リハビリといったサービスを利用しつつ、自分の生活を保っていきたいです。

 では、認知症になった場合はどうなるのでしょう。家族に囲まれて世話をしてもらえるならそれがいいのかもしれませんが、アケちゃんにも私にも子供たちしかいません。子供たちには子供たちの生活があるわけだから、認知症になり自分も家族もわからない状態になってしまったら私たちは認知症対応型共同生活介護、いわゆるグループホームに入所して世話をして頂きたいと思います。

 私は今年、年女です。四十代の年女、あと一回りで還暦なわけです。最近、私も本当に忘れっぽい。忘れたことすら忘れていたり、自分で自分に困ってしまうのです。アケちゃんみたいに自分が転んだのを地震だと騒ぐことはないけれど、運転中しっかり意識していないとすぐになれた道を走り違う目的地に向かっていたり、道に迷いやすいし、似たようなものなのです。同じような境遇から今までもいろいろなことを相談しあってきましたが、今回は切実な将来として骨折の足をみながら語り合いました。年が明けたら、アケちゃんの骨折が治るのを待って、二人で老人介護施設を調べようと決めました。いまや若年性認知症もあるわけだから私たちが近い将来そういったサービスが必要ないとは断言できません。アケちゃんが骨折して以来、なぞのメールがとまりました。ちょっと寂しい気がします。なくして初めてありがたさを知るといいますが、忙しく落ち着かない師走にあのなぞメールは案外癒しだったのかもしれません。高校からの親友のアケちゃん。まさかふたりで老後や介護施設について語り合うとは、セーラー服だった昨日からいきなり顔中シワだらけのおばあさんになる明日にすっとんだような年月の早さを感じます。人はみんなそうして人生を送っていくのですね。今年もどうぞよろしくお願いいたします。