ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2014 どうも

どうも

 

 小学校のとき、国語の授業で「どうも」という言葉について学んだことがあります。小学校四年生だったか五年生だったか、もしかすると六年生だったか、学年は定かではありませんが、教科書に「どうも」という言葉について書かれており私たちはそのことを話し合いました。「どうも」とは曖昧で便利な言葉だという話し合いをした記憶があります。言い方次第で「ありがとう」にもなりうるし、逆に「ごめんなさい」にもなりうる。そして、「あ、どうもどうも」といえば挨拶にもなってしまう。そんな便利な言葉「どうも」。私はあの授業以来、人が「どうも」というたびに気になっているのです。みなさんにはどうしても気になってしまう言葉はありますか?

っていうか、どうも、いかん

 こんなことがありました。友達数人でババ会ならぬ女子会を開こうということになりました。メンバーはみんな四十半ば。女子会というにはいささか気も引けるのですが、女ばかりが集まるわけですし、そういった会場を探す際は「女子会」をキーワードに探すわけですからいいとしてください。さて、主婦の多い女子会は時間的にランチとなります。11時半集合ということで待ち合わせていたのですが、一人だけ12時半すぎても来ないのです。電話もつながらないからただただ彼女が来るのを待っていたところ彼女が登場。涼しい顔した彼女は一言、「どうも」。どうやら時間を一時間間違えていたというのです。

 この人、本当に私の興味をそそる人でして、いくつかの言葉の組み合わせで会話してしまうというある意味会話力に長けている超人なのです。「っていうか」「どうも」「いかん(私の地域でよく使う「だめ」「いけない」という意味です)」、この三語で十分会話できてしまうのです。話し出すときは決まって、「っていうか」で始めるのです。っていうか、っていうのは「というよりも」「といいますか」という意味だと思うのです。前述したことについて補足説明したり、もっとわかりやすく説明したりというときに使う言葉ではないかと思うのです。でも、彼女は違います。いきなり「っていうかさあ、一時間も待たせてホントごめん」と言い出すのです。その「っていうか」に込められた意味はなに?私の中の「っていうか」はこんなです。「今日はポカポカしてるよね。っていうか、もうすっかり春だよね。」これも使い方が間違っているのかもしれませんが、私の許容する「っていうか」はこの範囲なのです。「っていうか」で話し始められると「っていうか何?」と気になってしまうのです。続いて、彼女の「どうも」。「どうも」をあらゆる意味で使いこなしている「どうも」のプロと言っても過言ではありません。「どうも~」と言って現れる。頼まれごとを断るときは「それはちょっと、どうもね」と言い、照れている時は「いやあ、どうもねえ」と照れ笑いをする。すてきなのはお礼をいうとき「どうもありがとう」と言ってくれることです。あやまるほどのことでもないけど一応頭を下げた方がいいかなといった場面でも「あ、それはそれはどうもでした」ですませてしまう。感心するのは彼女はその「どうも」を言う時、それぞれの場面で表情が異なるのです。そうです、同じ「どうも」を使い分けているのです。同じ言葉も言い方でこうも変わるものかと学びました。そして最後の「いかん」です。これに関しては彼女はやたらに使っているようにしか思えないのです。口癖は「あー、いかん」です。猛暑日には「暑くていかん」、霜の降りた朝は「寒くていかん」、お腹がすくと「お腹空いたでいかん」。一体なにがいけないのか、何がだめなのか。なにかと「いかん」を連発するのです。「あー、いかん。っていうか、今日は寒すぎていかん。どうもこういう日は気分が滅入るでいかんわ。」というのが彼女の口調なので、私は話の内容どころか彼女の言葉の使い方にすごい魅力を感じるのです。

スイマセン・ごめんなさい

 日本語は美しい言葉だという人がいます。そうなんだろうなあ、とは思いますが、風習なのか文化なのか、言うべきことの言葉が重過ぎて言わない場合が多々あるような気がします。その言葉を言ってしまったら自分の非を認めてしまうことへの恐れなのか、しっかりと「ごめんなさい」というべきときに「スイマセン」で済ませてしまうことがあります。スイマセンはごめんなさいに比べたら軽い感じがするのは私だけでしょうか。アメリカにいたとき、私は二回ほど車をぶつけられました。どちらのときも私は相手とは直接話さず、すぐに警察を呼び、警察が間に入りました。もちろん私に非はありませんでした。友達から再三言われたのは事故を起こした時絶対に相手に直接謝ってはいけないということでした。だから事故のときは私は相手とは話しません。でも、この曖昧な日本語の世界で生きている友達は普段は「スイマセ~ン」ですませているのに、先日前方の車にぶつけてしまう事故を起こした際は相手に「ごめんなさい」を連発したと言います。すごく不思議に思いました。前方車に突っ込んだわけですから官女に非があることは確かですが、そんなに謝ってしまったら前方不注意だけでなくいろんな項目でチェックされてかなり不利になりそうなのになあ、と思ってしまいました。

 先月、私は美容院で大変不快な思いをしました。毎日がんばっている自分のために、傷んだ髪のトリートメントを受けていました。トリートメント剤をしみこませた私の頭に後部からスチームをあてて浸透させていました。私が座っている椅子とスチーム機の間はわずかにすりぬけられる程度の距離。誰も通路とは思えないくらいの近距離なのです。なのに、なのにです。年のころなら五十から六十、シャンプーを終えた女性が頭にタオルをターバン巻きして私の隣の席に向かってきました。雑誌に目を落とし、芸能記事を読んでいたら、ハタッとスチームが止まりました。は?と目をあげるとその女性が何を思ったか私の椅子とスチーム機の間を通り抜けたのです。ありえない。みればわかるでしょう、ヒューヒューと蒸気を噴き出している機械とその前に人が座っていたらそこは通ってはいけないところだと。だいたい、そんな狭いところを通り抜ける意味は何なんでしょう。小太りしたお尻だかお腹だかがスチーム機にあたり移動させるから私のスチームは横に向かってふいているし、私はこういう状態が本当に腹立たしいのです。謝ってよ!と怒鳴りたくなるくらいに腹が立つのです。通ること自体おかしい、でも、それで人に迷惑かけたら謝ること。私は鏡越しにちらりと隣に座った女性をみると、気がついていないふりをしているからまた腹立たしい。気がつかないわけないのです。もちろんスチーム機を移動させることが目的で通ったのでないことはわかりますが、結果としてそうしてしまったら自分の行為を謝ってください。指摘を受けたら、「あら、気がつかなくてごめんなさい」と、行為ではなく気がつかなかったことを詫びるというのはちょっとズルい気がします。非を認めない気がします。

 「スイマセン」は時々「ありがとう」の意味をも含んでいます。例えば、いつもおすそ分けしてくださる近所の人に「いつもいつもスイマセンね」といえば、「ありがとう」と同じような意味で使っていると思います。それはそれでいいのかもしれません。では、こんな場面はどうでしょう。私が仕事の幼児教室で見ている子供の親と出会いました。大変腰も頭も低いお父さんです。お父さんに「最近、XXちゃんはよくがんばっていますよ」と話したら、お父さんはうれしそうに「そうですか、スイマセンね。」と言いました。「これからもがんばっていきましょうね」と言えば、「はい、スイマセン。お願いします。スイマセン」と言われました。いやいや、謝らないでください、褒めているんですから、とついつい思ってしまいました。

 では、お店でいう「スイマセン」はどうでしょう。レジに商品を持ってきたのですが、レジの女性は背を向け他の作業に集中していて私が現れたことに気がついていません。そんなときはたいてい「スイマセン」と声をかけます。この「スイマセン」はお詫びではなく、英語でいうExcuse meと同じように使われているかと思います。お金を支払う際、商品の値段は100円程度なのに、お財布の中には一万円札しかない場合、「スイマセン、これで」と一万円札を出したりします。この場合の「スイマセン」は「おつりがたくさんで、お手数おかけしまして申し訳ございません」という感じでしょうか。

 渡米したばかりのころ、まだ英語もよくわからなくて大変非常識な返答をしたことがあります。”You know”というのが、とりたてて意味があるわけでなく「あのさあ」のような感じの意味合いであったことを知らず、”You know, I forgot to do my homework last night.”(あのさあ、昨夜宿題やるの忘れちゃったんだ。)と言われたら、その奥に隠された「だから、君のを見せてくれないか」という意味を読み取れず、”You know”を直訳して「君は知っているだろ」と言っていると思い込み、”No. I don’t know.”と答えていました。私は「私はあなたの昨夜のことなんて知ってるわけないよ」という意味でしたが、おそらく言われた相手は「忘れたからって、知らないわよ。宿題なんてみせないわよ」と受け取ったのでしょう。そんな私もいつしか”You know”を頻繁に言うようになり、いまだに同僚のアメリカ人と話すときは”You know”の連発。

言葉の文字上の意味と、実際に込められた意味は必ずしも同じではありません。最近の日本語にはそんなのがあまりに多いように思えます。現代日本語についていかれない私はやはり四十台の年女だからでしょうか。