ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2018 再開、そして新しい一歩

再会、そして新しい一歩

 

 年のせいでしょうか。一年がすぎるのがあっという間に感じます。仕事をしているときの一時間は本当に長いのに、一ヶ月、一年という期間はあっという間に流れていくようです。今年はみなさんにとってどのような一年でしたか?私にとっての一年は、相変わらず波乱万丈で、今年もゆっくりと流れ行く時を楽しむ余裕はありませんでした。

 今年の秋は恒例のリンゴ狩りに行くことができませんでした。私の父が癌宣告を受け、検査につきあったり、ドクターとの話に同席したり、リンゴ狩りどころではありませんでした。そんなバタバタしている折、元夫から連絡があり、子供たちに会いに来るといわれました。彼とは別居生活が長く、正式に離婚したのは結婚から9年後、今から5年前のことでした。結婚から9年後、ということに「あらら」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。ニュージャージー州では婚姻関係が10年続いてからの離婚では、財産分与以外に退職金や年金をも分与の対象になると、私は離婚後になり知りました。別居していた9年間は私も彼の配偶者として税金控除されており、10年すぎてからの離婚となると彼は定年退職後年金も私に支払うことになる可能性があるため、9年目で離婚に持ち込んだわけです。離婚の際、裁判所にファイルされた書類は正式な書式であり、サインしなければ私が大変なことになるからと元夫の言いなりにサインしてしまいました。財産はすべて取られましたが、私が最も大事にしていた子供だけは私が養育権を持つとあったので、それでよしとしました。そのとき、私には誰も助けてくれる人がいませんでした。離婚訴訟を起こされたと言ったところで、具体的に説明してくれたり、どうしたらいいのかアドバイスしてくれる人はいませんでした。

 3年前、たまたま知り合った友達が、離婚して子供の養育費を元妻に払い続けたという話から、私の離婚の際の条件がおかしいぞと言われました。州法による違いはあれども、アメリカでは養育費を払わないということは重大な犯罪に値する、とも言われました。再度、離婚の条件の見直し、特に養育費について訴訟を起こすべきだといわれ、3年前、私は訴訟を起こしました。その際、私が知ったことはアメリカではまだまだ裏が通用するということでした。元夫のお兄さんは弁護士から裁判所のジャッジになった人です。5年前の書類はどうやらお兄さんが弁護士だった頃に、元夫が有利になるような書類を作成したようでした。そして、3年前、私が起こした訴訟では、驚くような判決を出されました。ジャッジとなったお兄さんが絡んでいたことは明らかでした。裏の道が王道なんだな、という思いでした。

 そんな泥沼のような離婚をしたせいか、私は元夫とはあれ以来話すことを避けていました。向こう側の要求で、「毎週日曜にFacetimeをつかって、子供たちが父親に連絡するようにサポートすること」とあり、娘が毎週Facetimeで連絡しているのですが、私は一切画面にうつる元夫の顔を見ようとも声を聞こうともしませんでした。娘は「どうして私が電話しなきゃいけないの。私は話すことはないし、共通の話題もない」と何度も文句を言ってきましたが、それでも裁判所から出された離婚の際の決定事項に入れられているため、娘には無理を言ってきました。

 元夫が来ることになり、一番複雑だったのは娘でしょう。今、うちには私の再婚相手が父親代わりとしています。娘は主人とは些細なことでもぶつかりあい、いつも仲たがいしています。それでも、他人には彼を「お父さん」と紹介しています。日本では親が離婚すると片方の親を失うことがよくあります。例えば、うちみたいに離婚し、子供たちは母親と暮らしていたら、父親とはもう会わない、というのはよくある話です。そして、母親が再婚したら、その再婚相手と養子縁組をし、その人が子供たちの父親となります。でも、うちは違います。父親はあくまでも私の元夫、子供たちのダディーのことです。でも、うちにいる私の再婚相手は子供たちにとって、ママのパートナーであり、家族であり、父親代わりなのです。そして、毎週日曜日になると子供たちは父親にFacetimeで電話をかける。日本の常識では理解しがたい家族関係かもしれません。それを感じているのは娘です。「うちは友だちの家族環境とは違う」と。

 元夫が来日し、私は今まで抱えていたわだかまりがすっと消えていく思いがしました。私はこの人を憎む必要はあるのか? たしかに、いろいろなことを仕打ちに憎んだ時期もありました。でも、この人がいたから私には子供たちがいる、と思ったら、子供の父親を憎めなくなりました。せっかく遠く日本まで来てくれたんだから、と私は変わらない過去を振り返っているより、目の前にある現実をみつめることにしました。私がラッキーだったのは、主人が私の過去をも受け入れてくれていることです。主人は私の元夫をリスペクトしていると言い、私たち家族と元夫の五人で焼肉を食べに出かけました。不思議な構成メンバーです。主人と元夫は子供たちをはさんで、いろいろな話をし、意気投合していました。翌日、元夫がこちらを出る前に、うちに招待し、五人でランチを食べました。子供たちがうれしそうな顔をしていました。

 元夫は滞在中、結婚指輪をはめていませんでした。それは私に対する思いやりとか詫びとかそういうものだったのかもしれません。彼の再婚相手こそが私たちの家庭崩壊に陥らせた当人です。そして、私たちから家庭生活だけでなく、財産をも奪った人です。元夫は滞在最後の日、初めて指輪をはめました。それをみた娘は悲しそうな顔をし、「それ(指輪を指し)、ダダは私たちを捨てたんだね」と日本語でつぶやきました。娘はいつまでも自分たちの生活の中に父親の場を残しておきたかったのです。だから、そこに入ってきた主人に対して追い出したい思いや、父親の場に入り込んできた男だと思っていたのでしょう。でも、父親はもう新しい家庭を持っている現実を突きつけられたようで、娘は言葉もなく戸惑いました。

 息子は私の手を離しませんでした。ずっとママを守る姿勢をみせていました。「また来年会えるといいね」と私は元夫に手を振りました。娘は父親にお別れのハグをしました。その背中が強さと悲しさを秘めていました。憎しみが消え、私たちはやっと現実と向かい合えました。

私たちは捨てられたんじゃない、私は娘と息子の手をつないでずっとずっと歩き続けていきます。あ、主人も一緒に(笑)。