ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2013 離婚その後

離婚その後 

 

 離婚して一ヶ月近くたつわけですが、どうもいつの間に離婚したのかというくらいに実感がありません。ずっと前に離婚していたような気もするし、夢の中でのことだったような気もするし、意識しないとついつい「主人がね」と言ってしまうのです。実際、離婚前も離婚後もなにも変わらない生活を送っております。国際結婚、日本の場合、苗字を外国籍の夫の姓にするには結婚したからという理由で勝手に変えることはできないのです。私は入籍をニュージャージーでし、それから在ニューヨーク日本領事館において婚姻届を提出し日本戸籍でも結婚ということになりました。その際に「日本での苗字をも変えたいのですが」と相談したところ、そうするには日本の裁判所に行って手続きをしないといけないと言われました。アメリカに住んでいるわけでそこまでする必要もないので、日本での姓はそのまま旧姓といいますか、生まれたときから馴染みのある鈴木のままにしておきました。子供たちも日本の戸籍での姓は鈴木。なので、離婚したところで苗字も変わらないのです。別居状態は長く、日本に戻って以来私たち親子は母子家庭または父親が単身赴任の家庭みたいな生活でしたので、彼がいない生活が日常的となっておりました。相変わらず家の中には彼の写真が飾ってあります。彼は子供にとってはずっとずっと父親なのですから、子供たちの父親の写真を邪険にはできません。玄関に飾っておくとある意味魔よけにもなりますし。週末には電話もかかってきます。もし、微妙に変わったことがあるとしたら、彼からのメールの頻度が減ったくらいです。というわけで、離婚による生活の変化はないのですが、実は今秋から別のことではたくさんの変化がありました。そんな変化をお話したいと思います。

 我が家にペットがやってきました。ペット禁止のこのアパートで犬や猫を飼うことはできません。ペットは無理だとあきらめていたのですが、先日私の母が「ゆうちゃんが金魚好きだから持ってきたよ」と、金魚一匹を我が家においていきました。うーん、私はしばらくうなりました。私は魚や鳥の飼育が苦手です。理由は臭いし、うっかりするとすぐに死んでしまうからです。そしてその死体はもっと臭いので処理に困ります。でも、息子はたしかに金魚や熱帯魚といったきれいな魚が大好きです。せっかくの母の好意、息子の好きな金魚、どうしようかと思いながらも我が家の一員として受け入れることになりました。名前は「き」。き、です。文字の打ち間違えでも誤字脱字でもなく、「き」です。性別不明、年齢不詳、出生地不明、我が家での通称「キイちゃん」、それが「き」です。き(以後、キイちゃん)は、金魚なので私たちと会話ができるわけもなく、アイコンタクトもとりません。自閉症の子が苦手とすることを必要としないわけです。自閉症の息子はキイちゃんをとてもかわいがっています。「キイちゃん、かわいいねえ」「キイちゃん、ごはん食べてるよ」「あ、キイちゃん、プー(ウンチ)してる」などなどキイちゃんのことをいろいろ話してくれます。娘もキイちゃんをかわいがり、水をかえるときは娘の出番です。キイちゃんをすっと手ですくい別の入れ物にいれて、その間に私がキイちゃん宅を洗うのです。私はまだまだキイちゃんを触れません。「キイちゃんちをきれいにするよ」と言えば、息子も娘もすっとんできます。きいちゃん、すっかり我が家の一員です。私は金魚はただひたすら食べて泳ぐだけだと思っていましたが、キイちゃんは私たちに反応します。朝起きてカーテンをあけると、キイちゃんはうれしそうに泳ぎまわります。水面に口をパクパクさせているときにエサをあげると、これまたうれしそうに泳ぎまわります。私たちが帰宅し、「キイちゃん」と呼びかけてキイちゃんちをノックするとまたうれしそうに泳ぎ回ってくれます。まばたきもしない目ですが、なんだか表情があるようにみえることさえあります。「キイちゃんが笑ってるね」「キイちゃん、みんなに見られると恥ずかしいかなあ」など子供たちが毎日あきることなくキイちゃんのことを話しています。なにも話しかけてくれるわけでもありませんが、キイちゃんはなんだか私たちの心を和ませてくれます。三人で育てるキイちゃんは我が家に訪れた天使のようです。

 

 息子は偏食の王様でした。入学や健診で必ずきかれるのが「好きな食べ物・嫌いな食べ物」です。その都度、好きな食べ物は簡単に記入できましたが、嫌いな食べ物はあまりに多すぎて「好きな食べ物以外」と記入しておりました。好きな食べ物も片手で数え上げられるくらいで、それもほとんどが炭水化物。アメリカにいた頃は小児科でマルチビタミンなどの処方箋を出してもらいサプルメントでなんとかバランスを取っていたものの、日本では身体的に障害があり食べ物を摂取できない場合でない限り処方箋は出せないとのことで、本当に大変な思いをして参りました。「栄養は食べ物から取るものです。簡単にサプルメントに頼るのはいけない」と仰る方もいらっしゃいますが、息子のように感覚過敏で口に入れた時の食べ物の触感、匂い、味などが健常な人の何倍もの強さで感じてしまう場合、子供であってもサプルメントを取り入れるしかないのです。とはいえ、日本では身体的に健康な子供がサプルメントをと言えばたいていの場合理解されない上、専門の機関に相談したところで「お母さんが食事を工夫して」という返答しかなく、私は誰に頼ることもやめました。ひたすら息子が食べても食べなくても私は毎日夕飯を「普通の食卓」に近い状態で作り続けました。息子、八歳の秋になり、なぜかいきなり偏食を克服しました。特に私以外の人と出かけたときなど出先でいろいろなものを食べているようです。子供が苦手とされる野菜までも食べています。チキンもビーフも食べます。苦手だった汁物も克服しました。先日もボーイスカウトの運動会でけんちん汁を三杯食べてきたそうです。相変わらずお菓子は嫌いです。離乳食のときは毎日バランスよく残さず食べていたのですが、二歳過ぎた頃から偏食の世界へと突入しました。以来六年、偏食の王様として好き嫌いをしてきましたが、ようやく世の中にはおいしいものがたくさんあるんだと食の楽しみを覚えてくれました。息子は今、しめじが大好きです。娘は息子のことを「しめじ兄ちゃん」とひそかに呼んでいます。

 

 私、九月末から介護者初任者研修を受講し始めました。かつて「ホームヘルパー二級」と呼ばれていた資格で、その名称のときは受講すれば取れた資格でしたが、今は受講しテストに合格すれば取れる資格となりました。高齢者や障がい者の介護職として最初の資格となるものです。現在の私の仕事は介護職ではないのですが、将来を考えたとき、娘は高校、大学とアメリカに戻るかもしれませんし、彼女は彼女の道を歩んで欲しいと思います。息子はどうなんだろう。息子はどのくらい自立できているんだろう。私は青年になった息子をどう支援できるのだろう。そう思ったとき、私も学び、成長しなければと考えました。私は息子の障がいがわかってから私なりに障がいについて勉強してきました。そして今も勉強しています。でも、息子はこれからも支援を必要とします。それは私からの支援だけでなく、公的な支援をも必要とし、年齢があがればもっと必要となるかもしれません。そうしたとき、私は現在住んでいる自治体の障がい者への支援を理解していなければなりません。そして、ヘルパーさんなど直接支援、介護してくださる人がどういうことを基本にしているかなども理解していたほうがいいでしょう。将来、今の仕事より福祉の仕事に魅力を感じたら転職にはこの資格は必要となるでしょうし。そんな思いもあって、久しぶりのお勉強を始めました。毎週日曜日朝九時半から夕方五時半まで受講し、平日夜は提出レポートや論文に取り組みます。私もがんばっていますが、子供たちが本当にがんばってくれています。日曜日、子供たちは私の両親がみてくれています。ボーイスカウトなどのイベントにはおじいちゃん・おばあちゃんと子供たちが出席しています。本当は私にみてほしいと思うこともあるでしょう。でも、子供たちは泣き言も言わず、日曜の朝私を笑顔で送り出してくれます。研修から実家に戻ると、母が作ってくれた夕飯をみんなで囲みます。がんばっているのは私たち家族みんなです。一月末には資格が取れることを願っています。

 

 一年生にあがって以来、娘はたくさんのつらい経験をしてきました。不思議なことに娘の中にはネガティブな感情がないのです。意地悪言われたりされたりしても相手を嫌いになることはなく、やられたことは悲しかったとしても相手のことは憎まないのです。私と正反対です(笑)。私はそんな娘のことが心配でした。いじめられて潰されないかと。それが、今の娘はクラスのスーパースターなのです。二学期になり、体育や放課で娘の得意とすることばかりが取り組まれているため、娘はみんなから「うわあー、すごい!」と言われる存在なのです。得意とはいえ、娘は努力の人です。どんなことも練習を積むのです。幸い、練習したことは実を結んでいます。一輪車は今年一月からうちの狭いベランダで一人転んでは泣いて練習を繰り返し、今では一年生で一番です。体育のマット運動も、体操教室でなかなか上手にできなかったのを繰り返し繰り返し練習し、うちでもバタバタ転がって、今ではクラス一番。鉄棒もそうでした。あやとりもそうでした。どんなことも娘は最初は全くできなくて悔しがり、悔し涙を流しながら練習をして最後には一番になるのです。私は「勉強だけが全てじゃないの。なんでもいいから自分の得意なこと好きなことで一番になれるように練習しなさい」と言い続けてきました。娘が先日ぼそりと言いました。「まあちゃんね、練習は好きだよ。だって、まあちゃんはいつも最初はなにもできなくても練習をいっぱいして一番できるようになったもんね。練習したら大丈夫だもん」と。娘はクラスのみんなが友達だと言います。みんなに囲まれて一輪車に乗って笑っている娘、なんだか大きくなったなあと思いました。いじめられた子もスーパースターになるんですよ。

 

 いつまでも暑い日が続きました。十月になっても夏服を着ていました。娘の朝顔はおとといまで咲いていました。それが先日の十年に一度の巨大台風が去ってから一気に冷え込みました。まもなく十一月。秋を飛び越え、冬に突入するのでしょうか。愛知県に大型スーパーCostcoが来ました。子供たちの好きなアメリカの食べ物が手に入ります。サンクスギビング、クリスマス。食材探しが楽になりそうです。離婚後も私たちは離婚前と変わらぬ幸せな生活を送っています。元夫から送ってくるお菓子や本、そしてヘーゼルナッツコーヒーを楽しみ、週末には子供たちは電話で彼と話します。そして、私たち親子三人、もっともっと結束固く強く生きております。これが私と元夫の離婚の結果です。