ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2014 グリーンカード返納

グリーンカード返納

鈴木純子

 梅雨が明け、本格的な夏がやってきました。今年の梅雨はなんだかわからないうちに訪れ、夏にまみれて去っていったような気がします。昨日、私は長年持ち続けていたグリーンカードを返納して参りました。日本にもどって以来アメリカの地を踏んでいないわけですから、グリーンカード、つまり移民としての資格はあってないようなものでしたが、実際に手元からなくなると抱く思いも異なります。これでまた、アメリカ入国の際は観光客と同じ列に並ぶんだなあ、というのが大きな実感です。

 昨年、離婚しました。私のグリーンカードは結婚をベースに取得したので、離婚によって私は永住権を失くし、グリーンカードも無効になったのだと思っておりました。実際、私が二年前にアメリカに戻ろうと手続きをした際に電話でアメリカ大使館の方に質問したら、「アメリカに戻ったとして、その後に離婚したらグリーンカードは無効になります。そうなったらあなたは日本に帰らなければなりません。」と言われました。つまりは婚姻関係が破棄したらグリーンカードも効力を失うのだと解釈しました。だから、アメリカには戻っていなくても離婚した私のグリーンカードにはなんの効力も意味もないと思っていました。

 ところが先日、友達から「純子さんもグリーンカード返納した方がいいよ。持っていると、アメリカで税金を課せられるし、今度アメリカに入国するときにトラブるよ」と言われました。もしも私が「またアメリカに住みたいから」とグリーンカードを掲げて入国審査を通り抜けようとしたらひっかかるであろうのに、どうしてそんな無効のグリーンカード保持者に税金を課すのか、これまた不思議に思えました。友達の知り合いの中には、無効なはずのグリーンカードを保持したまま、ESTA(ビザ免除)を取ってアメリカに行ったら、入国審査でひっかかり、別室で1時間ほどかかって、最終的にはグリーンカードを返還することになった人もいるそうで、それが本当ならどこかの時点でグリーンカードは返さないといけないわけです。だったら、旅先ではなく、前もって行っておいた方が賢明かと思いました。

 元夫に「私、グリーンカードを返納するよ。持ってると税金が課せられるんだって。」と話しました。「税金はどのくらいかかるんだ?そんなにたくさんかからないなら、それは僕が払うよ。グリーンカードなくしたら君はもうアメリカに戻れなくなるんだろ」と心配してくれました。彼とは夫婦だったとき、こんな心遣いはお互いになく、離婚してから腹を割って話せるようになりました。「私はあなたとの結婚ベースでグリーンカードを取得したのよ。離婚した今、このグリーンカードは無効よ。持っていても入国審査で取り上げられるんだから、今、放棄したって同じよ。」と言いました。「考え直すつもりはないか? 僕は今も君と子供たちがアメリカに戻ってくることにはウエルカムだ。グリーンカードなくしたら二度とアメリカには来ないつもりか?」なんだか離婚した元夫から聞く言葉とは思えず、返納するだけのつもりだったのが、事の大きさに私が驚きました。

 グリーンカードを返納するに至っては書類一枚を記入し、アメリカ大使館または領事館にグリーンカードと一緒に提出するだけのシンプルなプロセスです。I-407, Abandonment of Lawful Permanent Resident Status という書類一枚、これといって難しい項目もなく、あれだけ取得に大変な思いをしたのに、返却はあっけないものです。なんだか、結婚するときは「この人と一緒にいたい」と強い思いでいたのに、離婚するときはあっさりとシンプルに終えてしまった私の結婚みたいでもありました。このI-407を提出するために私は大阪のアメリカ領事館に向かいました。在大阪アメリカ領事館がこの書類受付をするのは毎月第二、四水曜日(祝日は除く)のみです。書類作成に時間がかからないので、10日後の7月23日に領事館に行くことを決めました。

 おかしなもので、こういうことを決めるとき私はまず最初に元夫に連絡するのです。かつては手の内をみせるものかと隠し事ばかりが膨らむような夫婦だったのに、離婚とは不思議な関係をもたらすものです。実際にはもう夫婦ではないのですから、相談する必要もないし、私が勝手に決めたらすむことなのです。それでもなぜだか相談してしまうのです。「23日にグリーンカードを領事館に返しに行ってくるね。」「本当にそれでいいのか?」「だって、持っていても意味ないし、アメリカに旅行に行く時に入国審査で1時間も面接受けるのはいやだし。」「アメリカに戻りたくないのか?」また同じような会話が進み、最終的には、私「誰かいい人紹介してよ。いとこのダロルでもいいし、誰でもいいから。再婚すればまた新たにグリーンカード取得してアメリカに戻るから」、 元夫「ダロルはだめだ、ガールフレンドいるから。ほかにいたら声かけておくよ。」、私「お金のことは心配しなくていいからって話してよ。私の元夫がいくらでも支援してくれるからお金の心配いらないから、って言って誰かみつけてきて。」元夫「ラッキーだな、君は。いい元夫がいてよかったな」こんな会話をしていました。私たちの合言葉は「忘れないで。私たちは離婚したの。」です。憎みあって別れる夫婦もいるなか、私たちはこうして仲良く別れることができてラッキーだったかなとあらためて思いました。

 せっかくの大阪までの旅、楽しみたいものです。そう思っていたとき、アメリカで大変お世話になった友達が大阪の実家に帰っていることを知りました。さっそく、連絡してみたら「是非、会おう!」ということになりました。なつかしいものです。私たちがニュージャージーにいた頃、毎週水曜日になると彼女のおうちにランチしながらおじゃましていたのです。彼女の息子とうちの息子が誕生日が5日違いの同い年ということもあり、まさにプレイデートのお相手親子でした。私が最もつらくて悲しかった頃、彼女のおうちにうかがうことが唯一の楽しい時間でもありました。娘がまだお腹の中にいる頃からのお付き合いで、娘が生まれてからも私たち親子三人、水曜日になるとつらい毎日から逃げ出すかのように彼女のおうちに向かっていました。私が入院したときも心配してくれて、最後に会ったのは日本に帰る数日前でした。そのときの私は痩せこけ生きているのが必死の状態でした。もう四年半も前のことです。

 日本に戻ってから私は体力的にも苦しく、基盤もない日本で新たに生活を築くのに精一杯で、アメリカでの友達と連絡をしたりする余裕すらありませんでした。少しずつ生活が出来上がっていくと、今度は仕事と日々の生活に忙しく追われるように毎日が過ぎていくようになりました。たまに思い出すと、アメリカで仕事を辞めてからの私は一日がとても長く、早く1年が過ぎて欲しいと願うばかりでした。今、もしあれだけの時間があったら私はたくさんの友達と連絡とりあったり、出かけたりしたいなあと思います。そして、それができない、時間に追われるばかりの今の自分に対して滅入ることもあり、アメリカでの友達ともどんどん疎遠になっていきました。

 娘に大阪でアメリカでの友達と会うよと話したら、「まあちゃんも行く。一緒に連れて行って」というので、一緒に連れて行くことにしました。大阪に行く目的は感慨深いグリーンカード返納なのに、なぜか私たち母娘ウキウキうかれてしまいました。大阪とはテレビでみるばかりで、どこで何をしたらいいのか全くわかりません。なので、1.アメリカ領事館に行く、2.たこ焼きを食べる、二つに的をしぼりました。ウキウキの私たち、大阪なんばに到着するものの、どこをどう歩いたらたこ焼きを食べられるのかまったくわからず、地下街をさまよい歩きました。そのうち娘が「ママ、たこ焼きよりかき氷食べようよ。たこ焼きなんてうちのそばでも食べれるでしょう」と言い出し、私はおとな気なく「何言ってんの。大阪に来てたこ焼き食べずに帰れるわけないでしょう。それこそ物笑いのタネだわ。たこ焼き食べずして帰れるものか。なんとしてでもたこ焼きを食べるの。かき氷なんてうちの近くで食べれるでしょう」と血眼になりたこ焼き求めて娘の手を引いて歩きました。一度は外に出たものの、どこにいけば「大阪にはうまいもんがいっぱいあるんやで~」という場所に出れるのかわからず、また地下街に戻りました。やっとみつけたたこ焼きや。「いやあ、たこ焼きよ、うれしいねえ。」と喜びに満ちていると、「ママ、言い忘れた。まあちゃん、タコは嫌いだから、まあちゃんのたこ焼きにはタコ入れないように頼んでね。」と娘が言い出したのです。タコのないたこ焼きなんて、大阪の人に聞かれたらそれこそ物笑いのタネにされてしまう。結局、私はタコを、娘はタコのぬけたたこ焼きの皮を、ふたり共同作業で12個のたこ焼きを食べました。

 なんばから地下鉄に乗って、そこから歩いてアメリカ領事館に到着。溶けそうなくらいに暑いのに、時間にならないと館内には入れてくれません。近くの木陰で時間待ちしていると、元夫からメールが入りました。「君が税金を課せられることを心配しているとしたら、それは心配いらない。僕が払うから。君と子供たちがアメリカで暮らすことを選ぶとき、グリーンカードは必要とならないか?」最後まで心を揺るがすなあ。。。と思いながら「そのときはまた申請するよ」とだけ返信して、私は領事館に入っていきました。

 私のようにグリーンカードを返納にきた人は十人ほどいました。みんな、それぞれに理由があるのでしょう。みんな、グリーンカード取得するために時間もお金も手間もかけたのでしょう。書類を提出すると、領事との簡単なインタビューが個別にありました。「あなたは今自分がどうしようとしているかを理解した上で申請しているとは思いますが、これを受理されることはあなたは永住権を放棄したことになるのです。よろしいですか?」と最後の念押しがあり、「Yes」と答えた私は、その瞬間に永住権を放棄し、グリーンカードを返納いたしました。事務的であっけない一瞬でしたが、これで私は本当にアメリカ永住権のない日本人になったんだと思いました。おかしな話ですが、離婚申請を受理されたときよりもっと深く離婚を感じました。

 永住権を放棄した私はアメリカ領事館をあとにして、友達との待ち合わせの駅に向かいました。四年半ぶりなのに、気持ちはあのころ彼女のおうちで遊んでいたころに戻っていました。あの頃まだ赤ちゃんだった娘が誰よりもはりきっておしゃべりをし、時の流れを感じました。グリーンカードを持っていた昨日まではアメリカでの友達との連絡もとれずにいたのに、グリーンカードをなくした今日からはまた私の心の中ではアメリカが返り咲いています。皮肉なものです、人生は。それはまるで離婚してからの私と元夫の関係のようでもあります。夫婦には戻れないけど、過去を踏み台に「いい親」としてお互いを尊重することを学びました。いつかまたアメリカにもどりたい思いは今もあります。そのときはもう失敗しないぞ!