ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2013 国際離婚 私たちの場合

国際離婚―私たちの場合―

 

 いつまでも暑く残暑厳しい秋になるのかなと思っていた矢先、大型台風が私たちの住んでいる愛知県をも直撃いたしました。夏は暑く冬は寒いこの古き狭きアパートですが、台風にはなかなか強くビクともしませんでした。外を吹き荒れる暴風にベランダの朝顔の鉢植えが倒されたもののそれ以上の被害もなく、通りの向こうの貸し倉庫の屋根板が剥ぎ取られ、バタンバタンと音を立て風に揺れているのを親子三人窓から見ておりました。台風が通り抜けた翌日からすっかり秋になりました。私は季節というのは空気や気温が少しずつ変わり、木々の色が変わり、「ああ、もう秋なんだなあ」と感じるものと思っていました。でも、今年は「今日から秋でございます」と告げられたかのようにいきなりの秋到来でした。朝晩は冷え、空はうんと高く見え、空気は秋のにおいがしています。日中はまだ暑いものの湿度は低いため過ごしやすく、さわやかな秋晴れが続いております。と、秋を褒め称えましたが、私は秋が嫌い、大嫌いです。さわやかな季節ではありますが、私は秋にたくさんの悲しくつらい思い出があるのです。人生最大の失恋も、結婚を考えていた人にお別れを告げたのも、流産したのも、抗がん剤を開始したのも、腸が爆発し緊急入院したのも、そして主人の浮気を発見したのも、昨年アメリカに戻ることをあきらめたのも、どれもこれも秋の出来事でした。秋のさわやかな空気を感じるとそんなたくさんのことが私の中に駆け巡るのです。「次はなに?」と身構えてしまうのも秋ゆえの私のくせになってしまいました。

 秋の空気を感じました。主人からメールが届きました。「近日中にレターが届くはずだ。それは離婚のための書類だ。サインをして公証印を取って送り返して欲しい。」と。いずれは向かい合わなければならない現実ではありました。私はアメリカに戻りたい、けれど彼の親族に囲まれての生活に戻るのはいやだ。私たちが日本にいる間彼は新しい生活を送っています。もう夫婦として生活を一緒に築いていくことはお互いに考えがたいとわかっていました。ただ、ここまでこうして籍を一緒にしていたのは子供のために一番いい方法はなにかをお互いに考えあぐねていたからです。だから、いきなりのメールではありましたが、驚きはさほどのことではありませんでした。ただ、どうしてこういう形できたのかな、という残念さはありました。私たちは別居しながらもずっとなかよくしていました。一緒にいた頃よりもなかよくしてきました。私は子供のことはなんでも彼に相談し、彼の意見を聞いた上で決断してきました。別居してからは喧嘩をしたことありません。毎週末彼は電話をしてきました。六月末には「七月か八月で日本に行きたいと思うんだけど、都合はどう?」と言われ、私も子供も楽しみにしていました。私たちは夏休みにはサファリパークに行くことを恒例にしているため、今年はダディーも一緒かな、と楽しみにしていました。

 離婚の書類は郡の裁判所からの書類でした。日付を見てみると、彼が申請を提出したのは六月末、そのあといくつか日付があるものの八月には準備ができていたことがわかりました。以前、「離婚するのなら先にファイルした方が勝ちだよ」と聞いたことがあります。つまりは先に準備を整えて相手に不意打ちを食らわせるのが手だと。でも、夏の間中、電話で楽しく話していたんだから、どうして一言言ってくれなかったんだろ。やはり離婚といえども裁判所を通して訴訟を起こしているわけだから、訴えた相手に手の内はみせないのも戦術だったのかな。これが夫婦最後の共同作業だとしたらなんだか残念なやり方だったなあ、と思ったのが本音です。

 さて、みなさんは「ハーグ条約」という国際条約をご存知でしょうか。ハーグ条約というのは、オランダ・ハーグにおけるハーグ国際私法会議において締結された国際私法条約の総称で、その中にひとつ「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」は国際離婚をする子供のいる夫婦には「知らなかった」ではすまされない大事な条約です。離婚する際の争点は財産と親権となることが多いかと思います。この条約に加盟している国において離婚した際、条約は適用されることになります。条約の内容というのは「親権を持つ親から子を拉致したり、子を隠匿して親権の行使を妨害したりした場合に、拉致が起こった時点での児童の常居所地への帰還を義務づけることを目的として作られた条約である(条約前文)。あくまでも子供の居住国の家庭裁判所の権限を尊重するために作られたもので、子供の親権や面接交渉権に関して判断を下すものではないが、条約の執行において結果的に居住国側の法律が優先されて執行することとなる。子どもが16歳に達すると、この条約は適用されなくなる(第4条)。また拉致された先の裁判所あるいは行政当局は、子の返還を決定するに際して、子が反対の意思表示をし、子の成熟度からその意見を尊重すべき場合は、返還しない決定をすることもできる(第13条2項)。ただしアメリカでは、“子の意見を聞くことは、子の心に負担をかける。親のうち一方を選び他方を捨てる判断を子にさせるべきではない。”との意見から、子は自分の意見を返還裁判で言うことすら許されない運用をされる場合がある。」(ウィキペディア 「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」概要)。

 私の知り合いの中にはだんなから暴力を受け、乳児だった娘を連れて日本に逃げ帰ったところ、だんなから誘拐罪で訴えられた人もいます。ほかにもたくさんのトラブルを聞いております。もちろん、私もこの条約を意識したものの、実際日本は長い間この条約に加盟しておらず、今年五月に条約批准することを閣議決定したということで、私たちは今すでに日本に移住して三年になるから子供たちは日本の生活に適応している、といった理由であまり深くは考えていませんでした。とはいえ、実際私の中ではどこかでおびえてもいました。主人が私を誘拐罪で訴えてはいないか、そのうち子供を取り戻そうとなにか行動起こさないか、と。主人とは一応話し合って、私が日本で子供たちをみることは了承してもらってはいましたが、実際には彼だけでなく子供を欲しがっていたのは彼の親族だったため100パーセント信じることはできませんでした。もしも、彼が私を訴えていたとしたら、例えば私と子供たちが海外旅行に出た場合、その国が条約に批准している国だったとしたら子供たちはその場で父親のいるアメリカに連れて行かれます。そして、私が誘拐罪で訴えられていたら、誘拐罪に時効はないそうで、例えば二十年後にアメリカに旅行に行ったら私は空港で逮捕されてしまうんだと聞きました。

 では、私たちの離婚の争点についてお話します。彼は自分の財産を私に譲らないよう分割しないようにと準備を固めていたようです。共同名義で購入した家も彼個人の名義に変えられ、車も口座もどこにも共同名義はなく彼個人のものとなっていました。それ故、財産も彼のベネフィットすべて私が放棄するよう提示されてきました。彼の兄弟は全員離婚経験者です。だからそういった準備は万端です。でも、私は日本に戻った時点で財産はどうでもいいと思っていました。私一人で争ったところで太刀打ちできる相手ではありません。ただ、どうしても私が譲れないのは子供たちです。子供たちを奪われるようなことだけはどんなことがあっても認めません。つまり、私たちはお互いに「譲れないもの」が異なっていました。彼は共同親権ではあるものの、子供たちの養育権は私に、彼は養育費を支払う、そして春休みや夏休みで都合のつくときは子供たちを訪問する、と提示してありました。もちろん、書類上の私の居住地は日本の住所です。私は子供たち以上に欲しいものはありません。

 私はサインしました。財産は放棄しましたし、彼の老後のお金まで取るつもりもありません。慰謝料? 友達は「浮気をしたのは向こうなわけで、そこから破綻したんだから、慰謝料取らなきゃ」と言いましたが、書類には慰謝料についてはなにも書かれておらず、私は請求するつもりもありません。彼はすでに新しい生活を始めています。お金もかかるでしょう。「ないものはない!」と意地を張られて、嫌な関係になっていくのは避けたいです。実際、「ないものはない」と養育費まで減額されたとしたら、私はアメリカまで行って訴訟を起こすわけですか? 私はもう争いはいやです。子供たちと毎日暮らしていかれる養育費を出してもらって、子供たちに満足な教育を受けさせてあげられたらそれでいいと私は思っています。そして、私は母親として、子供の父親を訴えたり困らせたりできません。子供たちが大人になったときも私は彼となかよしでいたいです。夫婦としてはもう成立しませんが、子供たちの親同士としてこれからも協力し、子供たちが「うちのダディーとママ、別々に暮らしているけど仲いいんだよね」と思えるよういい関係を保っていきたいと思っています。

 まだ離婚証明書は私の手元に届いていません。でも、なんかちょっとすっきりもしました。私は誘拐罪で訴えられていないという安心感、子供たちとずっと一緒に暮らせる安心感、そしていつかまた機会があったら自由にアメリカに戻れる安心感。離婚、特に国際離婚にはいろいろなケースがあるかと思いますが、私はこれでよかったと思います。彼を憎むことなく離婚できたことに感謝、彼が私と子供との生活を奪わなかったことに感謝、今、私は彼にありがとうって思っています。離婚した人をバツイチと言いますが、私は自分の結婚も離婚もバツだったとは思いません。たくさん悲しく辛い思いもしましたが、楽しいこともありました。そして、人生最大の私自身よりも大事な二人の子供が私にはいるのです。それは彼と結婚したことへの誇りです。ニュージャージーにいたとき、秋になるとリンゴとパンプキン狩りへ子供たちと出かけました。お天気もいいことだし、来週は長野県まで車とばしてリンゴ狩りに行ってきます。今まで行ったことのない長野県へ親子三人で出かけます。